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December 2019 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
毎年毎年、年末気分がなくなってしまう。

毎年、毎年、年末であるという
雰囲気が薄らいでゆく。
これが、これが最近は、本当に加速している
感じがする。

専ら、これは、自分の年のためと思っていたが、
そうでもない様に感じてきた。

昨日が、今年最後の診療日になったのだが、
なんだか普通の土曜日の様な気がした。

一つは、気候。
今年は、特に暖かい。
昔、子供のころ冬の自由研究が宿題で
あったころがあったが、氷を作って、
その厚さを計った覚えがある。
また、クリスマスイブに雪がふった
記憶もあり、年末の商店街へは手袋をはめて
いった記憶もある。

商店街といえば、当時は、この時期になると
年末大売り出しの旗が町中にあふれていた。
小さな商店は、どんどんなくなり、
個々に大売り出しの旗を出すこともなくなったし、
そもそも、大売り出しは、年中あっている。
クリスマスイブにはサンタの恰好をした
売り子がうろうろして、
ケーキが店の前に山積みになり、
なにか、にぎやかであったが、
それもない。最近の町のクリスマスツリーも
どこかひっそりと飾っている。

また、昔は、年始は、結構店が閉まっていたが、
最近は、いろいろな店が元旦がからあいてる。
(予備校のころ冬休みに寮が閉まって、ホテル
に宿泊して正月三が日は、食べ物屋さん、スーパーは
閉まっていて、コンビニはまだ存在せず、
困った覚えがる。)

夜は夜で、
忘年会で酔った人が町にあふれていたが、
最近の若者は、会社の忘年会などの、大きな忘年会を
望まずそれ自体が縮小してる。
年賀状、お歳暮もどんどん縮小している。
個々の個人主義的傾向が強まって、
最近は、クリスマスや年末の飲み会なども
少人数で家でする傾向にあるようだ。

個人的にいえば、
病院では取引業者の挨拶が以前より減り、
以前いったように薬屋さんは、
カレンダーさえ持ってくることもない。

紅白は視聴率が落ち、これを家族で見ることもないし、
毎年こうれいの
スターかくし芸大会のテレビもない。
特番のドラマや放送は、年中やっている。
チャンネルは増え、
個々の視聴率は落ち、
テレビを見る人口さえスマホが押されて
減少している。

もちろん、晴れ着で正月にうろうろする人
も減少し、正月だからといって、
着飾ることも昔ほどない。

また、今年は、5月と8月に長い連休があった
ことも、拍車をかけたにちがいない。

これも時代といえば時代なのだろし、
無駄がなく、便利になったといえば
そうなのだろうが、
無駄がなくなったことで
風情(ふぜい)が無くなっていることも
たしかである。

人生風情がなくなると
面白くなくなるのではあるまいか。

なにはともかく、
今年も皆様、いろいろありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
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投稿者: ryokusei
年賀状

今年も年賀状を必死で書いているが。。。

最近の、若い人は年賀状を書かない様で
。。。。。。

若い人はメールでやり取りする様だが、
それは、それで合理的だとは思う。

私は、毎年、徐々に年賀状が増えてしまう
人で、今は、160枚ぐらい
年賀状が来る人には必ず返すから
増えてしまう。

もう、何十年もあってない人にも
ずっと書いている状態で、
それはそれで面倒なのだけれども
何十年もあってない、同窓生とか
同級生、なんかを一年に一回思い出すのも
わるくないとおもっている。

おそらくメールのやり取りでは
そんな何十年も会ってない人とは
やり取りしないんじゃないかと思うのだが、

職場をやめた人や、以前の職場の人間でも
やり取りしている人もいる。
職場で、外交儀礼で、年賀状を出している
人は、すぐに消滅する。

カッコつけているみたいだけど
職場での人間関係でも、人と人の付き合い
と思ってやっている自分としては
それはそれで、なんだか寂しいし、
と、いうか、。。。。

おそらく、人と人との付き合いと
思っている人は、つづけて
年賀状を出してくれているのでは
ないかなと
勝手に思っている次第で。。

そうやって、付き合っていた人は
患者さんでもずっと年賀状がやってくる。
(扱っていた疾患が疾患で、高齢の方
が多かったので残念ながら、減ってしまうが)

人と人との出会いは
一期一会。

人生、過去に囚われずに明日を生きてい
行くと言うのもカッコイイかもしれないが、

人間は、過去を背負って生きている
社会性の動物。
会ってない、人を思いだし、
1年に一回は過去を憂うるのも
必要な様な気がする。

若い人達は、人と人と付き合いが
なんか希薄な気がする。
特に横との繋がりはいいのかもしれないが
上下との付き合いが希薄というか
下手というか、大事にしていない
様なきがする。

さっき述べた様に人間は、
社会性の強い動物。
この社会性がどんどん失われてゆく
寂しさが、近年の年賀状の減少傾向に
出ている様な気がする。
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投稿者: ryokusei
どうしてもう復帰の話?

沢尻エリカが麻薬の使用で
逮捕されて、
もう復帰の話が出ているようだが、
あまり、感心もないので、
よく、みてもいないが、
芸能界というのは、こう言う犯罪には
甘い世界の様だ。

杉村太臓がある番組で
復帰を許すのはおかしいといったら
芸能界や、いろんな人間から
叩かれたようだが、
芸能界とか、表の華やかな世界というのは
どうも麻薬づけになっているのか
麻薬を完全否定でもしようものなら
こう言う世界は大変になるのだろう。
杉村太臓はまだ、芸能界に犯されていないの
かもしれないとおもうのである。

われわれ医療の世界は、
麻薬を使用すれば、もちろん
永久追放、免許取り上げである。
一生復帰は不可能である。
他の一般社会でも然りである。

芸能界は、影の一つで、
こういうことには、甘い世界であると
つくづく思う。
それだけ、麻薬に寛容な世界なのは、
それだけ、麻薬づけになっている
世界なのだなと思うわけである。
麻薬を常習している人は、なれていれば
一目でわかる。
周囲が気づかなかったと
驚きのコメントを出すが、そんな
わけがない。

厚生したらチャンスを与えるべきと言う
声が多いが、麻薬は
一度やるとこれを切ることは難しい。
ご存知の様に再犯が非常におおい。

まことしやかに
昔、禁酒政策をとったアメリカで
犯罪が多発したことをうけて
麻薬を解禁すべきととう
私の出身大学の付属高校出身の
起業家がいるが、
麻薬によって、どれだけの人間が
死に、大変な世界になるか。。。。
アルコールでさえも、どれだけの善良な市民がきずつき
また、その中毒でどれだけの人間が医療費を使い
死んでいっているのか。
タバコの規制では、そんな話がでないのはなぜか


大麻をしたくてしたくてたまらないで、
捕まってもなお大麻の使用の正当性、
を声だかに歌っている元芸能人もいるが、
医療用に大麻の必要性はない。
私は、終末期医療に携わって来た人間だが
大麻の必要性を感じたことは
全くない。
やはり、もう一度やりたくてたまらないのである。

外国で、容認している国の話がよくでているが、
現在、外国の医療現場では、麻薬の医療での使用が
甘くなったことによる弊害が多くでてきて
大問題になってきている。
麻薬を容認している国は
こんなにいい状態だという報道があるが
本当か???
麻薬を容認すれば、南米の麻薬組織はなくなるのか
とてもそうは思えない。

人間は、単なる動物である。
一度快楽を覚えれば、やめられない
動物に快楽を与えると死ぬまでする。
動物である人間もおなじ。
それを使用したら、もうそれを忘れることはできない。

そもそも根本的なことが忘れられている。
薬を容認すれば、この人間という動物社会の
社会性がまた一つ失われる。
それでいいのだろうか。
やはり、人間は単なる動物の一つ
なのだと感じさせるニュース
だと思うのである。
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投稿者: ryokusei
クリスマスが近づいてくるとどこかから
山下達郎のクリスマスイブの音楽が聞こえてくる。

山下達郎のクリスマスイブといえば
私の世代から少し、若い世代は
JR東海のコマーシャルを思い出す
人もいるのではないだろうか

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この牧瀬里穂のコマーシャルは、実は
第2弾で、第1弾は真っ白な顔の深津絵里
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1988年から1992年にかけて
5作あった。
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Youtubeでさがせばすぐ見つかり
とても懐かしい。

今見てもとても新鮮で、素晴らしい。
珍しく、コマーシャルとしては
毎年、この時期だけのシリーズ化された
人気のCMだった。
しかし、1992年で終了する。

それは、なにを意味するか。
それは、バブルの崩壊の時期と一致する。
当時は、みんな、若者でも着飾り
お金をかけて、いろいろなことをする
クリスマスイブは、若者の日であった。
そんな時代を象徴するCMであり
バブルの終焉とともに
このCMも時代に合わなくなり
終わってしまう。

宗教も違う日本人の若者が
クリスマスの意味もよくわからず
過ごしていた当時のクリスマスイブは
今おもえば、若者が輝き、
日本が輝いていた時代かもしれない。

バブルの崩壊とともに若者の夢も消え
日本の夢さえ消えたようなきもする。

日本が苦難の時代を迎えるとともに
中年に突入していったおじさんは、

この時期になると
このCMを思い出し、
そのCMとともに生きた
バブルの時代の
自分を思い出すのである。
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投稿者: ryokusei
昔、ジーンハックマンの映画で盗聴という映画が
あった。

詳細は割愛するが、
大筋は、盗聴を専門とする探偵が、最後には
自分が盗聴されているのではないかという
猜疑心にかかって、ノイローゼになるという映画であった。

話は変わるが、以前、勤めていた病院で、新しい経営陣が、
1人の人間を辞めさせたいために、
その部下の若い人間2人に、何か変な行動をすれば
すぐ経営側に密告するようにさせていた。
私は、その若い2人に密告しない様にいっていたが、
結局、いろいろ報告して、標的の人間を辞めさせた。
(私は、対象の人間を辞めさせたくないために
忠告していたのではなく、その若い2人のために
忠告していたのだが、。。。。。。)


先週まで、
薬屋さんのセールスをする人たちが、
接待が厳しく制限されているのから、
かたや、ボールぺんやカレンダーまで
厳しく制限され、
喋る内容さえ制限されているという話を
していたが、ここまで、厳しくなったのも
密告の世界が出来上がったのである。
もし、規則を守らない様なことが、他社に密告されて
発覚したら、大変なことになるためである。

若い人たちが中心にそうしている、
そうさせられている様だが、
その行為は、結局のところ、
薬屋さんのセールス(MRという)の人たちの
存在価値をさげてしまい、
結局のところMRさんの数は
急速に減少(会社側から削減)されているのである。

いまの社会、パワハラ、○○ハラ、、、いろいろ
ハラスメントを密告する世界が
広がっている。
もちろん過度なものは排除する必要性が
あるのだが、
その行き過ぎが目に余る様になってきている
様な気がする。

学校で子供たちが、教師が手が出せないこと
をいいことに挑発する行為がよくある様だが、
そんな子供たちが社会にでて、
おなじ様なことをハラスメントを盾に
しているいまの社会が出来上がろうとしている。

年をとり、いろいろな経験をしてくると、
そういう行き過ぎは、
まわり回って自分に帰ってくることを
知っている。

昔の共産圏、戦前の日本は、密告社会であった
ことはご存知とおもうが、
さぞ息苦しい世界であったにちがいない。
その昔の共産圏、戦前の日本が
どういう道をたどったか
歴史が示している通りである。

少し、方向性が変わるが、
いま、桜の会とかなんとかいう首相主催の会が
槍玉に挙がっているが、
これもある種の密告社会の現象の一つの様なきがする。

戦前の日本の逆で、国民が
密告で、政府を追求する。。。
昔と逆の構造である。

もちろんとても良いことをやっている
とは決して思えないが
そのそのやり過ぎはいかがなものか
シュレッダーにかけたの云々
そこまで行くと攻撃側も防御側も
国民の目からみれば、いかにも滑稽
(もっと政権を倒したいのであれば
そんなことはマスコミにまかせて、ほろび行く
日本を立て直す様な最重要事項の政策で
対抗していただきたい)

いま、個人の情報がすぐ、ネットで飛び交う
社会になったが、密告社会、それもデマの
密告社会が形成されそうで、
こわい。
労働時間まで厳しく制限されて
したいこと、したい仕事さえ制限される。

なにかいまの社会、そうやって
自分で自分の首をしめて
息苦しくしてないか。

もう少し遊びがある世界が
必要なのではないか

って、真面目に考えてみたりして。