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January 2020 の投稿一覧です。
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投稿者: ryokusei
カルチャーショックイン坂出 その3

8. 坂出で“かまど”は公式なお菓子

  患者さんが、時々、いろいろな場面で
  お菓子をもってきていただけるのは
  坂出では圧倒的に“かまど”のお菓子が多い。
  高松でも時々“かまど”をいただくことはあるのだが、
  坂出では“かまど”公式なお菓子の象徴
  となっている。
  つまり、“かまど”を持ってゆくことで
  どういう場面でも失礼がない。。。
  という感じである。
  
  地元という面と
  他に店がすくない???(失礼)

9. 三越最強説
 
  三越、最強説。大体、田舎の香川県には
  三越しかデパートがないのだが、
  もっとも、坂出だけではなく
  高松でもそういう傾向はあるのだが、
  三越の包装紙に包まれているものは
  高級品というわけのわからない
  伝説に近い感覚がある。
  それが坂出ではより強い。
  決して高いものでもないのに、
  三越の包装紙につつまれていれば
  勝手に高級品とおもってくれる。
  昔、自分の子供が小さい時、
  “同じもので、三越で買ったものと
  コープでかったものだったらどちらがいい?”
  と聞くと、“三越”と迷わず答えていた。
  だから、坂出の人に物を買って持ってゆく時は
  極力三越で買うことにしている。

10.駅前のサティーは高齢者のたまり場?

  あまり行くこともないのだが、
  駅前のイオンに行くと
  (高松でいえばゆめタウン?)
  まばらな店舗に、
  広場のベンチには
  高齢者がたまっている
  (たまたま?)
  一般的にこういうところは
  若い輩がたまっているのだが
  高齢者の輩?が集まっている。
  
と、おもいついたカルチャーショックを10個ほど列記してみました。

私の子供のころは、香川県第3の街で、
川崎重工も景気がよかって
にぎやかだったのだけれども、
丸亀ともどももう見る影がなくなってきている。
(実は、高松の人間は、五色台より西のことを
あまり知らなかった)
これが香川県の、言い換えれば地方の現実なので
あろうが、、、、、、、

介護保険も坂出は、他の地域に比べて
厳しい。それだけ財政が厳しいの
であろうが、

職員となにか夜食べに行こうとしても
坂出には飲食店がすくなく、
つい、宇多津や丸亀まで出かけることに
なってしまう。
これでは、坂出に税金が落ちない。

私も含め、病院や介護施設の職員は、
特に若い人は坂出市以外の人間がおおい。

患者さんをみていても若い人は
逆に、職場が坂出以外の人が多い。
人口は、どんどん減少している

しかし、私も坂出に縁ができた限りは
少しでも坂出の復興に役に立ちたいと
本当におもうのです。

注:これらは、決して坂出を卑下したものではありません。あしからず。
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投稿者: ryokusei
カルチャーショックイン坂出2

前回の続きで、箇条書きの4から

4.道路の表示が不親切
坂出在住の人間にはなんとも感じないだろうが
道路標識が不親切。
坂出から宇多津に行くのにみんなは
何も思わないかもしれないが、
慣れてない人間にとってあの道路は恐怖。
先ず、坂出グランドホテル辺りをはしっていたら、
気が付いたら高速に乗りそうになる。
(高速の表示が遅い)
その難関を超えてゆっくり左にまがったら、
またどの路線にはいっていいか全くわからない。
(指示がない)
私は、3度ほど瀬戸大橋の下にいってしまった。
極めつけは、コメリをでて
坂出インターにのって高松方面に帰ろうとおもったら
坂出北インターの周囲を2周した。
(坂出インターへの表示がおかしい)
やっと坂出インター周辺にたどりついたら
19号線から11号線に曲がるところがわかりにくい
そこで、また通りすぎてしまった。。。。
それからというもの、
坂出から高速に乗ることがない。

5. 高齢社会
上里医院では、施設上特に高齢者の患者さんが多い
とは言え、それを差し引いても
患者さんの平均年齢が高い。
私は抗凝固剤を上里先生が使用していた
〇〇だけしか出していなかったのだが、
その○○の会社の人から、
“先生、ほかの会社の薬に変えたのですか”
と聞かれたことがある。
自分は、特に他の薬を出した覚えがなかったので
、どうしてそんなことを聞くのか聞いたら、
最近、薬の出が減っているというのである。
不思議だったのだが、
よく考えれば服用している方が
自然減していることに気が付いた。
そういえば、診ている患者さんが、
1年間で何人もなくなっているのだ。
上里医院の師長は、
前の病院から一緒にきている師長なのだが、
ある日、
80歳の患者さんがきて、“まだ若い”
と言ったことにびっくりした。
前の病院では、
超高齢者に入る部類であったから。

6、雨の日
  上里医院にくる患者さんは、農家の方が多い。
そうなると患者さんの出足が読めない。
  いままで、結構田舎でも、
雨の日は患者さんがやや少ない
傾向にあったのだが、
農繁期の上里医院では、
雨の日の方が患者さんが多い。
つまり、雨の日の方が、
仕事にならないから病院に
くる方が多いのである。

7.点滴神話
どこにいっても、点滴と抗生剤はよく
求められる医療行為であるが、
坂出はそれが激しい。
なにかにつけ、点滴をしてくれと言ってくる。
坂出に来てから初めの内は
“点滴にはほとんど栄養がない”とか、
“水であるから脱水しか効果がない”
ということをいちいち説明していたのだが
これまた、最近はいちいち言うのがめんどくさくなって
激減していた点滴が徐々に増えてきているのも事実。
気は心、一部の患者さんにとっては、
他のなにの薬より効果があることも確か。
それに加えてビタミン剤神話もあり、
よく入れてくれといわれる。
これも最初は“普通に食べていたら十分”とか、
“ビタミン剤を入れてもほとんど尿に出る”とか、
“保険がきかない”とかいろいろ説明していたが
、ある日、ひょんなことで、
ビタメジンを点滴の中にいれて、
しゃべらなくなって、食べさせるにも口もあけない
高齢者に投与すると、
それから元気を取り戻し、
口を開けて食べる様になった人がいた。。
計算上十分ビタミンは経口ではいっていたし、
水溶性ビタミンが経静脈的にしが、
吸収しないわけがない。。。。。
しかるに、これに気をよくして
何症例か試してみたら半分ぐらいの人に
確かに効果がある。
これらのことを考えると昔、
保険が甘かった時に点滴にビタミン剤を
投与していたのは意外にも
日本人を元気にしていたのかも
しれないと思ったりして。

To be continue

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投稿者: ryokusei
カルチャーショックイン坂出

坂出医師会誌への投稿の依頼があり、
坂出に来てからの感想などを書いてくれと
言われて、この5年間の感想について書いたので
今回は、手抜きで、それを
ブログにしました。
(坂出以外の人には少しわかりにくいかも)

坂出の上里医院にお世話になって
もう5年となります。
この5年間は、毎日がいろいろ
カルチャーショックの連続でもありました。
今回はその一旦を、箇条書きで書いてみました。
高松で生まれ、九州で長く過ごした私にとって、
坂出はほとんどなじみのない街で
それだけになにもかもが珍しい?
ものであり、カルチャーショックの連続でも
ありました。
医者としても九州の各地で診療もして、
東京から、マムシ噛傷が頻繁にやってくる
田舎まで勤めていましたが、
坂出にはまた独特の雰囲気があります。

1. 道路がせまい
先ず、上里医院に勤める前に
坂出を一周したのだが、
道路が狭いことに驚いた。
家に看取りに行ったり、在宅も
ちょこちょこする様になったが、
なんと車で行くことにストレスがかかる街か!
空襲がなかったためかとは思うが、
狭い上に曲がりくねっているではないが、
いくら軽4で行くといえども
車1台がギリギリの道がいっぱいある。
どうかすればミラーを倒して
走行しなければならない。
介護施設の送迎の仕事だけはしたくない。。。。。。
というのが本音。

2. 建物が古い
坂出にきたころは、丁度
建築バブルというほど高松では
新しい建物が建っていたが、坂出にくると
駅周辺こそ少し新しいマンションが
たってはいるが、
街並みのたたずまいがなんとも昭和。
建て替え前の市立病院とマルチン病院
にいたっては、言語道断。
まだ、こんな古い病院があったのかという印象。。。。。。
廊下を歩いていたら摘出標本が出てきそうな
たたずまいであった。

3. 道が古くて暗い。
私は、一時、自転車で高松からきていた
時期があったのだが、自転車の通る場所は
道でも左の端っこで、
国分寺を超えると自転車のハンドルが
がたがたととられる。それぐらい
路肩に近い部分は舗装が痛んでいる。
その上、秋や春先は、来る時、帰る時は
ライトをつけないと暗い。
自転車のライトなぞ知れたもので、
タイヤの通過する部分はライトだけではなかなか
確認できないのだが、
これも、国分寺をこえたところから、
なにも見えなくなってしまう。
極めつけは、夜。特に雨の夜の浜街道
講演会に丸亀に行って、高松に帰るとなると、
まあ浜街道が暗くて白線は薄いは、
雨で道路はひかるは、
道路ががたがたでわだちに
水がたまっていて、
トラックの横を通るときは前が見えなくなる
ぐらい水を飛ばしてくれるはと、
なんとも恐怖の道か。
雨の夜の浜街道は死のロードといっておこう。

To be continue
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投稿者: ryokusei
還暦

今年は、鼠年、
年男です。

よく考えれば、還暦、
昔風に、数えで言えば、1月1日より還暦です。
赤いちゃんちゃんこです。

私だけではないと思うが、自分の
年に、
気づいていない!

自分が子供のころといえば、
定年は55歳で、還暦のちゃんちゃんこを
着るのは結構なジジイと思っていた。

この2カ月ほどインフルエンザの接種をしていたが
自分の年齢に近い人を見ると
“えー、俺、こんなに老けているんだ”
“この人、おれより若いの?”
って思うことがしばしばだった。
(自分の年を忘れている証拠)

そういえば、自分のおやじが60歳のころ、
かなり高齢に見えて(自分がおやじが42歳ごろ
の子なので、18~9歳のころだったから
よけいに)、大丈夫かな、、、おやじが死んだら
大学の学費、生活費は、どうしようなんて
おもっていた。

一緒にずっといればあまり、わからないが、
県外の大学にいったり、県外に働きにいって
時々帰ってくることがあった人ならわかるだろうが、

親が還暦をこすと、
この時期、、年末年始に家に帰ってきたりすると、
その度に自分の親が年をとったと
感じたものだった。

見た目だけではなく、
ほんのちょっとしたこと、
たとえば、風呂の掃除が以前より甘くなっていること
に気づいたり、以前より食後によく寝ているのを見たり
以前よりもの覚えが悪くなったり、耳の聞こえが
悪くなったりとかで、

娘からすると
自分もそう見えているなんだろうと思うと
とても悲しくなってきた。

還暦は昔の習慣であるから、
還暦祝いの風習ができたころはおそらく
世の中の平均年齢が50歳以下の状態で
あったころで、いまでいうと
90歳ぐらいのお祝いといったところだろうか
と自分をなぐさめながら

ま、今の年齢を自覚して
今年は生きてゆこーっと。
と思う年始であった。