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投稿者: ryokusei
“じじい!!”

昨年、私もついに
ほんとに“じじい”になったのだが。。。。

昨年、夏に孫が誕生して
写真館に写真を
取りにいったとき
集合写真を撮るときに
“おじいさんはこちらに”
と写真館の人にいわれて
自分がよばれたことを
認識するのに10秒は
かかったかもしれない。

婦長に孫ができたとき
冗談で“ばばあ”“ばばあ”
と言っていたのだが
気が付けば
自分が
“じじい”になっていた。

最近、娘が孫をつれて
かえってきていたのだが、
その時、自分の親が
自分の娘が小さい時に
言っていたことばを思い出した。

“成長しなければ困るのだけれども
このまま大きくならなければいいのに。。。“

自分の孫をみると
同じ気持ちになってしまった。

人間、
こどものころは
真っ白な紙で
汚れがない。
大きくなればなるほど
苦労をかさね、
悩みを持ち、
いろいろな嵯峨を背負いながら
生きていかなければならなくなって、

気が付けば真っ白な紙は
よごれ、ぼろぼろになって
それでもその紙に
文字を書かなければならなくなる。

真っ白なままで
あればいいのに、、、、と

この年になれば
紙はしわくちゃで
ぼろぼろになり、
それでも、毎日字を書いているのだが
しわくちゃな紙では
きれいな字がかけないし、
書くスペースもどんどん
減ってきている。

それでも一生懸命
紙を伸ばして
余ったスペースに
できるだけ綺麗な字を書こうとしているのだが
どんどん難しくなってきている。

なんて
孫を見て
感傷に浸る“じじい”でした。
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投稿者: ryokusei
毎日、毎日、、、、


おさない頃、おやじが糖尿病で
毎日インシュリンの注射をしている
のを見てあまり痛がっていない様に
見えたし、
歯医者で、泣いている大人を見たことがなかった
ので、勝手に
大人になると痛みをあまり
感じなくなると思っていた。

大人はいいな、、

それと同じく
何の根拠もなく、
大人になれば
悩み事が減ると勝手に思い込んでいた。

もちろん、勝手な思い込みであったのだが、

最近、特に思うのが
年をとればとるほど
悩みが増える。

こういう仕事をしている限り
ストレスと共にいろんなことを
悩んでしまう。
こう見えても、患者さんのことは
引っかかると一日中
というかずーと
頭に抱えてしまう。

その上にさらに
年齢による体の悩みや
あと、どのくらい生きられるか
どのくらい仕事できるか
とか、年々悩みが増加してゆく。

あーしんど。

しかし、子供の頃に悩みが
無かったのかというと
そうではなく、結構、
悩みはあったもの。

それはどういうわけかというと
おそらく
人間10のことを考えられるとすると
悩むと全てそれにつぎ込むから
悩みが小さくても
その人にとっては
かなりのストレスになるのではないかと
思っている。
だから、他人からみれば、
小さな悩みでも
その人にとっては
とてつもないストレスになっている
のだと思う。

と、言うより
10のことに神経を使うのに
楽しいことがあれば
悩みに使う神経を
5とか6とかに減らせて
悩みも減るのかもしれない。

そういえば
最近
毎日楽しいことが
ないからなーーと

でもちょっとやそっとの
楽しいことでは
10使う神経のうち
9.9、せいぜい9.8ぐらいまでしか
下がらないかもしれない
と思う今日この頃でした。
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投稿者: ryokusei
皮膚が薄い!!

関連施設で、デイサービス2つショートステイ、
小規模多機能、特養と多くの
高齢者を抱えているので
まー毎日とは言わないけれど
しょっちゅう
皮膚の皮をはがしてくる。

皮膚が薄い上に
皮下の脂肪組織までへって
クッションまでなくなっているので
ちょっとしたことで
皮膚がベロンとはげる。

まるで服を釘に引っ掛けた様に
かぎ状にさけてくることが
よくある。

皮膚がはげると
皮膚が無くなっていれば
仕方ないので
ハイドロゲルという
皮膚の代わりの物をはって
皮膚が生えてくるのを待つのだが、

皮膚が残っていると
どうにか残っている皮膚を伸ばして
医療用のテープで固定する。
(もちろん、取れてしまった
皮膚は引っ付かないが、
どこかに引っ付いて血行が
のこっていればどうにかひっつく)
<br />
(この写真ではまっすぐになっている
のだが、実際はいろんな形んで
皮膚をはがしてくる。)

しかし、人間の体は良くできたもので
高齢でも傷は結構綺麗に
治ってしまう。

ただし、新陳代謝が
ちがうので、若いひととは
格段の治癒のスピードの違いはある。
(子供のころ海にいってその夜には
皮膚がはげていたのが、
年齢がいくとわすれたころに
剥げてくる)


皮膚の厚さとハリでいえば
若い人に注射で針をさすのと
高齢の人に針を刺すのでは
その感触が全然違う。
皮膚の厚さとともに
血管の弾力性がちがうので

皮膚に針をいれるときは
子供では皮膚が一旦へこんでから
入る感触があり
血管に針が入るときは
プツっという感覚があるが、
高齢になると
皮膚に刺した感覚がない上に
血管がもろくて細いので
すぐ突き抜けてしまう。

われわれは、日ごろ
こういう所からも老化というものを
ひしひしと
身に染みて感じているのです。
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投稿者: ryokusei
バカだからいつも空をみている。

私、子供の頃から
眼がいいからかどうかはわからないが、
とにかく空を見るのが好きで、
というか、
昔、バカは空ばかり見ている
風なことをだれかがいっていて
それは、おれのことか?とおもった
ことがある。

先ず、青い空に広がる
常に姿を変えてゆく雲を見るのが
大好きで、ずっとみていても飽きない。

綿の様にちぎれては
現れる。
夏にはもくもくと、刻刻
姿を変えてゆく入道雲
夕方や、朝には、
1秒、1秒色が変わって行く
それが好きで、、、、、
(ロマンチスト!!)

前にも行ったが
小さいときは雲の端々が
人の顔に見えて
死んだら雲になるんだ、、、、て
思っていた。
(かわい!!)

それが講じて、
高い空を飛ぶ、飛行機を眺めるのが
好きになり、
中、高生の時は、
飛行機の時刻表を手にいれて
空を飛んでいる、飛行機が
どこから、どこへ飛んでいる
飛行機なのかを調べるのが
すきだった。

家が忙しくて、旅行などしたこと
がない家庭だったので、
その飛行機をながめて、遠くに
思いをはせていたのかもしれない。

今は、インターネットで
Flightradar24
というホームページで
リアルタイムで今飛んでいる
飛行機の機種、高度、発着空港、
全てわかる。

それを見ながら
飛んでる飛行機を見るのも
結構、楽しい。

一回、そのホームページを
見てください。
世界で飛んでいる飛行機が
全て出ているので
面白い。。。ですよ
(もちろん、定時以外の軍用機などは
乗っていない。)
でも、政府専用機などは
ちゃんと載っている。

それが講じて飛行機の飛ぶ
音を聞いて機種がわかる様になってしまった。
珍しい音をきくと
病院の外にでて空を見上げるので
皆には、やや変人扱いされている。

夜は夜で
真っ暗な空を寝ころんで眺めて、
自分の体が夜空に浮かぶ様な
感触がするのが好きなのである。

しかし、今は、
忙しいやら、休みが少ないやらで
ゆっくり空を見上げることもなくなった。
逆に言うとそれだけ心のゆとりが
なくなったということ。。。
。。。。。。。。。。。
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投稿者: ryokusei
以外なひとこと

私も60台の半ばにはいって
あと何年いきられるだろうか
いつぼけるのだろうか
ということを
毎日の様に考える。

毎日、外来で高齢の人を
診察し、
介護施設で認知症の人を
診ているのだが、

つい最近
90を超えた女性の患者さんから
(結構しっかりした方)
”死ぬのが怖い“
という言葉をきいて
すごく印象に残った。

高齢の人から、
しょっちゅう
毎日することがない、
あるいは、体が思う様に
うごかないから
“わたしゃ、はよ、死しんだ
ほうがましじゃ“
ということはよく言われる。

いろいろな疾患に
薬をのませたり、指導を
しながら、よくその言葉を
かけられるので
なにかしらむなしい気持ちになるのだが、

90にもなると
そういう境地に達するのかと
思っていたが、

結局、その言葉は
裏をかえせば
“死ぬのが怖い”
と、いうことだったのだ。。。。

認知症の人は
自分の歳さえよくわからず
さすがになかなか
その境地にはいかないとおもうが
認知症がない人は
結局、高齢で頭の聡明な人は
毎日そう考えてるのだということに
気づかされた。

よく考えれば、90歳もこえると
重病で、余命いくばくもないと
宣言されているのと
かわらない状態なのだ。

先の院長が
認知症は
神様の贈り物と
よく言っていたそうだが、
年齢がいって
毎日、死への恐怖にさいなまれない
様にするには
認知症が一番と思っていたのかも
しれない。。。。。

と思いながら。
あと何年、元気で生きられるのだろうか
と考える自分でした。
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投稿者: ryokusei
ハリウッドの没落

今年もアメリカの
アカデミー賞の授賞式が行われたが、
映画好きの私としては
なにかしらの
寂しさを感じてやまない

21世紀に入ってから
特にこの10年
アカデミー賞の授賞式に
この映画界の没落を感じて
一抹の不安と
秋風を感じるのであった。

映画が生まれてから
100年余り
この1世紀の間は
娯楽の中心であった。
正月にもなると
映画館は、立ち見状態であった。

マスメディアは多様化し
映像文化自体は
いまだ趨勢なのだが、
その伝達形式としての
映画は、どんどん主役の座から
ころげ落ちている。

ハリウッドをまねて、
日本もアカデミー賞を作ったが、
いかんせん、作品数がすくなく、
特に製作費をかけた作品が
少なく、受賞作品は
予想がつくほど限られていた。

本場のアカデミー賞では
毎年、多彩で優秀な作品が登場して
受賞作や主演男優賞、女優賞も
予想がつかない状態だったのだが、
いまや、ほぼ予想がつくほど
秀作が少ない。

受賞される俳優たちも
いわゆる大スターたちだったのだが
今では、大スターさえ
ほとんど存在しない。


いまでは考えられないが、
10代のころは
映画館にそれほど
見に行けるわけでもなく
(基本、保護者なしでは
見に行くのは禁止されていた)
封切から4~5年たって
テレビで放映されているのを
楽しみに待っていた。

ビデオテープも普及しておらず、
必ずその時間にすべてを合わせ
なければならず、
それもテレビ用に短縮された
吹き替え版だったのだ。

日曜洋画劇場(淀川長治)
月曜ロードショー(荻昌弘)
金曜ロードショー(水野晴夫)
最初は水曜日で後に金曜日へ変更
ゴールデン洋画劇場(高島忠雄)土曜日
他、木曜日もあった。

それが、いまや
レンタルどころか
ネット配信で見る時代。
スクリーンから
スマホで見る時代へと
変遷してしまった。

つまり、本当の意味での
映画ではなくなっているのだ。

技術革新も素晴らしく、
いつか、俳優自体も
VXに置き換わってしまうかも
しれない。

バリバリの
昭和人間の私は
なにか寂しくて
むなしいぞ!!

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投稿者: ryokusei
かなり前に話したけれど

さる40年ほど前、学生であったころ
1年間、各科を2週間ずつまわって
臨床実習をする年があった。

いろんな科があったが、
内科、外科、耳鼻科、、、
内科は4科あるし、外科も2科ある。
脳外科、産婦人科、など
科としては20以上あるので
1年間ずっと病院の中を回っていた。

いろいろいったが、
実践で診て、初めて患者さんに接する。
本で診たものが実際に目の前にあらわれて、
実践の厳しさを体感するとともに
将来、自分がすすむ科、あるいは
医者として自分が進む方向性が
そこで決まるといってもいいだろう。

その中でも
一番衝撃を受けたのは
なんといっても
精神科であった。

2週間ずっと精神科病棟に
詰めっぱなしであった。
(病棟に入るのに鍵がいるので
各人、鍵を持っていた。)

そこで衝撃を受けるのは
患者さんが、
マジメに変なことをしているのである。

もちろん、あばれる様な
重傷者とはあまり接しないのだが、
一応、入院がいるような患者さん
なのである。

いもしない人と真剣にしゃべったり
一日中、意味もなく
うろうろ歩き回ったり、
いろいろな事を反射的にして
食べることはするが
その他は表情もなくじっと一点を
見ていたりとか、
変なことはするが、
しゃべったら
結構まともに喋れたりする。

1週間はまあ、いろいろ
見れて楽しいのだが、
2週目ともなると
どちらが正しいことをしているのかが
分からなくなってしまいだした。

マジメに変なことをしているのを
ずっと見ていると
ひょっとすると患者さんの方が
正常で、自分が変なのではないかと
思い出す。

つまり、正常という中心軸が
ずれ始めるのである。

この科だけは、できない!!
自分が変になる!!
と思ったものだった。

結局、人間の営みは社会共存の中
にあるので、それが
できなく、社会を乱してしまう
というのが基準になっているのだろう。


しかしながら、今の世の中、
正常という中心軸が
どこにあるのかわからない。
今の世の中
おじさんの目から見ると
マジメに変なことをしてる
人達が山ほどいる。

それが、だんだんひどく
なっている様な気がしてきて、、、

個人でいえば、
何でもかんでも自分が正義といわんばかりに
いろいろネットで人を批判したり、
国でいえば、
正当な理由をつけて
戦争、紛争したり、

自分が、中心軸からずれているのか
中心軸がかわってしまったのか、

気がつけば
私が変な人??
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投稿者: ryokusei
なにごともほどほどがよいのです。

これは、たしか
20年ほど前の役所広司が
主役の時代劇 “どら平太” という
映画で、終盤で主役の奉行が
藩の家老たちにいった言葉だった
様な気がする。

役所広司の名演と
力強いその言葉が
妙に頭に残っているのです。


医療の治療や、薬の投与、
ダイエットや、食事療法。
なにごともほどほどがいいのです。

医療では、昔
“low is better”
“低けりゃ低いほどいい“という
言葉が流行ったことがある。
ところがそれは
大きな間違い。。。。


例えば血圧で言えば真ん中が
年齢や疾患で少し違うが
収縮期血圧(高い方の血圧)
120~140が丁度いい
それより高いといろいろな
イベント(脳梗塞やら心筋梗塞)が起こり安い。

グラフで書くと
縦軸がイベントを起こる件数で
横軸が血圧とすると
真ん中に適正血圧がくる。

null
最近の研究でそういう事がわかってきたのである。


コレステロールなんかもそう。
低ければ低いほどいいかといえば
やはりコレステロールも
必用なもので
あまり低すぎてもよくない。
大体のことがそうなっている。

睡眠時間と認知の関係でもそうで
中心が6時間前後になる。
それより長くても短くても
認知の発生率が高くなるのである。

炭水化物ダイエットで
炭水化物を極端に減らす
ダイエットが流行っているが
決してlow is betterではない。

物事、何事もそうでしょう。

仕事のし過ぎもよくないし
休みすぎもよくない。

運動のし過ぎもよくないし
しなさすぎもよくない。

世の中、なにごともほどほどがよいのです。
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投稿者: ryokusei
これでいいのだろうか

最近、自衛隊で
パワハラで、かなり上の階級の
自衛隊員が処分されたとの
記事を見た。
詳細の内容は、わからないが、
内容的には暴力ではなく、
強くどなられたとか、、、、、、。

患者さんからの話で、
自衛隊の若い隊員が、
強い指導内容のことで
その親から苦情が出ることがある
という事例が結構あるらしい。

私にはわからないが、
ウクライナの状態を見ていると
死と隣合わせの戦場での
ストレスは、とてつもないものに
間違いない。
このままでは自衛隊、使い物に
ならないのではないか?


我々の世界、私の時代の
上からの指導は、
それは強かった。
いま、それをしたら
指導者の方のクビが飛ぶ。

“こんちくしょう”と思いながら、
早く、技術を学びとって
見返してやる。。。。。。
という気持ちを糧に
頑張ってきた記憶がある。

極端な話
ミスをしてすまされる世界ではない。
“マーそんなことをしたら
患者さんが死んでしまいますよ“
”次からは気おつけなさいね~~~“
ではだめだろう。

働き方改革で、長時間の労働が
ゆるされないなら、
時間が来たら手術やめる?
時間が来たら術者交代する?
目の前で担当患者さんが
亡くなりそうなのに、
時間がきたら当直の医師と交代する?
(今は本当にそうなっている)

私の時代は、
技術は、見て、盗んで得るもの
だった。
いろいろ、頑張って患者さんを診て
初めて上が認めて、少しづつ
教えてくれる世界だったが、

自分が医長になって入ってくる
若い医師は
来るなり“なにをおしえてくれるの?”
という者がでてきて、
いまはそれが当たり前。

同級生と切磋琢磨して、
競争していたのだけれども、
運動会のかけっこで
順番を付けない世代。

昔の医局では、
医局員の中には100人に2~3人ほどは
“こいつに人は診せられない”
というやつがいて
丁寧に研究畑につれていったものだったが、、、、
そんなことをすればパワハラ
(だから問題のある変な医者が最近
は多い??)

おそらくどこの世界でも
そうなのだろうが、
これから
この日本社会
いい方向にゆくのだろうか。。。

と思うこと自体が
老害か。。。。な?
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投稿者: ryokusei
おれはホワイトデーには何もせんぞ!!

今年もバレンタインデーに
沢山チョコレートをもらったのだが、
なにやら
おもい返すとなにやら
凄い風習だなと。。。。

丁度、私が中学の後半から
高校にかけて始まった
もちろん日本独自の風習で、
気が付けば、
クリスマス同様
まったく宗教的とはかけ離れた
風習が日本独自の形で広まったのは
日本人らしいといえば
日本人らしい。

お菓子屋さんが中心に作り上げた
風習であろうが、
いいとこをついている。

バカな男どもは、もらって
悪い気はしないのだから。
いまや、ホワイトデーのことで
頭を痛めるまでになってきているおのだから。



昔から、日本人は、どうも
他の国からいいとこどりを
したがる人種らしく
産業もしかり、
外国のいい物を見ると
直ぐ取り入れて
日本風にアレンジしてしまう。

江戸末期にアメリカ人が
蒸気機関車の模型をみせると
日本人は
初日におどろき
2日目にさわり
3日目にはそれを改造することを
考えていたという逸話がある。

この日本人の気質は、
江戸時代から明治、大正にかけての
奇跡的な西洋化、産業化に
帰依し、
戦後のすさまじい
奇跡的な復興から高度成長期を
生み出したことは間違いない。

その気質がこのバレンタインデーの
風習にも出ている様な気がする。

もはや、クリスマスも
バレンタインデーも本来の意味など
日本にはない。
それどころかホワイトデーまで作り上げて
しまった。

しかし、この気質
いまでは消失の一途をたどっている
気がする。

外国のいいところを取り入れるまでは
いまでもある程度できているが、
それを日本風にアレンジする力が
もう日本にはない。

ニュースをみれば政治と金どころか
一般でも、
金もうけや
安易に金を得る犯罪や話ばかり

と、バレンタインデーに
日本の国力の衰退と
人間性の衰退をなげく
ジジイでした。