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June 2024 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
テレビの番3

先週、ルマン24時間レースがあった。
ルマン24時間レースといえば
昔、スティーブマックイーンの映画が有名であるが、
結構、自動車レースが好きで
F1やルマンのレースをテレビで
見ていたのだが、

BSを含め、
どこを探してももう無料で
中継をやっていないのである。

今や、いずれも
有料コンテンツでなければ
観れなくなってしまった。
さすがに、金を払ってまで
観ようと思わない。。。。。

最近は、ボクシングなんかも
地上波でしなくなってきている。
主催者側は、有料コンテンツに
放映権を売った方が
収入がいいものだから
最近は、なんでもかんでも
有料で放映する様になっている。

つまり、今、現在は、
趣向が多様化して
コアなファンが金をはらって
それを観る時代になったのである。

だがしかし、
長期的に見れば、
おそらく、今後は私の様な
中途半端なファンが
減少して、そのコアな方面の
興味が薄れ去ってしまう様な気がする。

主催者にとっては、明日でなく、
今、儲かればいいと考えているに違いない。

大谷翔平選手の試合は
いま、何とか、NHKが放映しているが、
もし、これらの試合が
有料コンテンツだけになったら
昨年のWBCの試合が
有料コンテンツだけ放映していたら
大谷フィーバーなど起こっていないだろう。

もうすぐパリオリンピックであるが、
オリンピックも放映権料が
うなぎ上りで、今後有料コンテンツだけが
放映する様になるかもしれない。

そうなるといずれ
オリンピック自体の存在が
人々の興味から消失してしまうだろう。。。

それぞれの世界で生きている
人々は、決して、コアなファンだけに
観てほしいとは思っていないだろうし、
今後、そのジャンルが
世の中から忘れ去られることは望んで
いないだろう。。。。

この現代というのは
主催者側の商業主義と
その中で生きる人間の格差をどんどん広げて
行っている様なきがするのだが、、、、


このままでは
多様性の時代である現代は
稀薄性の未来になるのではないかと
危惧するのである。。。。

と、ルマンが見れなかった
淋しさで、
世の中に
八つ当たりするのであった。
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投稿者: ryokusei
テレビの番2

高齢の患者さんに毎日何している?
って聞いたら。
“草抜き”、”テレビの番“
という答えが圧倒的だったが、
(坂出はそんなに雑草がはえるのか?)

最近、70歳代の人ではあるが、
毎日何してると聞いたら、
YouTubeを見てる
という答えが返ってきた。

私は、以前から
テレビをあまり見ない方で
特にドラマ系統はあまり見ない人だが、
また、観る時間もないので、
日曜日に一週間の番組を確認して
観たいものだけ録画予約して
時間が空いた時に見ることがある。

それでも最近のテレビは見たいものが
激減している。

それもそのはず、
YouTubeを見れば
最近、宣伝がすさまじい。
観たいYoutubeを観るとき
その前に長いときは1分近いコマーシャルがでて
見ている途中でもコマーシャルが入る。

これでは、企業がテレビにお金を
出さなくなってきて、
それにつれて番組の制作費が減って
番組自体の質の低下がおこって
視聴率が減る。

それがもとで
スポンサーが減るという
制作費が減っていい番組が作れない
という
悪循環が止まらない状態だろう。


私も夕飯を食べる時はテレビを見ることが
多いのだが、
最近は、テレビにYoutubeが映る様に
なっているので
大谷のホームランを観るという様な
ことが増えてしまった。

このままでは
毎日何している?という問いに
もうすぐ
“Youtubeの番”
という答えが増えて来るのは間違いない。
。。。。。。。。。。。。


テレビで育ってきた
おじさんは、
もう少しテレビに頑張ってほしいな。


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投稿者: ryokusei
また一つ


もうすぐ私も64歳
毎日の通勤路で、自分が通っていた
小学校の横を通る。

今、住んでいるところが、
もともと子供の頃から住んでいる所
なので、小学校の
通学路にそって通勤している
様なものなのだが。。。。。

60年弱の年月は
周囲をほとんどかえてしまう。
それでも、
通っていた小学校周囲の建物は、
結構、残っていた。。。。

高松の県庁横にある小学校なのだが、

最近、その周囲の、
資生堂のビルと高松信金のたてものが
こわされていた。


その建物の横を通って
通っていたので
毎日、その建物がすこしづつ
壊されているのを見ると

昔の自分の思い出が少しづつ
壊されている様で
それを毎日見るのが
なにかしら、切なかった。

しかし、大きな発見があり、
そのビルが壊されたら、
その奥にあった
昔の中学校の体育館が現れた。
中学校の校舎はもうすでに
40年も前に壊されて
なくなっていたのだが、
体育館だけがそのままだったのだ。
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その体育館、実を言うと
1953年に四国国体があった時に建てられたもので
もうすでに70年(私が生まれる前)
たっており、中学校当時には
もうすでに雨漏りがしていた
体育館だった。

それが、昔の思い出と共に
表に現れたのた。

そういえば
丹下健三設計の
県立体育館(1964年)
の解体が決まったらしい
(何か淋しい)
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それでも
同じく丹下健三設計の
県庁(1958年)は、
(でかい今の県庁のよこでがんばっている)
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他にも
高松文化会館(1965年)
(いろんな建物の間にうまっているが)
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そして小学校の校舎(1965年頃)
(耐震強化で鉄枠がはいっているが)
は、いまも頑張って
けなげに立っている。

いまからも、私の思い出と
ともに頑張って立っていてほしいものだ。


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投稿者: ryokusei
だから何?の世界。


だいぶ前に書いたのだが
若いころ、博士号論文の研究をしていたころ
論文のテーマというのは、
研究室から直接与えられるのだが、
形式的には教授から
与えられることになる。

だから、月1回ぐらい
研究している人間は、
研究の進み具合を教授の前で
発表する会があるのだが、
研究内容は基礎の医学で
コアな世界であるから
教授がその内容がわかるわけがない。

私は、特殊な胃がんで進行癌でも
予後が比較的いい胃がんで
その理由を研究していたのだが、
していることは、
胃がん細胞の膜
にあるタンパク質が
免疫をになうリンパ球と接着して
その接着する要因を顕微鏡レベルで
調べていた。。。。。。

一般の人どころか
教授でもその内容はちんぷんかんぷんで、

私だけではなく、他の研究している
人間もほぼ同じ様なコアな世界であるから。

発表を聞いた後の教授の質問は
いつも
“それが臨床でどうやくだつの”だった。

こういう基礎研究というのは
それらの研究が寄り合って
検証していい結果がでたものの
研究がすすんでから
治療法への応用が研究されて
それから動物実験がはじまって
と、臨床への道はとてつもなく遠いのである。
やっている本人も研究の途中で
なんのためにやっているのか
分からなくなるぐらいである。


最近
テレビを見ていたら
蛍の研究をしている研究者が蛍のことを
遺伝子解析までして
詳しくしらべていた。
現在の種類、分布などなど、、、、

私があこがれる
宇宙の研究も、つきつめれば
それがわかって何になる?という
世界である。
宇宙の進化、広がり、物理法則、、、、、

医学はいくらかでも
うまくいけば、病気の治療に役立つかもしれない
のだが、
それらの研究は、人間の生活に
ほとんど役にはたたない。

でも、そんな研究者ほど
眼がらんらんとして
凄く、生き生きとしているのである。

そんな研究者たちに
昔からとてもあこがれるのである。


研究というのは
お金と心に余裕がなければできない。
結局は、
国に余裕がなければできない。

ウクライナの様に戦争中に
そんな研究ができるわけがないし、
金があってもどこぞの国に様に
人殺しの道具の研究ばっかりしている
国もある。

日本は、どんどん
金も心もなくなってきている。

コアな研究が
結局は人の心を豊かにするのだが、、、
それが、どんどんできなくなっている。

と、ふと悲しくなるのです。。
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投稿者: ryokusei
10年はひと昔

10年は早いといえば早いが、、、

最近、愛生苑で
診ている患者さんが亡くなった。

愛生苑では、
入所者とショートステイの
利用者がいるのだが、
(入所者は介護度が高く
ずっといる人で、ショートステイは
名目上は、家と泊まりを繰り返して
いる人なのだが、事実上は
介護度((介護2以下))がひくく入所の規定に
入らない人がおおいのだが、、、)
10年前から入所している
最後の一人だった。

10年前30人ほど入所者を
みていたのだが
この10年で一人また一人と
なくなって
ついにその一人が亡くなってしまった。

よく考えれば、10年前に
90歳の人は100歳になるのだから
入所者は
90歳を越した人が多いのだから
当たり前といえば当たり前なのだが、、、、、

この10年間で外来からショートへ
そして入所して亡くなった方も
いる。

10年前は、認知もなく、
自動車にのってきていて、
いまはショートに入っている
人もいる。


上里医院に来てから
それまで診てきていた人より
ざっと平均で20歳ほど
年齢があがっており
老化という
大病の前に
なすすべもない
自分の無力さに
まじめに
虚無感を感じるのである。

80歳を超えると
いろいろと急激に病気が増えてくる
またその中で
治療に対する
年齢という大きな壁が立ちはだかる。
そんな虚無感を
真面目に考えると
やっぱり鬱になる。。。。。

気を取り直して
老化に対する新しい論文を
読み漁ろうとして
英語という大きな壁にぶちあたり
1行よんだら睡魔が襲ってくる
むなしい毎日に耐える
上里医院10年目の
日々なのです。。。