また一つ


もうすぐ私も64歳
毎日の通勤路で、自分が通っていた
小学校の横を通る。

今、住んでいるところが、
もともと子供の頃から住んでいる所
なので、小学校の
通学路にそって通勤している
様なものなのだが。。。。。

60年弱の年月は
周囲をほとんどかえてしまう。
それでも、
通っていた小学校周囲の建物は、
結構、残っていた。。。。

高松の県庁横にある小学校なのだが、

最近、その周囲の、
資生堂のビルと高松信金のたてものが
こわされていた。


その建物の横を通って
通っていたので
毎日、その建物がすこしづつ
壊されているのを見ると

昔の自分の思い出が少しづつ
壊されている様で
それを毎日見るのが
なにかしら、切なかった。

しかし、大きな発見があり、
そのビルが壊されたら、
その奥にあった
昔の中学校の体育館が現れた。
中学校の校舎はもうすでに
40年も前に壊されて
なくなっていたのだが、
体育館だけがそのままだったのだ。
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その体育館、実を言うと
1953年に四国国体があった時に建てられたもので
もうすでに70年(私が生まれる前)
たっており、中学校当時には
もうすでに雨漏りがしていた
体育館だった。

それが、昔の思い出と共に
表に現れたのた。

そういえば
丹下健三設計の
県立体育館(1964年)
の解体が決まったらしい
(何か淋しい)
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それでも
同じく丹下健三設計の
県庁(1958年)は、
(でかい今の県庁のよこでがんばっている)
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他にも
高松文化会館(1965年)
(いろんな建物の間にうまっているが)
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そして小学校の校舎(1965年頃)
(耐震強化で鉄枠がはいっているが)
は、いまも頑張って
けなげに立っている。

いまからも、私の思い出と
ともに頑張って立っていてほしいものだ。