だから何?の世界。


だいぶ前に書いたのだが
若いころ、博士号論文の研究をしていたころ
論文のテーマというのは、
研究室から直接与えられるのだが、
形式的には教授から
与えられることになる。

だから、月1回ぐらい
研究している人間は、
研究の進み具合を教授の前で
発表する会があるのだが、
研究内容は基礎の医学で
コアな世界であるから
教授がその内容がわかるわけがない。

私は、特殊な胃がんで進行癌でも
予後が比較的いい胃がんで
その理由を研究していたのだが、
していることは、
胃がん細胞の膜
にあるタンパク質が
免疫をになうリンパ球と接着して
その接着する要因を顕微鏡レベルで
調べていた。。。。。。

一般の人どころか
教授でもその内容はちんぷんかんぷんで、

私だけではなく、他の研究している
人間もほぼ同じ様なコアな世界であるから。

発表を聞いた後の教授の質問は
いつも
“それが臨床でどうやくだつの”だった。

こういう基礎研究というのは
それらの研究が寄り合って
検証していい結果がでたものの
研究がすすんでから
治療法への応用が研究されて
それから動物実験がはじまって
と、臨床への道はとてつもなく遠いのである。
やっている本人も研究の途中で
なんのためにやっているのか
分からなくなるぐらいである。


最近
テレビを見ていたら
蛍の研究をしている研究者が蛍のことを
遺伝子解析までして
詳しくしらべていた。
現在の種類、分布などなど、、、、

私があこがれる
宇宙の研究も、つきつめれば
それがわかって何になる?という
世界である。
宇宙の進化、広がり、物理法則、、、、、

医学はいくらかでも
うまくいけば、病気の治療に役立つかもしれない
のだが、
それらの研究は、人間の生活に
ほとんど役にはたたない。

でも、そんな研究者ほど
眼がらんらんとして
凄く、生き生きとしているのである。

そんな研究者たちに
昔からとてもあこがれるのである。


研究というのは
お金と心に余裕がなければできない。
結局は、
国に余裕がなければできない。

ウクライナの様に戦争中に
そんな研究ができるわけがないし、
金があってもどこぞの国に様に
人殺しの道具の研究ばっかりしている
国もある。

日本は、どんどん
金も心もなくなってきている。

コアな研究が
結局は人の心を豊かにするのだが、、、
それが、どんどんできなくなっている。

と、ふと悲しくなるのです。。