医療関係者に感謝?

私はどうもひねくれ者の医者らしい

金曜日に医療関係者に感謝とか
いって、ブルーインパルスが東京の空を
飛んだようだ。
最近、医療関係者に感謝という
言葉があちこちから聞こえてくる。

ひねくれ者の医者は、どうも
この言葉に違和感を感じるのである。

私も若くて、大きな病院で働いていたら
このコロナ騒動の真っただ中で
働いていただろう。。。
今は、上里医院に勤務している以上、
高齢者施設をいくつも診ている関係上
どうしてもコロナの侵入阻止に必死な状態である。

若いころは、救急や、重症患者を沢山診ていた
私としては、ほんとうは、血沸き肉躍る

若いころの体力、気力があり、仕事自体の
しがらみがない状態ならこの騒動の
真っただ中に突入しただろう。

そんな中、
第一の違和感は、
なにか、働いている側が感謝を求めている
感がしてならないこと。

私の当時の医者は(やや教育が古めなのだが)
医者の免許をもらったからには
地位、役職がない若い医者は、
なにかあったら最前線で働くことが当然
のことであり、
安月給で、365日24時間働いていても
それが、医者になったからには
当然だと思っていた。

ひっきりなしに急患が来ようとも、
他の病院の理不尽な紹介があろうとも
その地域の主力病院として
黙々と仕事をしていた。
それが、地域の主力病院の若い
医者の当然の仕事と思っていたからである。
(忙しくて、潰瘍から出血する人間も多々いた)
(私はもちろんないが。。。。。。。)
(私の一つ前の世代の医者は、戦争になって軍医で戦場に
行けといわれれば行くことさえ覚悟していた世代)
決してそれをだれかに褒めてもらおうなんて
思って仕事をしているわけではなかった。

もちろん、今の医療関係者もそうであろうが
どうも、若干
褒めて、褒めて、と心のどこかで
言っている様な気がしてならない。

これぞ、ゆとり世代の
いわゆる
褒めて伸ばす世代が
中心になったための世の流れの様な
気がするのである。

もう一つは
どうも見せかけの感謝を感じること
(いいすぎ)

なにかツイッターで
“いいね” を押す様な
軽い気持ちで感謝と言っている
感が否めないこと。

また、外国で、そうしているから
日本でも、という感も否めない
(外国の医療機関は日本の比ではない状態!)
おそらく現場の人間は
感謝する前に
“用もないのにうろうろするな!”
”関係者をばい菌扱いして
差別するな!“だろう。

報道番組の司会者が
“専門家なのになんで病院で広がるのだろう”とか
厚生大臣が
“37.5度といったのは単なる目安です”
という言葉は
感謝の前に
現場の人間をいかに愚弄(ぐろう)する言葉か

このコロナ騒動の中で
いまの若い世代、いまの世の中に
なにか違和感を感じる
初老の医者であった。