最近、医学の雑誌を見ていると
とある慶応元教授が77歳でなくなった
ことが書いてあった。

その教授は、結構わかくして
教授になられて、めきめきと
頭角を表わせて、学会の頂点にたち
教授を退官してからもいろいろ
学会には力を振るっていた教授である
その世界ではブイブイ言わせていた。

言い方は悪いけれども、教授といえども
星の数ほどいらっしゃるから、
その中でもトップクラスの人である。
(最近は教授自体が美味しくないから
なりてが減ってきているが、、、、、)

そのニュースで思ったのが
人間死ねば一緒だな~~
というのと結構若くして死んだんだな~~

こう言う有名人がなくなっても
学会は結局なにもなかったように進んでゆくし
もちろん、医学会も何もなかったように進んでゆく
そして、時間とともに過去のもの
過去の人になってしまう。
そこになにかしら寂しさを感じる。。。。。

どんなに、有名でも無名でも
死ねば同じだな~と。

実は、私の親父も77歳で死んだ。
親父は、現役の香川県の医師会長で、16年間
やってきた医師会長の任期を1ヶ月あまり残して
死んでしまった。
当時の医師会長は、今とは比べ物にならないぐらい
いろいろ力をもっていた。
無論、日本医師会の中でも一目おかれる存在
だった上に、
議員でもないのにい香川県の自民党の副会長までしていた。
葬儀には日本医師会の各会長がやってきて
当時の香川県県知事やら各市長、
自民党の香川県選出の代議士がみんな
やってきた。

息子の私が言うのもなんだが、
裏表ぶいぶいいわせていた大きな人間だった。
しかし、実際は、いろいろ苦労もしていたし、、、
引退もしたかったであろう。

そんな父がしんでも、もちろん医師会をはじめ、
周囲は、何もなかったように進んでいったし
それが世の中である。

あの香川県が生んだ大平総理も然り
どんな大人物も現役でなくなっても
世の中は、何もなかったように進んでゆくし、
時間とともに忘れ去られる。

ばりばりの現役でしんでもそうなのである。

大物になる、有名人になるということの
意味はなんなのか。
いろいろな人間が
“小山の大将”“白い小塔”になりたがって
あくせくしているが、
その努力はその人の人生にとって
どんな意味があるのだろうか。

なんて真面目に考えてしまったりして。。。。。