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March 2017 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
ベンハーの映画を見て、その4の2の2

 人間というものは、朝、目が覚めれば新しい自我が始ま
って、一日、一日違う自己があるのだが、
いかんせん常に切り離せない過去を引きずって歩いてい
る。それだけに過去のものにノスタルジーを感じることは
決して悪ことではないし、当然のことだと思っている。

戸棚にしまっておいた古い本やCDのホコリを払いなが
ら色あせたその表紙や ひびのはいったCDケースを眺め、
時の流れを感じ
ページの隙間に書いた走り書きに、当時の自分がよみがえ

たまたまページの間に挟まっていた物になつかしさを感
じ、
,当時の宣伝広告にいろいろなものに憧れた当時のこと
を思いだし
レコードの雑音は世界をセピアに染める。

電子媒体の中の本や音楽は色あせたり傷んだりしない。
いつも新品なのである。
置く場所にもこまらない

この完璧さが今の世の中でどんどん広がっている
今後もどんどんそうなってゆくだろう。

でも匂いや味、香りはどんどんなくなってゆく気がする。

                一応 終わり
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投稿者: ryokusei
でも匂いや味、香りを感じない

私自身、結構新しもの好きで、決っして新しものを否定し
ているのではない。むしろ、畏敬の念さえ感じる。

毎年、年賀状が送られて来るなかで、宛名が手書きでな
い印刷のものに対して私は、なにかしらの寂しさを感じて、
昨年までは全て汚い字で宛名書きをしていた。
しかし、今年はついに忙しさにかまけて印刷にしてしっ
た。
確かに最初に住所を入れるのに手間はかかるが、来年から
は楽である。

印刷の宛名といえば、いつも漢字が間違ったまま
ずっと送られてくるものがあったり、20年前に亡くなっ
た父宛に最近まで宣伝公告関係の郵便が送られてきていた
のを見ると、やるせないものがある。

また、今では、いろいろな注文や問い合わせは24時間、
電話でいつでもできるものが多くなったが、、、
 電話すると“〇〇の方は1をそうでない方は2を、、、、”
番号を押すと再び“〇〇の方は1を、、、”が永遠につづくと
思わんばかりのガイダンスが始まる。
(途中で間違えると最初から、、、しまいには頭にくる)

電子媒体のやり取りは確かに早く確実であるが、本物の
買い物は店員とface to faceで、その人の顔色、状態、
声のトーンを聞いて、いわばお互いの駆け引きで初めて成
立するような気がする。

われわれの職業では、患者さんが診察室に入ってくる間
に、その人の状態、症状はもとより、身なりや年齢、匂い
(実はかなり重要)などで話が始まる前に会話の仕方を決
定しなければならない。(話し方一つで腹を割って症状を話
てくれるかどうかが決まる。“どうしたんなー”から“どう
されましたか”まで相手でさまざま)
ほんの3分で診断の行方が90%が決定するといっても過
言ではない。(10%は間違って修正するのに時間がかかる
のだが)

それだけに人より余計そう感じるのかもしれない。
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投稿者: ryokusei
ベンハーの映画を見て、その4の1

寂しさを感じるのは医療だけでない。

同じことを今の社会にも感じるのである。
確かになにからなにまでスマートで便利になった。

いるものがあれば、店に出かけて店員と話さなくてもネッ
トですぐ品物が買える。
人と連絡しようとすると携帯やメールですぐつながる。
夜中でも、休みの日でもコンビニに行けば、一応のものが
手に入る。(ちょっと高いが)
新聞を取らなくてもネットでリアルタイムでニュースが見
れる。

素晴らしい。

年賀状を送らなくとも一斉メールで簡単に多数の人に新年
の挨拶ができる。(年賀状の売り上げはガタ落ちで、その
年賀状さえネットですぐ注文できて、プリントゴッコはも
う昔の話で製造終了している。)
本を買わないで電子媒体で見るようになってきて、本や雑
誌の売り上げが格段に落ちてきている。
音楽は、CD(私の時代はレコード)を買わずにダウンロー
ドして聞いている。(昔は、聞きたい曲があったら、音楽番
組を見てテレビのスピーカーから流れる音楽を声を潜めて
直接マイクで取っていた時代さえもあった。)
それどころか、重たいウォークマンを腰につけなくても今は
それ自体を耳にイヤホンの様にかけられる。
音は、レコードの時代より格段に素晴らしい。

手軽。

かさばり重い英語や国語の辞書を鞄にいれて学校に持って
いかなくても電子辞書一つをひょいとポケットにいれれば
いい。

スマート。

最近は、医学の講演会も人を遠くから呼んで行うのではな
く、ウェブで全国一斉に行われることが多くなってきた。
学会の雑誌も電子媒体で送られてくる様になった。

経済的


なにもかもが、スマートで手軽で素晴らしい。

でも、、、、、、、、つづく
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投稿者: ryokusei
ベンハーの映画を見て、その3

ここからは、馬鹿な医者のたわごととして聞いてほしい。

実は、今の医療になにかしらこれら映画と同じことを感じ
るのである。

確かに、技術の進歩により、CT、MRIをはじめあらゆるも
のが、以前とは比較にならないほどに進歩し、診断技術は
格段に進んでいる。

しかるに、モニターに映る電子カルテや映像に見入ったり、
あらゆるデータの海のなかで診断する今の医療を見て
いると言葉には表せにくいが、なにかこのCG満載の映画
と同じ様に、感じるのだ。

今の医療は、あらゆるものにガイドライン(診断や治療方
針の指針を決めたもの)があり、これに沿った医療が行わ
れ、エビデンス(いろいろなデータの集計から出された結
果)をもとに治療が行われている。

そういう風に医療は、どれをとっても昔に比べれば格段に
良くなっている。
経験がものをいう時代ではなくなっている。
むしろ経験が邪魔をする時代になってきている。
(経験がものをいうのは患者さんとの接し方だけ、むしろ
これが大切なのかもしれないが。)

人工知能が人間の医者に取って代わる時代も近いに違いな
い。人工知能は、瞬時に大量の文献を解読し、集計する。
そんな真似は人間にはできず。
また、画像の読み取りも人間の読みを超えようとしている。

映画と同じで、完璧なのだが、何か物足りなさを感じるの
である。匂いや味、香りを感じなくなってきたのである。
                     つづく
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投稿者: ryokusei
ベンハーの映画を見て、その2

私は昔の映画の方に真のリアリティーを感じるのである。

それはなんなのであろうか。
今の映画には匂いや味や香を感じないのである。

昔のスペクタクル映画を見ていると
スタントマンがする危険なシーンでは、スタントマンが大丈夫
だろうか、けがしなかったのだろうか、あるいは痛かっただろうなーと
いう感覚を共有し
炎のシーンでは、出演者たちが感じた熱を感じ、あるいは、
スタントマンたちが火傷しなかったか心配し、
爆発シーンでは、出演者たちの危険を共有し、吹き飛ばされる
スタントマンたちの大変さを感じ恐怖心を自然と共有してしまう。
カーチェイスシーンでは、ドライブテクニックに圧倒され、
巧なカメラワークには、いかにしてとったのであろうかという疑問や思考
をめぐらせてしまう。
、数多くのエキストラや馬が出るシーンでは、統一した
動きを演出する大変さを考え、感心してしまう。

そんなスリリングな感覚は、画面が自然すぎてCGで作られたシーンには
それが感じられない。(それを作るのがどんなに大変でも)

さらにいうと、昔の怪獣映画では、怪獣がおこした風で家の瓦が一枚一枚
吹き飛ぶシーンや、張りぼてではないビルが(本物の様に内部もつくって
ある)壊されるシーンがある。
それを見て間違っても本物とは思わないし、現実の実物とはとても考えら
れないのだが、そこまで突き詰める製作者のこだわりが、実物以上に実物
を感じさせるのである。
img_2[1].jpg


また、一回しか壊したり、燃やしたりできない、一発勝負の緊張感さえ感
じるのである。

今の映画の方が、映像でいえば、文句なくすばらしい。逆にいえば非の
打ち所がない。その映像は余りにもナチュラルに存在する。

しかし、昔の映画には
いまの映画にはない匂いや味や香りそして汗を感じ、
そして臨場感を感じてしまうのである。
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投稿者: ryokusei
ベンハーの映画を見て その1

 先日、テレビをつけたら偶然、映画“ベンハー”の有名な4頭馬車の競争シーンをやっ
ていた。(今年、リメイクが公開されるらしいが)この映画は、1959年公開の映画で
あるが、何度見てもこのシーンは、迫力が色あせない。いまでは考えられない、巨大な
セットと無数のエキストラ、時間をかけた撮影、まさにハリウッド全盛期の
大スペクタクル映画である。
ベンハー.jpg
d0140745_5254299[1].jpg

 それを見ていて気が付いたのだが、
今の映画にはない、臨場感と緊張感、迫力、そしてリアリティーを感じてしまった。

最近の映画は、CG技術が凄まじく、
壮大さでいえば、広大な宇宙、ありえないような大自然、
セットでは組めない大きな建物、
視線でいえば、いままでに描けなかった視線からの映像、カメラワーク
3D画像。
スリリングでいえば、クラッシュシーンや爆発シーンの迫力
人数でいえば、エキストラではできない何万人も出ているシーン。
描写でいえば、主人公が実際にふきとんだり、炎の中からでてきたり、
いままでには描けなかった描写や、
スタントマンでもできなかった危険なシーン
どれをとっても昔の映画とは比較にならないぐらいの迫力がある。

スターウォーズシリーズやターミネーターを続けて見るとその差を痛切に感じる。

“ET”の有名な、自転車で空を飛ぶシーンなどは、当時は違和感なくみていたが、
いまでは、合成丸出しである。
 子供のころ見ていたゴジラは人がはいった着ぐるみであるし、戦車は花火をチラシ、
飛行機はピアノ線でつってあったが、最近見た“シン、ゴジラ”は、実写と見間違える
ほどリアルである。

 にもかかわらず、私は昔の映画の方に真のリアリティーを感じるのである。