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投稿者: furujinmachi
先日、患者さんがインフルエンザに感染して、そのあとから調子が悪いとおっしゃってました。特にストレスもなかったのだけれども、ということで不思議に思っているとのこと。
ウイルス感染後で高熱が出たあとにうつ状態になることが多いのですが、案外知られてないのかなと思います。
コロナ感染後は後遺症として「ブレインフォグ」と言われる病態が一時期話題になったように思います。
ブレインフォグの主な症状は以下のようなものになります。
・集中困難・注意散漫
・記憶力の低下(短期記憶が特に)
・言葉が出にくい、会話が困難
・複雑な作業ができない
・思考の鈍さ、遅さ
これらの症状は、うつ病と類似しているものが多いです。
コロナに限らず、高熱を出す感染症にかかると、脳内にも炎症の影響が及び、特に炎症性サイトカインの増加と感染後抑うつ症状の関連が強いと言われています。自律神経の不調が強くなる人も多いです。インフルエンザ感染後にうつ状態になったり、元々抱えている精神症状が悪化したりすることもよくあります。
これらの後遺症は、しばらくすると改善することが多いです。なので、「高熱を出して脳が少し疲れたんだな」くらいで受け止めておいてもらえた方がいいかなと思います。長引くようであれば抗うつ薬の追加・増量を検討します。
まず、高熱の出るウイルス感染後には一時的にうつが悪化することがある、ということを知っていただくこと。知っておくと、原因が分かり、それだけでも安心する部分があると思います。
その上で、次のような点に気をつけていただければと思います。
・無理をしないことが第一:休息を「投資」と考え、回復のための時間と捉える
・生活リズムを整える:毎日同じ時間に起き、食事・入浴・睡眠のリズムを意識する
・活動は少しずつ段階的に:疲れたら一度止まり、「今日はここまで」と決める
・深呼吸・ストレッチ・温める習慣を:自律神経を整えるために、ゆったりした呼吸・軽い運動・入浴が効果的
・不安や落ち込みも自然な反応:「こんなふうに感じるのは自分だけではない」と知ること
コロナ感染の報告もまだ定期的には聞きますし、どんなに気をつけていても、集団生活をしている中で感染を起こしてしまうことはあります。感染後にうつ状態になり、なかなか改善しない(1ヶ月以上続く)場合には、精神科/心療内科へ相談に来ていただけると、一緒に対策を考えることもできますし、すでに通院中の方は、主治医の先生に報告するようにしていただければと思います。
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投稿者: furujinmachi
「どうして私はこんなにダメなんだろう」「また失敗してしまった」。ふとした瞬間、こんな言葉が頭に浮かぶことはありませんか?誰かに言われたわけでもないのに、自分自身に対して、まるで厳しい上司、厳しい親、厳しい先生のような言葉を投げかけてしまう。こうした「自分への語りかけ」は「セルフトーク」と言われ、その影響力の大きさは、種々の心理療法で指摘されています。
私たちは普段、他人に対しては気をつけて言葉を選びます。相手を傷つけないように、勇気づけられるように、やさしい言葉やいたわりの言葉を探そうとします。けれど、自分に対しては、どうでしょうか?ミスをしたとき、疲れて動けないとき、うまくいかないとき―そんな場面で、自分を責めるような言葉がすぐに出てきてしまうのは、とても多いことです。
私自身も、なかなか自分にダメ出ししてしまうクセが抜けませんでした。でも、1日の中で、自分自身に一番多く語りかけているのは、他ならぬ自分自身です。その自分が、自分の自己肯定感を下げるような言葉やイメージをずっと繰り返していると、それは自分に良い影響を与えません。そこで、自分で自分を責めるような気持ちになっていることに気づいたら、意識してそれを変えるように練習するようにしました。
調子の良いときに、自分を肯定的に捉えることは比較的容易です。でも調子の悪いときこそ、それ以上に自分をいじめないように、自分に追い打ちをかけないように、弱っている自分をいたわるように、自分自身に語りかけること。そのことは、意識していないと実際には難しいです。
でも、もしこれが友達だったら、大切な家族だったら、なんて声をかける?そんな風に考えて、弱っている自分にかける言葉を探しました。
「疲れてるんだから、休んでいいよ」「しんどい中でよく耐えてるね」「いっぱい悩んでいっぱい考えてること、知ってるよ」
そんなふうに、自分にやさしい言葉をかける練習を重ねるうちに、自分に対して肯定的に思える気持ちが増えてきました。
自分への言葉は、自分自身に向けた「栄養」のようなものです。厳しい言葉は、ストレスホルモンを増やし、体の回復力を下げてしまうことがあります。反対に、あたたかく思いやりのある言葉は、自律神経や免疫系に良い影響を与えることが、さまざまな研究でも示されています。
たとえば、今日一日の終わりに、「また何もできなかった」と自分を責める代わりに、「今日も一日、よくがんばったね」と言ってみる。
朝起きたときに、「今日も不安だ」と思う自分に、「そんなふうに感じるのも自然なことだよ」と寄り添ってみる。
そんな小さな言葉の積み重ねが、自分との関係性をあたたかくしてくれます。
自分にやさしい言葉を選ぶことは、甘やかすことではありません。
それは「今の私」に目を向け、「今できること」を大切にする姿勢です。
もし、あなたが大切な友人に声をかけるとしたら、どんな言葉を選ぶでしょうか?
その言葉を、どうか自分自身にもかけてあげてください。
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投稿者: furujinmachi
これまでの原稿をまとめて一つの原稿に仕上げました。
タイトル「医師になってからの四半世紀を振り返って」
精神科の新薬が次々と開発・販売された時代
私はちょうど、2000年、ミレニアムの年に医者になりました。自分がもう四分の1世紀も医者をしていることになんだか驚きを感じます。働き出した頃は、精神科はまだ「定型抗精神病薬」「三環系抗うつ薬」が主流で、ほぼ100%院内処方でした。リスパダールが1996年、ルボックスが1999年、パキシルが2000年、セロクエル・ジプレキサが2001年の販売ですので、新規の薬がどんどん販売されたときでもありました。これまでの治療が大きくかわっていく転換期だったと思います。
2002年には、「精神分裂病」が「統合失調症」へ病名変更されました。正直、現場ですぐに何か変わったか、という実感はありませんでしたが、病名を告知し、治療についてもきちんと説明をするという流れになっていったと思います。
また、精神保健福祉法が改正され、名称も「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に変わりました。今まで、差別や誤解、偏見の大きかった「精神科」という分野に、少しずつ変化が起きていったように思います。
それから、香川県内のことで言うと、2003年10月に、香川医科大学と香川大学が統合し、新たに香川大学として発足しました。この時私は大学院生だったのですが、母校の名前がどのようになるかが、気が気ではありませんでした。「香川医科大学」であった時は、私立大学なのか、専門学校なのかといった誤解も多く、「香川大学の医学部になる」というのが一番シンプルで良いと思っていたのですが、一部の人たちの中には新たな名前にしたいという動きもあったようで、「香川総合大学」とか「香川国際大学」とか、そのような名称になると、逆に国立大学と認識してもらいにくくなりそうに感じていました。香川県出身者としても、地元の大学が、特殊な名称になるのは抵抗があり、結果的に「香川大学」に落ち着いたことでホッとしました。私自身の学歴は、「香川医科大学卒業、香川大学医学部大学院卒業」といった形になり、大学院だけ別の大学に行ったみたいになりました。この統合により、のちに心理学科が教育学部から医学部に移ることにもなりました。
この頃は、非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピンなど)や、SSRI(パロキセチン、フルボキサミンなど)が本格的に普及しだし、もう毎年のように新しい薬が出て、薬物治療が大きく様変わりしていきました。治療の選択肢が増えたのは嬉しい一方、それぞれの薬に特徴があり、使いこなす前に次の薬が出てくるような状況で、いったい目の前の患者さんにどの薬を処方すればいいのか、迷いも多かったように思います。
「大人の発達障害」の広まりと、単剤化の流れ
2005年に、発達障害者支援法が施行されました。このことは、発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。また、法律の制定に加えて、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったのではないでしょうか。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになっていきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきた頃でもありました。しかし、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
これからはトラウマと依存症の時代
2013年には「障害者総合支援法」施行があり、長期入院患者の地域移行・退院支援が制度的に推進されていきました。
そんな時代の中、2016年に、私自身が、古新町こころの診療所を開業しました。精神科の外来治療に注力していきたいという、かねてからの夢を叶えました。来年で開業10年になりますが、開業してからの日々は本当にあっという間に過ぎていった感じです。
開業した翌年の2017年に、公認心理師制度が開始となり、国家試験が始まりました。私は当時臨床心理士を取得しており、受験資格を有していましたので、翌年2018年に受験し公認心理師の資格を取りました。しばらくは公認心理師の資格は医療現場に反映されておりませんでしたが、昨年の診療報酬改訂より心理支援加算が算定可能になり、今後ますます医療現場での活躍が期待されます。精神科医療における心理職の役割が明確化していくなかで、チーム医療の意識も徐々に強くなってきました。
そして、2020年。新型コロナウイルス感染症が拡大しました。当時は、本当にどうなるのかと思っていましたが、今振り返っても大変な数年間だったと思います。メンタル不調者は明らかに増え、自殺される方も増加。経済的な問題も大きく影響したと思います。
この頃に、オンライン診療が特例的に導入・拡大され、昨年の診療報酬改訂より通院精神療法もオンライン診療の対象となりました。個人的には、研修や学会がオンラインで受講できるようになり、自己研鑽の機会が増えたことはとてもありがたく感じています。
コロナが開けてきてからは、精神医療のアウトリーチの増加、訪問看護を利用される方が増えてきたことを感じます。また、メンタル不調の方の休職者の増加に伴い、精神科医が産業領域に関与する機会が増えてきました。
発達障害がトレンドだった2010年代を経て、2020年代以降はトラウマと依存症の時代になると言う人もいます。たしかに、発達性トラウマや複雑性PTSDの話題は、学会でもたくさんのシンポジウムで取り上げられるようになってきました。また、ゲーム依存やオンラインカジノの問題などは社会的にも大きくなっています。そのような社会情勢を踏まえると、これからの精神科診療は多様化と細分化の時代になっていくのかもしれません。発達障害、トラウマ、依存症など専門性が求められる時代になると、それらは医師だけで対応が難しくなり、診断に基づいた多職種による支援、地域連携を含めた統合的役割の中心を診療所が担う時代になっていくと思われます。
そんな中で、医師の働き方改革も進んできています。医師も含め、医療従事者が決して過労で倒れないよう、自分たちの働き方を考えつつ、これからの医療の流れに対応していきたいと考えています。医療DXやAIの飛躍も気になるところです。いったい、これからの時代に何が必要とされるか、常にアンテナを張りながら、目の前の患者さんの少しでもお役に立てるような医療の提供を目指して、これからも精進していきたいと思います。
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投稿者: furujinmachi
原稿作成の続きです。
2013年には「障害者総合支援法」施行があり、長期入院患者の地域移行・退院支援が制度的に推進されていきました。
そんな時代の中、2016年に、私自身が、古新町こころの診療所を開業しました。精神科の外来治療に注力していきたいとの思いから、かねてからの夢を叶えました。来年で開業10年になりますが、開業してからの日々は本当にあっという間に過ぎていった感じです。
開業した翌年の2017年に、公認心理師制度が開始となり、国家試験が始まりました。私は当時臨床心理士を取得しており、受験資格を有していましたので、翌年2018年に受験し資格を取りました。しばらくは資格が始まっても、医療現場に反映されておりませんでしたが、昨年の診療報酬改訂より心理支援加算が算定可能になり、今後ますます医療現場での活躍が期待できます。精神科医療における心理職の役割が明確化していくなかで、チーム医療の意識も徐々に強くなってきました。
そして、2020年。新型コロナウイルス感染症が拡大しました。当時は、本当にどうなるのかと思っていましたが、今振り返っても大変な数年間だったと思います。メンタル不調者は明らかに増え、自殺される方も増加。経済的な問題も大きく影響したと思います。
この頃に、オンライン診療が特例的に導入・拡大され、昨年の診療報酬改訂より通院精神療法もオンライン診療の対象となりました。個人的には、研修や学会がオンラインで受講できるようになり、自己研鑽の機会が増えたことはとてもありがたく感じています。
コロナが開けてきてからは、精神医療のアウトリーチの増加、訪問看護を利用される方が増えてきたことを感じます。また、メンタル不調の方の休職者の増加に伴い、精神科医が産業領域に関与する機会が増えてきました。
発達障害がトレンドだった2010年代を経て、2020年代以降はトラウマと依存症の時代になると言う人もいます。たしかに、発達性トラウマや複雑性PTSDの話題は、学会でもたくさんのシンポジウムで取り上げられるようになってきました。また、ゲーム依存やオンラインカジノの問題などは社会的にも大きくなっています。そのような社会情勢を踏まえると、これからの精神科診療は多様化と細分化の時代になっていくのかもしれません。発達障害、トラウマ、依存症など専門性が求められる時代になると、それらは医師だけで対応が難しくなり、診断に基づいた多職種による支援、地域連携を含めた統合的役割の中心を診療所が担う時代になっていくと思われます。
そんな中で、医師の働き方改革も進んできています。医師も含め、医療従事者が決して過労で倒れないよう、自分たちの働き方を考えつつ、これからの医療の流れに対応していきたいと考えています。
原稿としては、これでまとめて提出してみようと思います。なんとか書き上げられてホッとしました。
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投稿者: furujinmachi
原稿作成の続きです。
2005年に、発達障害者支援法施行。発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。この法律ができたことよりも、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったように思います。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになってきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきたところで、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
もう少し続きます。
2005年に、発達障害者支援法施行。発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。この法律ができたことよりも、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったように思います。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになってきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきたところで、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
もう少し続きます。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
原稿を書く話の続きです。
私はちょうど、2000年、ミレニアムの年に医者になりました。自分がもう四分の1世紀も医者をしていることになんだか驚きを感じます。働き出した頃は、精神科はまだ「精神分裂病」や「定型抗精神病薬」が主流で、ほぼ100%院内処方でした。リスパダールが1996年、ルボックスが1999年、パキシルが2000年、セロクエル・ジプレキサが2001年の販売ですので、新規の薬がどんどん販売されたときでもありました。これまでの治療が大きくかわっていく転換期だったと思います。
2002年には、「精神分裂病」から「統合失調症」へ病名変更されました。正直、現場ですぐに何か変わったか、という実感はありませんでしたが、病名を告知し、治療についてもきちんと説明をするという流れにはなっていったと思います。
また、精神保健福祉法が改正され、名称も「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に変わりました。今まで、差別や誤解、偏見の大きかった「精神科」という分野に、少しずつ変化が起きていったように思います。
それから、香川県内のことで言うと、2003年10月に、香川医科大学と香川大学が統合し、新たに香川大学として発足しました。この時私は大学院生だったのですが、母校の名前がどのようになるかが、気が気ではありませんでした。「香川医科大学」であった時は、私立大学なのか、専門学校なのかといった誤解も多く、「香川大学の医学部になる」というのが一番シンプルで良いと思っていたのですが、一部の人たちの中には新たな名前にしたいという動きもあったようで、「香川総合大学」とか「香川国際大学」とか、そのような名称になると、逆に国立大学と認識してもらいにくくなりそうに感じていました。香川県出身者としても、地元の大学が、変わった名称になるのは抵抗があり、結果的に「香川大学」に落ち着いたことでホッとしました。私自身の学歴は、「香川医科大学卒業、香川大学医学部大学院卒業」といった形になり、大学院だけ別の大学に行ったみたいになりました。この統合により、のちに心理学科が教育学部から医学部に移ることにもなりました。
この頃は、非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピンなど)や、SSRI(パロキセチン、フルボキサミンなど)が本格的に普及しだし、もう毎年のように新しい薬が出て、薬物治療が大きく様変わりしていきました。治療の選択肢が増えたのは嬉しい一方、それぞれの薬に特徴があり、使いこなす前に次の薬が出てくるような状況で、いったい目の前の患者さんにどの薬を処方すればいいのか、迷いも多かったように思います。
少しずつ書きます。
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投稿者: furujinmachi
昨日、記念すべき100号になる香川県精神保健福祉協会の機関誌「香川精神保健」に原稿を書くことになった件について書きました。
私が医者になったのが2000年です。そのあと精神医療界で何があったか、それから私自身に何が起きたか時系列で並べてみました。
2000年
精神科はまだ「精神分裂病」や「定型抗精神病薬」が主流。
院内処方が多く、薬局との連携も限定的。
2002年
「精神分裂病」→「統合失調症」へ病名変更(偏見緩和と早期介入促進)。
精神保健福祉法が改正され、名称も「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に。
精神医療における「説明と同意」「権利擁護」への関心が高まり始める。
2003年10月
香川医科大学と香川大学が統合し、新たに香川大学として発足。
2003年〜2004年
非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピンなど)の使用が広がる。
抗うつ薬としてSSRIが本格的に普及(パロキセチン、フルボキサミンなど)。
2024年12月
私自身が大学院卒業。
2005年
発達障害者支援法施行。小児領域中心だった発達障害が精神科外来でも注目される。
医療観察法施行。重大事件を起こした精神障害者の治療と社会復帰の枠組み整備。
2005年4月〜7月
香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代。
2025年8月
私自身が、大学から転勤して精神科病院勤務。
2006年
自立支援医療(精神通院)制度開始:自己負担1割、公費負担の仕組みが一元化。
精神科外来通院の継続性・アクセスが大きく改善。
「障害者自立支援法」施行。福祉サービスの利用が制度的に整備。
2007年4月
私自身が、香川大学医学部附属病院勤務に戻る
2007年〜2009年
メンタルクリニックが都市部で急増。軽症・ストレス疾患の受診が増加。
「うつ病は心の風邪」から「うつ病は誰でもなる」へと、社会的認知が広がる。
2010年頃
抗うつ薬の多剤併用が社会問題に(「ポリファーマシー」への反省)。
自殺総合対策大綱策定(2010年)→自殺者数が減少。
2013年〜2014年
「障害者総合支援法」施行(2013年)。
長期入院患者の地域移行・退院支援が制度的に推進される。
2016年
私自身が、古新町こころの診療所開業。
2017年
公認心理師制度開始(第1回国家試験)。
精神科医療における心理職の役割が明確化、チーム医療の強化。
2020年
新型コロナウイルス感染症拡大
うつ、不安、孤立などのメンタルヘルス不調が社会全体で増加。
オンライン診療が特例的に導入・拡大。
2023年〜2024年
精神科病床の縮小方針が明確化。社会的入院の解消と地域支援へシフト。
精神医療のアウトリーチ(訪問看護、ACT)の活発化。
2025年
精神科診療は多様化と細分化へ:発達障害、依存症など専門性が求められる時代。
新規抗うつ薬、非定型抗精神病薬が主流となり、個別化・副作用マネジメントが重要課題に。
精神科医は薬物療法だけでなく、診断・支援・地域連携を含めた統合的役割を担うように。
2000年以降の精神科は、「偏見からの脱却」「地域へ」「多職種・多角的支援へ」という大きな潮流の中にあったと言えそうです。ここまで必死に働いてきましたが、社会的にも大きな変革の中で働いてきたんだな、と感じます。これらをまとめて記事にしていきたいと思います。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
香川県には香川県精神保健福祉協会という機関があり、私の所属する古新町こころの診療所もその協会員になっています。そしてその中でも私は広報委員になっています。広報委員は毎年2回発行される機関誌「香川精神保健」の内容について相談し、原稿の依頼をしたりといった業務を担当しています。委員は数名いて、持ち回りで機関誌の主担当者になるんですが、今回は私が主担当の回です。そしてなんと、今回は、機関誌が第100号になるという記念号です。
なので、いつもよりちょっと豪華版にして、各病院/診療所の理事長・院長先生に、「香川県の精神保健のこれまでとこれから」という内容で、思いの丈を執筆いただく、という企画にすることが決定しました。
これから、各病院/診療所の先生に執筆の可否をお伺いし、書いていただける先生からは原稿をいただいて、内容を査読し、校正する作業に入っていきます。事務手続きは事務員さんがテキパキとして下さるので、私の仕事は査読校正の部分と、あと私自身も診療所の理事長ですので、自分が記事を書かなければなりません。
前半でこれまでを振り返り、後半でこれからの話を書くのですが、とはいえ香川県精神保健の重鎮達の中で考えると私なんかは若手も若手なんで、これまでを多く語るのははばかられる感じですね。これまでよりこれからにウエイトを置いて書くようにしてもいいのかなと思ったり。
私は香川県以外で働いたことがないので、香川県の特徴が何かと言われると難しいところもあります。ただ、自分がこれまでに働いてきて感じたことや思ったことのうち、この地域ならではと思われることに関しては積極的に取り上げてもいいのかなと思います。県民性だったり、そういうところで感じることがあればそれも書いてもいいのかもしれません。これからの展望に関しても、この地域ならではの問題点やそこから考えられる今後の対策などの話が出来たらいいようにも思います。
まずは、私が医者になってから、これまでの医療界での変化、特に精神科を中心とした変革点と、私自身の勤務先の変更、就労環境の変化などを時系列にして、それを元に感じたことや考えたことを書きたいと思います。その後に、今後の展望として、社会全般的に見た心配している点や期待している点、自分自身・診療所として頑張っていこうと考えている点などを書きたいと思っています。
出来事の時系列はchatGPTが助けてくれるので助かりますね。あとはそれを手がかりに、自分の記憶を思い出して書いてみようと思います。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
この本も再読なのですが、とにかく昨今のトラウマ対応の重要性を踏まえ復習しようと思いました。
対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD:問題と障害の正しい理解から対処法、接し方のポイントまで
amzn.asia
1,650円
読みたいと思った動機
まず、トラウマ・PTSDについてきちんと知識を持ち、正しく対処できるようになりたいということ。このシリーズは、何をするべきかがはっきり提示されているので、とても参考になります。
得たい知識
トラウマ・PTSDに対する正しい知識。そして正しい対応、治療法。
忙しい臨床の中でも使えそうなものがあればそれも知りたい。
対人関係療法でトラウマケアをする最大の特徴は、他のトラウマケアと違って、トラウマそのものにはあまりアプローチしない、という点だと思います。トラウマを思い出したり、トラウマに対する処理を何かする、ということは原則しません。トラウマを受けた結果として、今何が起こっているのかを理解し、周囲の人にも理解してもらうことを一番重視しています。そして、本人が少しでも安心していられるように、どう対処したらいいのか、それを話し合って考えていくというのが治療になっていくと言えると思います。
対人関係療法全般で言えることだと思うのですが、心理教育をけっこうしっかりやるんですよね、そして本人や周囲が困っていることが、本人の「性格」なのか、病気の「症状」なのかをきっちり分けていく、という作業を丁寧にやります。きちんと見ると、困りごとの多くは「性格」ではなく「症状」だということが分かります。
トラウマ反応で多いのは、解離と過剰反応です。解離すると、本来感じるべき感情を感じずに、記憶すら曖昧になってしまいます。これは、辛かった出来事を乗り切るために本能的に脳が対処していることで、本人は何も悪くありません。解離をよく起こす人は、感情を感じにくくすることでストレスを乗り切ろうとしていて、大きなトラウマ体験の時にはそれがもちろん有効な対処法なのですが、平時の時に解離ばかりしているとおかしなことになってきます。楽しみや喜びなどポジティブな感情も感じられなくなったり、日常のことをあまり覚えていなくて、生活の支障が出たりします。その場合には、解離したときに、本当は何を感じていたのかを考える練習をしていく必要が出てきます。治療者の方から、「こういうときは腹が立ったりすることが多いですね」「そういうときには悲しくなるのが一般的です」といった提案をして、本人が自分の感情に気づけるようサポートすることもあります。
過剰反応の人の場合は、何か自分が「危険」と感じる出来事に遭遇すると、すごく攻撃的になったりします。自分へ攻撃性が向いて自傷行為になることもありますし、周りに攻撃性が向いて暴言、暴力という行為に出ることもあります。そのときに、周りの人が「攻撃された」と受け止めると、喧嘩になってさらなる二次トラウマになることがあります。周りの人が、「ああ、この人は今攻撃されたと感じて、ひたすら自分を守ろうとめちゃくちゃに反撃してきているんだな」と、冷静に捉える練習をすることが大事になってきます。このような対応のコツが症例を通して書かれていて、トラウマの人にどう接すればいいのか、すごくイメージしやすくなっています。
トラウマ体験に直接アプローチしない治療法として、周囲の人の関わりとしてもとても参考になる図書でした。
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投稿者: furujinmachi
マインドフルネスについては、リワークデイケアの記事でも少し触れました。
先日、患者さんがマインドフルネスの研修会に参加してとても良かったと感想を話されていました。ただ、そこで教えてもらったマインドフルネスが、呼吸のマインドフルネスで、1日3分から5分ほど、じっと座って呼吸に集中し、雑念が湧いたらそっと横に置くといった方法でした。王道のマインドフルネスと思います。しかし、慣れてないとこの3分から5分ほど、ただ呼吸をして過ごすというのはけっこう大変だったりします。
この王道のマインドフルネスを日々やって見るのはとても価値があると思います。本当に、ただ呼吸に意識を向けるだけなのですが、その時間を3分程度もつことで、日常の認識が色々とかわってくると思います。
しかし、いわゆる王道のマインドフルネスをしないと、マインドフルネス体験が出来ないかと言われたら、そうではないと思います。マインドフルネスの技法は、日常のいろんな場面で実戦可能であると考えています。
マインドフルネスには3つの錨があると言われています。音、呼吸、身体感覚です。これらに意識を向けることで、日常の中でマインドフルネスを実践していけると思います。
マインドフルネスの目的の一つは、「今、ここ」に自分の意識を戻すことにあります。私たちの気持ちがしんどくなっているときは、意識が過去か未来に飛んでいることが多いのです。過去の辛かったことや嫌だったことを思いだしている、あるいは未来の不安や心配で心がいっぱいになっている、そのようなときに、私たちの気持ちはしんどくなります。ちなみに、未来の不安や心配も、過去の体験やこれまで見聞きしたことから派生していることがほとんどで、未来のことを考えて苦しくなっているときも、過去にとらわれているとも言えます。
そこで、過去や未来に飛んでいる思考を、「今、ここ」に戻すことで、心の平和を取り戻していくのです。「今、ここ」自体には、脅威も敵もないことがほとんどなのです。「今、ここ」のフラットな状態に自分を戻していくのに、3つの錨が役に立ちます。
まず、「音」ですが、これは、今聞こえてくる音に意識を向けることです。「目」に見えるもの(たとえば視界の景色や物体)は、自分で視線を動かしたり、目を閉じたりすることである程度コントロールできます。しかし、音は環境の中で自然に「やってくるもの」であり、避けたり止めたりしづらい刺激です。 コントロールしづらいものに対して、評価せずただ気づくという練習が、マインドフルネスの体験になると言えます。
また、音は常に「現在」にしか存在しません。過去の音も未来の音も実際には耳に届かず、今この瞬間の音だけが聞こえます。そのため、「今ここ」の体験に注意を向けるマインドフルネスの目的に適しています。
それから、音は目よりも評価や解釈が入りにくいとも言えます。視覚情報は瞬時に「あれは〇〇だ」「これは好き/嫌い」などの判断が起きやすいのに対し、音は「ただの音」としてとらえやすく、評価やストーリーが入りにくいため、 ただ観察するという態度を育てやすくなります。
多くのマインドフルネス実践では目を閉じたり、半眼にして視覚刺激を減らします。そのため、目を閉じて視覚情報を遮断することで、内的体験に意識が向きやすくなります。
同じことが、呼吸と身体感覚でも言えます。日常生活でマインドフルネスを体験したいならば、「音」に意識を向けて、今聞こえている音を感じること、「呼吸」に意識を向けて、今自分が息を吸って吐いていることを感じること、「身体感覚」に意識を向けて、「身体」が今何を感じているかを感じること、ほんの数十秒でもそのような時間をもつことで、「今、ここ」を意識できる練習になるのではないかと思います。