今日は手抜きで
今日は、手抜きで春の新作を。。。
このくそ寒いのに
桜の花のデコレを病院の玄関に
飾っております。

ついでに絵も

殺風景な玄関もよくないと思って
性懲りもなくデコレをつくっておりますが、
大きな懸念が2つ。
1つは、皆がある程度
褒めてはくれるのですが、、、
迷惑じじいになっていないのか、、、、
むかしから、高齢のかんじゃさんが
その昔だったらタバコの箱で
鍋じきを作ったり
細いチューブで犬なんかの
アクセサリーを作ったり
リボンで金魚をつくったり
絵が好きな人は絵なんかを
持ってきてくれたのだが、
職員が褒めるので
(一般的に褒めるのだが、
作っている方は高齢なので
かなり真にうけて
どんどん作ってきて)
患者さんが作ってきてくれるものだから
捨てるわけにもいかず
拒否するわけにもいかず
もらった患者さんに
見える様にかざったり
身に着けたりして
余計に気を使って、
困ってしまう様な事がよくあった。
私のデコレも一応、手抜きをしながら
四季にあわせてなんとか
作ってきているのだが
なんとも同じ様になってきていないかが
心配。。。。。。
裏で、褒めたら
ずっと作ってくると
言われているのではないかという
心配。。。。。。
2つ目は
私、2年前に白内障の手術をうけたのだが、
白内障の手術をたくさん
やっている眼科さんは
それはもう、うちの様な
零細クリニックとちがって
羽振りがよく、
飾りも業者に頼んだような
立派な飾りが玄関においてあった。
それにくらべてなんと
みすぼらしいこと。。。。。。。
結構、忙しなか、夜な夜な
作っても1~2か月ほどかかるのだが、、、
職員には
止めた方がよくなったら
言うようにといっているのだが、、、
、、、、、、、
言えないだろうな、、、、、、、、
ってもう今年で65歳の
高齢者の仲間入をする
私は思っているわけであります。
高齢になるとボケることも必要??
今日は、手抜きで春の新作を。。。
このくそ寒いのに
桜の花のデコレを病院の玄関に
飾っております。

ついでに絵も

殺風景な玄関もよくないと思って
性懲りもなくデコレをつくっておりますが、
大きな懸念が2つ。
1つは、皆がある程度
褒めてはくれるのですが、、、
迷惑じじいになっていないのか、、、、
むかしから、高齢のかんじゃさんが
その昔だったらタバコの箱で
鍋じきを作ったり
細いチューブで犬なんかの
アクセサリーを作ったり
リボンで金魚をつくったり
絵が好きな人は絵なんかを
持ってきてくれたのだが、
職員が褒めるので
(一般的に褒めるのだが、
作っている方は高齢なので
かなり真にうけて
どんどん作ってきて)
患者さんが作ってきてくれるものだから
捨てるわけにもいかず
拒否するわけにもいかず
もらった患者さんに
見える様にかざったり
身に着けたりして
余計に気を使って、
困ってしまう様な事がよくあった。
私のデコレも一応、手抜きをしながら
四季にあわせてなんとか
作ってきているのだが
なんとも同じ様になってきていないかが
心配。。。。。。
裏で、褒めたら
ずっと作ってくると
言われているのではないかという
心配。。。。。。
2つ目は
私、2年前に白内障の手術をうけたのだが、
白内障の手術をたくさん
やっている眼科さんは
それはもう、うちの様な
零細クリニックとちがって
羽振りがよく、
飾りも業者に頼んだような
立派な飾りが玄関においてあった。
それにくらべてなんと
みすぼらしいこと。。。。。。。
結構、忙しなか、夜な夜な
作っても1~2か月ほどかかるのだが、、、
職員には
止めた方がよくなったら
言うようにといっているのだが、、、
、、、、、、、
言えないだろうな、、、、、、、、
ってもう今年で65歳の
高齢者の仲間入をする
私は思っているわけであります。
高齢になるとボケることも必要??
私は掃除が苦手で、、、、
私は、掃除が苦手で
当院の診察室を見るとわかる様に
ごちゃごちゃしているのだ。
まるで私のがさつさを
表している様に。。。
何か月かに一回はきちんと
綺麗にするのだが、
持って数日。。。。
私が以前勤めていた病院の
医局の向側の
Dr.の机は
そうれはもうきちんとしていて
デスクの上には
ほとんど何もなく、
あっても
定規で測った様に
綺麗にキチンと本や書類を置いていた。
それに反して私の机の上は
いつも本とコピー類
が山盛り状態。
一度、それをみかねた
綺麗好きのナース2人がやってきて
掃除をすると言って、
私は、部屋を追い出されて
帰ってきたら
机の上の書類は
直角に置いてあるし、
本棚の本は、きちんと
大きさで区別して
並べているのであった。
私は本棚の本は
内容ごとに並べる人なので
どんなに掃除しても見た目は
でこぼこ
A4はA4,B5はB5
とは並べられないので
なんとも。。。。。
(本当はそういう風に並べたいのは
並べたいのだが。。)
私の心の中には
仕事部屋に対して理想が2つ同居している。
1つは、若いころあこがれた
アインシュタインのデスクや
作家の様にごちゃごちゃ
本や書類が
所せましと山積みにしてある仕事部屋
本の山の中にやっと机がある様な感じ。
そしてもう一つは
今でもよく再放送があっている
名探偵ポアロ(昔のやつ)
その主人公ポアロは綺麗好きで
部屋の中は棚から壁から
定規で測って並べた様に
キチンとしていて、
物という物が整理しており
引き出しの中まですべてを並べている。
ま、、ドラマはドラマで
無理なのであるが、
それでもこれで、
毎日、少しづつポアロを目指して
掃除するのだが
いかんせん、汚す方が上
物を使った後で
元の位置にもどすことがない。
たまに、大事なものを
”特別なところ“
に置いておくと
後でどこに置いたかわからなくなる
ことがしばしばある。
もしかしたら、
いろんなところに
いろんなものを
おいて
ごちゃごちゃにして
それで
仕事をした気分になって
安心しているのかも
しれない。。。。
私は、掃除が苦手で
当院の診察室を見るとわかる様に
ごちゃごちゃしているのだ。
まるで私のがさつさを
表している様に。。。
何か月かに一回はきちんと
綺麗にするのだが、
持って数日。。。。
私が以前勤めていた病院の
医局の向側の
Dr.の机は
そうれはもうきちんとしていて
デスクの上には
ほとんど何もなく、
あっても
定規で測った様に
綺麗にキチンと本や書類を置いていた。
それに反して私の机の上は
いつも本とコピー類
が山盛り状態。
一度、それをみかねた
綺麗好きのナース2人がやってきて
掃除をすると言って、
私は、部屋を追い出されて
帰ってきたら
机の上の書類は
直角に置いてあるし、
本棚の本は、きちんと
大きさで区別して
並べているのであった。
私は本棚の本は
内容ごとに並べる人なので
どんなに掃除しても見た目は
でこぼこ
A4はA4,B5はB5
とは並べられないので
なんとも。。。。。
(本当はそういう風に並べたいのは
並べたいのだが。。)
私の心の中には
仕事部屋に対して理想が2つ同居している。
1つは、若いころあこがれた
アインシュタインのデスクや
作家の様にごちゃごちゃ
本や書類が
所せましと山積みにしてある仕事部屋
本の山の中にやっと机がある様な感じ。
そしてもう一つは
今でもよく再放送があっている
名探偵ポアロ(昔のやつ)
その主人公ポアロは綺麗好きで
部屋の中は棚から壁から
定規で測って並べた様に
キチンとしていて、
物という物が整理しており
引き出しの中まですべてを並べている。
ま、、ドラマはドラマで
無理なのであるが、
それでもこれで、
毎日、少しづつポアロを目指して
掃除するのだが
いかんせん、汚す方が上
物を使った後で
元の位置にもどすことがない。
たまに、大事なものを
”特別なところ“
に置いておくと
後でどこに置いたかわからなくなる
ことがしばしばある。
もしかしたら、
いろんなところに
いろんなものを
おいて
ごちゃごちゃにして
それで
仕事をした気分になって
安心しているのかも
しれない。。。。
本日は、雪なり
今週は、久しぶりといっていいほどの
冬の天気と気温である。
讃岐山脈は雪景色で
なんともその
雪景色が私は好きなのである。
讃岐山脈は、
吉野川が流れる
中央構造線のおかげで
地層がギュッと押し縮じめられて
断層がだんだんに
露出した独特の地形で
険しい襞をもつ
堀の深い山並みである。
それが、なんとも独特な
綺麗な陰影をつける。
高松からは、北斜面を見る形に
なるから、私の小さいころは
冬になると少し寒い日は、
大川山から竜王山まで
真っ白な雪山で綺麗だった。
それが、今は、温暖化のおかげで
年に何回かしか見れない風景になってしまった。
その時期が今週なのである。
そんな極寒の空気が澄んだ中を
歩いてその風景を見るのが
なんとも好きなのである。
寒い日に外を歩き回るなぞと
バカと思われるかもしれないが、
何とも切り詰めた
澄んだ空気の中、
流れる雲間から零れ落ちる
陽光が
とても美しく
、、、、、いとおかし。
冬の風景といえば、
大学受験で見た、金沢の海岸の
地響きの様な音をたてる
豪快な冬の日本海の風景や
富山湾の神通川の河口でみた
日本海と夕日にかがやく
雪化粧の能登半島の風景が
40年以上たった今でも
目に焼き付いている。
雪国の人間にとっては
こんなに厄介なものは
ないののだろうが、、、、
南国の人間には、、、、、
それにしても
私のおじが金沢の大学
だったので、
冬の金沢がずっと雲がたれこめて
雪だったといっていた。
兼六園ではいまでも
雪のそなえで雪吊りを縄でしている
のだが、その金沢でさえ
雪に閉ざされることが少なくなっている。
今回の様な大雪が
だんだん、珍しくなって
以前より備えが甘くなっているのか
大雪がふると大混乱になっている
みたいな気がする。
なんだか温暖化というものが
身に染みて怖くなる。
それにしても
子供のころは
休校になるやら
雪で遊べるやらうれしかったが、
じじいは、毎日、毎日、
道路が凍結しないか
水道管が凍らないか
建物に不具合がおこらないか
心配ばかりしなけりゃ
いけなくなってしまった。
でもそのなかでも
少し、子供心が
よみがえることがあるのです。
今週は、久しぶりといっていいほどの
冬の天気と気温である。
讃岐山脈は雪景色で
なんともその
雪景色が私は好きなのである。
讃岐山脈は、
吉野川が流れる
中央構造線のおかげで
地層がギュッと押し縮じめられて
断層がだんだんに
露出した独特の地形で
険しい襞をもつ
堀の深い山並みである。
それが、なんとも独特な
綺麗な陰影をつける。
高松からは、北斜面を見る形に
なるから、私の小さいころは
冬になると少し寒い日は、
大川山から竜王山まで
真っ白な雪山で綺麗だった。
それが、今は、温暖化のおかげで
年に何回かしか見れない風景になってしまった。
その時期が今週なのである。
そんな極寒の空気が澄んだ中を
歩いてその風景を見るのが
なんとも好きなのである。
寒い日に外を歩き回るなぞと
バカと思われるかもしれないが、
何とも切り詰めた
澄んだ空気の中、
流れる雲間から零れ落ちる
陽光が
とても美しく
、、、、、いとおかし。
冬の風景といえば、
大学受験で見た、金沢の海岸の
地響きの様な音をたてる
豪快な冬の日本海の風景や
富山湾の神通川の河口でみた
日本海と夕日にかがやく
雪化粧の能登半島の風景が
40年以上たった今でも
目に焼き付いている。
雪国の人間にとっては
こんなに厄介なものは
ないののだろうが、、、、
南国の人間には、、、、、
それにしても
私のおじが金沢の大学
だったので、
冬の金沢がずっと雲がたれこめて
雪だったといっていた。
兼六園ではいまでも
雪のそなえで雪吊りを縄でしている
のだが、その金沢でさえ
雪に閉ざされることが少なくなっている。
今回の様な大雪が
だんだん、珍しくなって
以前より備えが甘くなっているのか
大雪がふると大混乱になっている
みたいな気がする。
なんだか温暖化というものが
身に染みて怖くなる。
それにしても
子供のころは
休校になるやら
雪で遊べるやらうれしかったが、
じじいは、毎日、毎日、
道路が凍結しないか
水道管が凍らないか
建物に不具合がおこらないか
心配ばかりしなけりゃ
いけなくなってしまった。
でもそのなかでも
少し、子供心が
よみがえることがあるのです。
ああ大阪、、、、
いつもこのブログをみて
いただいている方の中に
久米川病院の時からの患者さんで
丸亀から大阪に移住した方
がいるので
あいさつかたがた、、、、
大阪について私が
勝手に抱いている感情について。。。
私の子供の頃は
夜になるとラジオを聴きながら
すごしていたので、
その中心は、毎日放送や朝日放送の
大阪のラジオ局の番組が
多かったので、
関西弁にはなんの違和感もなかった。
ところが、予備校、大学で
九州に行くとどうも
九州の人間は、関西弁を嫌う
傾向があった。
当初は、私は、関西弁やその
イントネーションに何の
違和感もいだかなかった。
(予備校も大学も
関西出身の人間が少なからずいたので
その人達は、しゃべり方や
イントネーションを全然
変えなかった。。。。。。)
私自体は、両親が徳島の人間であった
こともあって、中途半端な
讃岐弁をしゃべり、
また、他の方言に対しても
何も違和感もなかったか、
あるいは、讃岐弁が
あまりにも田舎っぽかったからか
1年もすればすぐに
九州の言葉を喋る様になった。
(大学の友達が九州一円から
やってきているので
築後弁中心の博多弁やら
熊本弁やら筑豊弁やら
いろいろまじってはいたが、、、)
そうしたら、なんと不思議なことに
だんだん、関西弁に違和感を感じはじめ
最終的には讃岐弁さえ違和感を
感じ始めたのだ。
大学時代に関西にテニスの
試合で遠征にいったとき
かわいい子でも “うち、○○、、、”
なんてしゃべっているのを聞くと
引いてしまう感覚を覚えてしまった。
なぜだろう。。。。。。
そのうち、学会なんかで関西方面に
出かけると
どうも電車の中での
おばちゃんたちの
大きな声で日常会話が
行われていることに
嫌悪感さえ覚える様になったのだ。
電車のドアがあくと
出る前にどかどか人が
入ってくるは、、、、
なんとも、赤面するような
話題の会話が飛び交うわ
エスカレーターは
東京に逆らう様に
右に立つは、、、、
日本橋では
堂々と海賊版のDVDを売っているは
なんだかなーーーーと
思ってしまっていた。
ま、、なんか思い込みが
激しい様には思うが、
そんなこんなで
高松にかえってきたら
徐々にそんな感覚も薄れてきたのだが
なんと
自分の娘が大阪の大学に入るは
結婚して大阪にすむはで
今は、複雑な心境である。。。。
娘にはいわゆる
“おおさかのおばちゃん”
だけにはなってほしくないな~~
いつもこのブログをみて
いただいている方の中に
久米川病院の時からの患者さんで
丸亀から大阪に移住した方
がいるので
あいさつかたがた、、、、
大阪について私が
勝手に抱いている感情について。。。
私の子供の頃は
夜になるとラジオを聴きながら
すごしていたので、
その中心は、毎日放送や朝日放送の
大阪のラジオ局の番組が
多かったので、
関西弁にはなんの違和感もなかった。
ところが、予備校、大学で
九州に行くとどうも
九州の人間は、関西弁を嫌う
傾向があった。
当初は、私は、関西弁やその
イントネーションに何の
違和感もいだかなかった。
(予備校も大学も
関西出身の人間が少なからずいたので
その人達は、しゃべり方や
イントネーションを全然
変えなかった。。。。。。)
私自体は、両親が徳島の人間であった
こともあって、中途半端な
讃岐弁をしゃべり、
また、他の方言に対しても
何も違和感もなかったか、
あるいは、讃岐弁が
あまりにも田舎っぽかったからか
1年もすればすぐに
九州の言葉を喋る様になった。
(大学の友達が九州一円から
やってきているので
築後弁中心の博多弁やら
熊本弁やら筑豊弁やら
いろいろまじってはいたが、、、)
そうしたら、なんと不思議なことに
だんだん、関西弁に違和感を感じはじめ
最終的には讃岐弁さえ違和感を
感じ始めたのだ。
大学時代に関西にテニスの
試合で遠征にいったとき
かわいい子でも “うち、○○、、、”
なんてしゃべっているのを聞くと
引いてしまう感覚を覚えてしまった。
なぜだろう。。。。。。
そのうち、学会なんかで関西方面に
出かけると
どうも電車の中での
おばちゃんたちの
大きな声で日常会話が
行われていることに
嫌悪感さえ覚える様になったのだ。
電車のドアがあくと
出る前にどかどか人が
入ってくるは、、、、
なんとも、赤面するような
話題の会話が飛び交うわ
エスカレーターは
東京に逆らう様に
右に立つは、、、、
日本橋では
堂々と海賊版のDVDを売っているは
なんだかなーーーーと
思ってしまっていた。
ま、、なんか思い込みが
激しい様には思うが、
そんなこんなで
高松にかえってきたら
徐々にそんな感覚も薄れてきたのだが
なんと
自分の娘が大阪の大学に入るは
結婚して大阪にすむはで
今は、複雑な心境である。。。。
娘にはいわゆる
“おおさかのおばちゃん”
だけにはなってほしくないな~~