丁度、先週台風19号が
関東から東北にかけて、通過した。
超大型の台風で、事前から
気象庁をはじめ、多くの機関が注意を促していた。

通過後、東北地方の被害がまだ、はっきりしていなかった
こともあってか
自民党の大物が “この程度の被害でよかった”という
発言をしてしまった。
 
これは、大いなる失言であるし、
例え、心の中に思っていても決って
口にしてはいけない言葉である。

案の定、この言葉に野党が食いついた。

実にこれは、東京の首都圏機能を考えると
実際の気持ちであったに違いない。

事前の警告を考えると
首都圏で、大変な数の死者と、地下鉄、新幹線を中心とした
鉄道網の寸断。
地下を中心として発達している都市機能のマヒ
首都圏の大規模停電による産業、民間の大損害
と政治機能のマヒ、それによる、東京、あるいは
日本の災害による弱さの露天と
それによる、日本経済の低下。
などなど、さまざまなことを心配していたのであろう。
実は、それに対して非常に本気で心配していたから
こそでてしまった言葉なのかもしれない。

決して口にしてはいけない言葉ではあるが、
日本全体の経済を思う人間だからこそ
そう思ったのかもしれない。
おそらく、直接被害を受けてない
日本人の8割近い人間が心のなかでそう思ったに違いない。

それが人間のこころの嵯峨といっても
大きな間違いはないと考える。

東北の大震災、熊本の地震、、
少なからず、人間のこころの底には
自分のところではなくてよかったと
思う気持ちがあるに違いない。

もし、自分の家の横にゴルフ場の
鉄骨が倒れてきたら、
自分の家でなくてよかった
という気持ちが、心の片隅ででる
のは間違いないし。
決して自分の家に倒れ込んだらよかった
と思う人間はいないだろう。

この辺に人間の人を思う気持ちの
限界を見るのである。

もし、北朝鮮からミサイルが、
東京や、大阪をめがけて
飛んできて、機動がはずれて
四国におちて、四国が全滅したら
四国以外の日本の国民は
心の底で、
四国に落ちて被害が少なくてよかった。
四国ぐらいの損失でよかった。
(日本全体に及ぼす影響もすくなくてよかった)
と思うに違いない。