あー今日も終わっちまう。
なんと一日が短いことか。

子供の頃は一日が長かったのに。。。。。。
なんて、みんなが思うことだと思うが、、、、

子供の頃は、学校から帰ってきて
それから友達のところに遊びにいって
夕飯をくって、
まだ時間が余っていた様なきがするのだが、、、

これはどうしてか、
どうしてこんなにも時間が短く感じられる様になったのか。

諸説あるが、私の説も含めて、
1. 一日、特に1年が短く感じるのは
その時間を自分の記憶の中でわるからだと言われている。
例えば、7才の子供は自分の一生は
5才ぐらいから記憶があると考えると
一年は、一生の3分の1
ところが60才の私には1年が
一生の56分の1の出来事でしかないから。
短く感じる。。。という説
2、思考スピードの低下
  子供の頃は頭の回転が早く、
  今の何倍ものスピートで物事を考えていた。
  だから同じ時間でもいろいろな思考が
  目まぐるしく頭の中を駆け巡った。という説
     (なんだか納得)
3. 行動が遅くなった。 
同じことをするにも集中力、行動力が
にぶった。
 (これも納得)
4. 体験の新鮮さがない。
子供のころは見ることやることが
新鮮で、新しい。
故に全てが記憶に鮮明に残る。
また、記憶力の差もあり、
1日の出来事の興奮、鮮明度、記憶量
ともに今と比べ物にならない。
 (これまた納得)
ま、これらが全てあわさって
一日の長さが短く感じられるのであろうが、
なんとも、悔しいというか、虚しいではないか。

ちなみに、ドッペルゲンガー(今見ている場面が
以前に経験した場面の様な錯覚を起こすこと)
は、なぜおこるかというと。
人は、記憶を平面的にしか覚えられないから
だと言われている。
 つまり、今の記憶と昔の記憶の識別は、
その記憶の鮮明度とその記憶の周囲の状況の
風景(出てくる登場人物の年とか、建物の古さとか)
また、自分のそのときの年とかで判断している
と言われている。
 だから “ぼーと生きているいると
さっき見た風景が、今さっき見たのに
ずっと前にみたと勘違いしてしまう。

人間は、記憶を再構築して覚えるから
いい様におぼえてしまって
周囲の詳細は覚えていない。
どうかすれば、いいように記憶しまい。
間違った記憶を植え付けていることさえある。

犯罪を犯してもしていないと記憶の
中で再構築する例さえあり、
私はやっていないと記憶のなかで
思っている例もある。

記憶を悪く再構築すると
どんどん欝になってしまう。

昔はよかったと思えるあなたは
幸せかもしれない。。。。。。よ