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October 2023 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
小さい秋見つけた

だーれかさんが
だーれかさんが
みーつけた。
小さい秋、小さい秋、小さい秋
みーつけた。

サトウハチロー作詞の
なんとも言えない童謡の歌詞である。
サトウハチローはひな祭り等の
童謡の作詞をしている
詩人である。

サトウハチローと言わず
昔の童謡の歌詞はその光景が
目に浮かぶ素晴らしい詩が多い。
街で育った私なのに
なぜか田舎の風景が目に浮かび、
子供の頃、そんな自然豊かな
風景の中でそだった錯覚を起こしてしまう。

我々の子供のころは
学校の音楽の時間に歌わされていたので
その歌詞が
頭にこびりついている。
そのおかげで
今でもいろいろな童謡を
口ずさむことができる。

そして、みんなが覚えており
その曲を共有することさえできる。

そういえば、昔
童謡といえば
男性4人のコーラスグループを
思い出す。
ダークダックス
とボニージャックスだろうか。
デュークエイセスというグループもあったな~
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実を言うとダークダックスは慶応大学
ボニージャックスは早稲田大学出身の
グループで、
それぞれその大学なりの雰囲気が
あった。

いまでいうゴスペラーズ??

そして
みんなのうた。
この番組は1961年にはじまっており、
私が生まれた次の年から始まっているので
物心ついたころから
この番組を見ていることになる。
5分間の番組で、時間が今一つ
不定期でよく覚えていないが、
ひょっこりひょうたん島
などの人形劇の前
ぐらいにもあった様な気がする。

ほとんどの童謡が流れていた半面

北風こぞおの かん太郎~かんたろ~

山口君のつとむくん
ラジャマハラジャー
なんかが、耳に残っているのではないだろうか

たいていは、子供用のうたが
歌われていた。
ペチカ、夏のおもいで、手のひらを太陽に

なんかがうたわれていた中

森山涼子のこの広い野原いっぱいや
驚いたのは
財津和夫がみんなのうたのために
切手のないおくりもの
という曲を作って歌っていたこと。

今は創作ダンスの授業がある時代。
のんびりした当時に
生まれてよかったな~と
ジジイはおもうのである。

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投稿者: ryokusei
秋の訪れ

寒暖差がはげし今日この頃ですが。。。
みなさまいがに
お過ごしでしょうか。。。。

寒暖差のため
風邪をひかない様に。。。。。。。
寒いので暖かくして
風邪をひかない様に。。。。。

とはいうものの、、、、、

医者としてこんなことをいうのは
なんなのだが、、、
寒暖差で風邪をひくのだろうか??

寒暖差やなんやらで
温度刺激性のアレルギー
あるいは神経反射性のアレルギー
というものがあり、
刺激で鼻水や咳、くしゃみが
短時間がでることはある。。。。。。

このコロナの騒動でご存じとおもうが
風邪というのは
ほとんどウイルスに起因している。
だから、人からもらうという条件と
ウイルス感染して
それが増殖して発症するまでに
潜伏期間というのが存在する。

寒さで免疫が低下して
風邪をひく。。。
風邪はウイルスだから
寒暖差や寒さで
免疫が落ちて、ウイルスを運悪くもらって
それが増殖して
数日後に発症する。
絶対タイムラグがあるはずなのだ。

寒さで風邪をひくなら
北海道の人は風邪ひきが多く、
沖縄の人は少ない
なんて聞いたことがない。

だから、風邪薬の宣伝でよくある。
寒そうな外から家に帰ってきて
クシュンというシチュエーションは
どうも考えにくい。

っとこの40年間づっと思い続けている。

こんな人には聞けない
医学的疑問が
いっぱい存在するのだ。


それにしてもほんの2~3週間前まで
クーラーを入れていたのに
もう早朝は、ジャケットが欲しい寒さに
なった。

真夏は、こんなに暑くて冬は
来るんだろうかと思ったり、
冬の極寒の時は、氷をみながら
あの暑い夏は来るのだろうかと
思ったりするのだが、
しっかりやってきそうである。
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投稿者: ryokusei
瓦町

ネットを見ていると
古い瓦町の写真が見つかって
懐かしかった。
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そうそう、こんなだった。

なんせ、家から瓦町まで家から3分ほどだったから
瓦町はしょっちゅう行っていた。
あの、焼け残った六角の駅舎
中は狭く、暗かった。
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中では、子供のころ、箱入りのドーナッツを
うっていて、
バサバサでおいしくなかったのに
欲しがった思い出がある。

横には噴水ジュースと
ガムの自動販売機があったっけ。
噴水ジュースは確か10円だった。

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まーバス乗り場は
自転車がいっぱい並んでいたわー
端から端まで自転車でいっぱい。
南側にパチンコ屋があって
そこまで自転車がならんでいて
その合間をぬって
バスに乗っていた覚えがある。

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そして、何かと待合場所になった
噴水。
どこかの女子高生が
噴水で溺れかかった犬を
入っていって助けたという逸話が
ある噴水。
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常盤街にダイエーができるまで
よく行っていた駅舎内の
スーパー

秤り売りのお菓子が
木の枠のガラスケースにならんでいた。
その中のお菓子を
スコップみたいなのですくって
紙の袋にいれて
量り売りしていた。


中央部に改札があって、
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確か北側には衣料品も売っていた。
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駅の北側にはコンクリートの
線路の下をかいくぐる
地下道があって、
結構、急で自転車でこわごわ
降りていた思いでがある。

その近くに子供の殿堂の
模型屋のオオタ理工社というところがあって
小学生のころから
いっていて、
中学生の時は
学校がえりによく行っていた。
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おまけで栗林動物園。
小さな臭い動物園で
きったねープールがあって
泳いだ。。。。。

あーじじいはノスタルジーが好き?
時には昔の町の写真を
ネットでさがして
見とかないと
どんどん記憶がうすれてきますぞ。。。。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
白い巨塔

久しぶりにNHKのBSで
昔の田宮二郎の
白い巨塔を見た。

やはり、話自体は、物語的に
面白くするために
極端なところがあるのだが
見ていてやはり面白かった。

以前にも言った様に
田宮二郎のあの内面に含む
人間性の情熱、性格的いやらしさ
が、画面に湧き出て
財前教授を強調して
とても面白く見た。
1966年の映画で
私が医者になる約20年前の映画で
当時でも医学、
社会の風情が残っていた。
(今なら2003年ごろ)
(唐沢寿明の白い巨塔がそのころだったから
今みても医学的には遜色ないところだから
当時の私にしてみれば懐かしいのだ)

それにしても色々なものが懐かしかった。
先ず、皆がタバコをプカプカ
ふかしていた。
病院も診察室、医局、当直室、どこでも
灰皿がおいてあって、
タバコをふかしながら
カルテを書いていたこともしょっちゅう。
肺班のカンファランスでさえタバコの煙で
もうもうとしていた。

医学面では、当時の最先端医療が
垣間見える。


そして以前もいったけれども
レントゲンフィルム。
シャーカステンや窓の明かりをとおして
診たものだ。
(私はそれが好きだった!!)

内視鏡
内視鏡をしている所は写真にはなかったが、
当時はファイバースコープができたばかり
(その前は、硬性鏡といってまっすぐな
カメラをサーカスで剣を飲み込むように
まっすぐ入れるカメラさえあった)
今より太くで硬いファイバーで
かなり苦痛だったはず
そして、カメラは手元に重たい大きな
カメラを付けて撮影した。

フイルムは幅が1cm強の写真に直径1cm
位の丸い画像が映っていて
その画像が現像されると(1週間ぐらいかかる)
皆で幻灯機でスクリーンに映してみたものだった。

当然、今とくらべればはるかに暗くて
あらい画像で、必死に見ていた。

そして、少数の人しか知らないとおもうが
透視写真を撮る前に
付けるサングラス。
昔は、透視をするのに
また、直接患者さんの横で
その画像をみていた。
その画像たるや無茶苦茶暗かったので
透視部屋に入る前にサングラスをかけて
眼を慣らしてしていた。

そして教授の絶大なる権力
当時の教授は、一旦なれば
医局の頂点に立ち、
全ての権力を握り、
いわば、天皇陛下。
下っ端は直接話もできなかった。
医局人事は教授の一声できまる。
(ところが今や、医局は崩壊、
教授はパワハラ、袖の下も許されず、
いまやなり手さえいなくなっている。)

教授回診と古い建物。
昔の病院は廊下がせまく、
いま思えばよくあんな狭い廊下を
ストレチャーや思いベッドを
動かしていたな。と思う。
(いまは消防法なんんかもあって
病院の廊下のはばは無茶苦茶広い。)

狭く暗い病室。
今見たら、陰気で、病気が悪くなりそうな
病室である。

しかし、心のどこかで
おじさんは、当時が
なつかしく、医者としては
悠長でよかった時代を
うらやむのであった。
どうも、今の医療は、
今の世間と同じで
モニター画面の並ぶ診察室を
無機質なものを感じるのであった。。。。。。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
彼岸花

私が上里病院にやってきたとき
丁度9年前の9月になる。

9年前の9月1日より働きだして
前病院を辞めて
医者として新な世界に踏み出して、
不安と希望が交錯する
なにかもやもやする心境の中、
疲れを感じだした
9月下旬。

病院や愛生苑の周囲に
一斉に赤と白の彼岸花が
咲き乱れたのである。

病院や老人施設の周りに咲くのは
少し複雑な気もしたのだが、
あとで調べると
なにか暗いイメージがあるが、
実は、彼岸花自体は
決して暗く、忌み嫌うような
ではなく、そういう花ことばがあるわけでもなく

どうも、彼岸に咲くとか
お墓の周りに多く見られるとか
勝手に暗いイメージを持っている
様である。

いずれにしても、私には
上里病院の秋を印象づける
花なのである。

皆も心の中では、
勝手に暗いイメージを持ちながら
暑かった夏が終わる象徴として
どこかで
待ち望んでいる様な気がする。

もちろん私は、
少なくなった季節感に
頑強に抵抗するそのいでたちが
毎年、心のどこかで
待ち望んでいるのである。

さて、
毎年、この時期になると
突然芽がでてきて
咲き始めるのだが、

今年は、9月中旬になっても
病院の周囲のどこにも
うんともすんとも
影形がなくて
毎日心配していた。

今年は、病院の周囲の
雑草の刈込が強すぎたのか
(愛生苑の施設長や、
うちの婦長が
ことしはいつもより
入念に刈っていた?)

暑すぎる夏と
まだ来ない本当の秋が
影響したのか。。。
とほとんどあきらめていた。

ところが!!

先週のはじめころから
突然にょっきり茎が出現し
毎日みるみる成長して
なんと23~26日を中心に咲き乱れた
のであった。

自然というものはすごいもので、
なぜカレンダーを見る様に
出現して開花するものなのか。

調べたがよくわからない様である。
昔、理科でならったごとく
気温の変動で咲く要因と
日照時間で咲く要因が強い様であるが

気温でかんがえれば
今年なぞ、気温が高いままであったので
この時期に咲くわけがないし
日照時間で考えるなら
いつも地上に顔をだしている
植物ならまだしも
地下茎で土の中にうまっていて
突然出てくる
形態をとっている植物なので
日照時間を感知することも
考えにくい。

なにか特殊なカレンダーが
組み込まれているに違いない。

いずれにしろ
私が上里病院にやってきたときの
思い出をもたらし、
私を励ます様な
この彼岸花に
なにかこころが安らぐのである。。。