人間ばかだから

子供のころ、
21世紀になったら
世界はグローバル化し、
世界はほとんど一つに
まとまれるという、あわい
期待があった。

ところが、いまのロシアや中国
をみてわかるように、
世界は、どんどん民族主義化
している。

よく考えればあたりまえで、
人間はバカだから
多くの人間がだばねられる
能力はないのだ。

つまり、やっぱり人間=動物
というより
人間=バカな動物なのだ。

身近な動物を見るに
猫はほぼ、単独行動で生活しており
単独で、餌をとってきて
それを食べている。
マウスなんかもそう。
ほぼ、単独で行動している。

言い方にはやや語弊を伴うかもしれないが、
やや知能が上の犬は、
野生では集団で行動する(もともとが狼だから)
集団で協力して獲物を捕り、
そして集団の中で序列をつくり
生活している。

集団行動で、助け合いながら
生活している動物は
やや知能が、発達してると
一般に考えられている。

実は、類人猿は
もともと、
単独行動していたらしい。

ところが知能の発達とともに
集団で協力し、
獲物をとることにより
大型動物(マンモスなんか)を
とらえることができる様になり
さらにそれによって
栄養を得て体が大きくなり
集団も大きくしていった
と考えられている。
また、その集団によって、相互互助が
発達していって寿命ものびた
と考えられている。
そして、農耕が始まると
さらに集団は大きくなっていった。

しかし、人類の能力では、その集団の限界は
100人程度であったという研究がある。

つまり、100人程度の群れをつくしか
能力、知力がなかったといわれている。

しかし、そこから
現在にいたるまで、
人類の進化からいうと
ほんの僅かであるため
今の人類でも
多くみつもって300人程度の集団生活
を行うのが人間の知力の限界だろう。

つまり、人間は、世界ところか
国家単位で共同生活する
ほどの能力、知力さえ
もつほど
まだ進化していないのである。


昔、よく、
なぜ、こんなせまい地球上で、
言語が生まれたはいいが、
こんなに言語があるのかが不思議だった。
周囲の集団と交流があるのに
様々な言語が存在する。
最近、
その理由がなんとなく
わかってきた。

つまり、
人類はこれだけの
大人数の集団で暮らすのは無理があるのだ。
特に情報化社会において
情報伝達は
大集団にできる様になったのだが
それを束ねるだけの能力が人間にはないのだ。

だから、この21世紀に
民族主義化が20世紀よりすすみ
今でも土地や財産をめぐって
戦争や紛争が絶えないのは
うなずける。

話は、変わるが、
今、敬語や尊敬語が
世の中なくなってきている。
いままで、特に日本では
敬語や尊敬語が発達したのだが、
それは、集団をスムーズに
運営するために
必要アイテムであったのである。
つまり、人の上下、年の上下を
はっきりさせることによって
集団生活をスムーズになりたたせていたのだ。

この地域社会が崩壊し、
周囲の人間とコミュニケーションを
とらなくてもいい社会では、
もう、敬語や尊敬語は
必要ではなくなってきたのだ。

そういうことで、
人間は、孤立化し、
集団生活がさらにできにくくなってきている。

こうやって、時代はさらに
個人化、民族主義化が進み
ますます、グローバル化どころか
民族主義化
戦争、紛争は増えるであろう。

なんせ人間は
大人数はまとめられないほど
バカなのだから。

だから、これからも
遠いヨーロッパでも
日本の御近所でも
紛争の火種は尽きない。

なお、ネアンデルタール人が
絶滅した要因の一つには
(正確には今年ノーベル賞を
受賞した科学者が唱える様に
遺伝子は今の人間にも残っている)
われわれ人類の方が
ネアンデルタール人より
狂暴で、他のホモサピエンス
を力で絶滅させたという説さえある。

あー何とも
くわばら、くわばら。