過去の投稿

December 2020 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
まーいつもに増して

最近は、年々季節感がなくなってきていたが、
コロナのおかげで、今年は
いつも以上に季節感が消失してる。

だいたい、クリスマスで騒ぐのは
日本人で、いかがなものかと
思う方ではあるが、
ないと寂しいい、、、、、
あまのじゃく!!!!!

やっぱり、心が汚れてないころ
クリスマスがなんであるかも
わからないのに、
その雰囲気を味わっていた当時が
なつかしい
(また昔の話かい!)

商店街で山積みになったケーキ
を綿で髭をつけた
いかにものサンタ。

null
(古い写真がなかった)
なんとも今ではとても食べれない
ねっとりとしたバタークリーム
その上にのった
プラスチックのサンタ、クリスマスツリー
紙でできたもみの葉と
砂糖をまぶしたゼリー
当時はそれでも、おいしい?と思って食べていた。
null
(昔のバタークリームの写真がなかった)
高級品であまり食べたことはなかったが、
カチンカシンのアイスクリームケーキ
null
甘いもの好きの私は、
大学生の時
26日にたたき売りしている
チョコレートケーキを買って
一人で食べた思い出がある。

以前、書いた様に
私は、早くから、
心優しい兄から。。。。。
サンタはおやじだぜ、、、と
教えてくれたせいで信じてはいなかったが、
当院の事務の子がまだ
サンタを信じているというのを聞いて
なんか、ほんわかした、気分になった。
(兄が教えてくれる前からプレゼントが
お願いしたものよりスケールダウンしたものが
とどいたのでやや懐疑心はもっていたが、)

令和の時代となっては
ケーキは予約制
忘年会は、若い子が嫌うので
少人数のなかまうちだけ
(大がかりな、上司が喜ぶような
忘年会は消失)
クリスマスが終わると
正月になるのだが、昔の様に
元旦を祝う風潮もなくなったし、
毎日、ネットで大売出しがあっているので
商店街が年末ににぎわうこともない。
(高松ではウーバーイーツが行き交っているが)
null
大体今は、元旦から店は開いているし
(昔はどの店も3が日は開いていなかった)
(だから、おせちの意味もだんだんなくなってきている)
そんなこんなで、昔は、商店街自体が
活気があったし、その上で
年末のにぎやかさがあった。

なんやかんやで
子供のころは仕事をしているわけでも
大掃除をするでもなく
冬休みに突入したという
うれしさで、
この騒々しい年末の
年中行事が楽しかった
記憶として残っている。

正月あけても同じだろうが、
コロナの制もあって
今の子供たちはかわいそう
な気もする。

てなわけで、大変な一年でありましたが、
来年はどうなることやら
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
懐かしのメロディー

コロナのことを書くと
鬱になるので今週もやめます。

今は、そうでもないが、以前は
年末になると懐かしのメロディー
なる番組がよくあっていた。

10代の頃の懐かしのメロディーといえば
淡谷のり子、ディックミネ、藤島一郎、
笠置シズ子(香川県の人だよー)、三波春夫
村田英雄。
誰も知らないか、、、、、、( ̄∇ ̄)
(-_-;)(;^_^A
ハッハッハ

当時、(1975年ごろ)をだったのだが
懐かしのメロディーは、その当時から
10年~30年前の歌である。
めちゃくちゃ古臭く感じて
もちろん当時そんな番組を見るなんて
ありえない。(親がみているのを
古臭いと感じて覗いていた)


しかし、しかし、しかし
自分がよく音楽を聴いていた時代は
1980年前後で、
チューリップ、オフコース、荒井由実
井上陽水、大瀧詠一、、、、、、
なんともう40年前なのだ。

今の若い世代がそんな歌を聴くと
当時の私が懐かしのメロディーを
古臭く、感じていたのと同じ様に
古臭くかんじるのか、、、、、、????
げー、、、、、恐い!!!!
年は取りたくないもの!!!

昔の曲の方が詩に内容があって
よかった様な気がするんだけどなーーーー

荒井由実の”海を見ていた午後“
の”ソーダ水の中を貨物船が通る“なんて
詩を聞いた時はその情景描写にぶっ飛んだものだ。
あまり有名ではないが、
荒井由実の“晩夏”の詩なんて
夏の終わりの物悲しさの情景描写が
視覚に訴えられて物凄い(youtubeで聞いてみて!)
卒業写真しかり、イチゴ白書しかり、
荒井由実以外の曲の詩も
今の曲より断然いい気がするんだがなー

しかし、大瀧詠一の曲をよく聞くと
“夜明けまで長電話して、受話器持つ手がしびれたねー”
とか、”机のはしのポラロイドー“
とか、“A面で恋をして、ウインクのマシンガンを”
とか、詩の内容が今はありえない。。。。。
(-_-;)、(;^_^A、(;^ω^)
な所もある。。。。。。

洋楽なんか、エリッククラプトン(レイラ)や
T.レックス(20世紀少年の音楽)
が今でも流れているじゃないか、、、、、と
思ったりする。。。。

ああ年は取りたくないもの
しかし、音楽も映画と一緒で
聞いていた当時の思い出が
重なって記憶に残っている。

人生で一番多感な時代に聞いたり
観たりしたものは、
自分にとっては永遠の
宝物ではないか。。。。
なんて
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
あーいやだいやだ

今年もインフルエンザの予防接種を
終了した。
昨年より増えることを予想して
200人分ほど多めに用意していて
1300人分を摂取した。
正直、あきた、あきた、あきた。

今年は、なんと
初めて摂取する人がかなりいて
予想をはるかに超えて
もう終了してしまった。

実をいうと
インフルエンザお金は
任意なので、それぞれの病院で
値段を決めている。
一律の値段を病院間で決めると
逆に独占禁止法に違反してしまうので
個々でまちまち。

悲しいことに坂出市の病院での
相場が高松よりかなり安いので
当院でも3000円で摂取していた。
(儲けはがほとんどないんです)。
でも、当院では高齢者が多いし
いつも診ている人には打ちたいし
高い値段でやりたくないし
、、、、、、、
で、一所懸命打っている!!

あまり、積極的に打ちたくない病院は
極端に高い値段で
接種している。
(公立病院の○○病院は高い値段でしているが
小児が多いので×2で暴利だ!!)

また、予防接種も注射なので
看護婦さんが打ってもいいのだが、
(高松でいたときは自分で打ったことが
ほとんどなかった)
どういうわけか、坂出では
医者が打つ風潮があって
上里先生も自分で打っていたので
全部私が打っている
(職員へはナースに打たしている)
で、
あきた、あきた、あきた。

正直、今年は、コロナの影響で
大混乱で、
いつもより接種に来る人が
早いは、多いはで、
世間にワクチンが不足してる。
目一杯取り寄せたが
もう、手に入らないみたい。

これではコロナの予防接種はどうなることやら
大体、医療関係者からなんて
やめてほしい
(実は、職業別に打つ順番が
新型インフルエンザの事例があったので
マニュアルが以前より作られている)
しかし、われわれの気持ちは全国民分用意して
一斉に接種してほしい。。。。

大体、ワクチンに期待をかけすぎ、
細かいことは言わないがRNAワクチンは
作るのが困難なうえ不安定。
どのくらい効くかは疑わしいところ。
インフルエンザの注射をしても
はやるものは、はやる!!
一緒で、かかる時はかかる。
ワクチンの接種は以前から言っている
様に主力は集団接種による
集団の抗体の保持の力であるから

インフルエンザの注射と一緒で
これをはじめら、コロナが
世の中から消えてしまうという様な
幻想はくれぐれも起こさない様に。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
がーーーーーー

久しぶりに10日連続で出勤した。
ボケてきたのか
毎日仕事しても
なにも感じなくなってしまった。。。。。
(どうせ最近、休みは家のことを
バタバタしてすぐ終わっちゃうし。。。)

そんな時こんな写真が目に留まった。
null

コロナの高齢の患者さんが
感謝祭の日に家に帰りたいと
外に出ようとして泣いているのを
医師が抱きしめてなだめている写真

思わず涙が出そうだった。
おそらく、みなさんとは
少し、違った意味で灌漑深さを
感じたのかもしれないが。

この今、第一線でいられない悔しさ
(ある意味では今も第一線なのだが)
365日24時間働いていたころの
自分の思い出。
その時、自分の力のなさ、医療の無力さを
感じていた日々の事。
若いものが、重症化しないと思って
行動することへの怒り。
経済重視で高齢者を犠牲にしている政策。
軽くしか考えていない者が感染して、それを治療しなければ
いけないやるせなさ。
そんな中、医者が安全地帯にいて看護師だけが
危険なことをしているという
わけのわからないことを平気で
書いている心無い記事

今でもある意味では第一線で働いてはいるが、
若い時に休みなしに働いていた時
純粋に目の前の患者さんの病気と
戦っている感があった
(これでいて私まじめなの)
記事の中にあったが
毎日が戦場だと思って働いていた。
(最後にはノイローゼ気味になって
高松に帰って来たのだが)
その頃の思いが蘇って来るのだった。

その中で、30代の母親が子供を
2人の残して、亡くなって行くのを
どうしようもなく看取ったことや

40代前半の男性が大腸癌で
亡くなって行くの看取る時
意識がもうろうとしている中
突然本人に呼び出され“ありがとう、
先生ありがとう“と言って手を握りしめられて
その日になくなった時
その無力さを悔しくて涙がでたことが
思いだされた。

我々の世代は年上の者は大事にする
という教育を徹底されていたのに、
今は、高齢者を平気で、切り捨てる。
gotoで、高齢者は控える様に
と、いっているが、
逆にいえば若者は大丈夫だから
どんどん外へ出ろといっている様なもの。
本当は、無症状に近い若者や軽症の若者が
ばらまいているので、若者がじっとしている
方が広がらないのはわかっているのに。。。。

経済のことはわからないが
医師として徹底して命を守ることを
教育されてきた世代として
今の政策はやるせなく、じれったい。

そんな中、医師が安全地帯にいて
看護婦が危険なことをしている
というバカな記事を書くやつがいる。
お前はどうしたいのか

最近、コロナの入院の治療をしている
医師と他の事で電話で話をしたが
声は疲れ果てていた。
こんな記事を読んだらもうやる気もなにもなくなるだろう。

われわれでさえ、高齢者施設や自分の
患者さんたちにうつさないために
発熱の人達は、防御してみるのだが
中には、“ただの風邪でなんでそんな恰好をして
見るの、おおげさな“と言わんばかりの態度をとられる
(若者がおおい)
(県外や会食にいつも行っているやつは
そうせざるを得ないんだよ!!)

若者が、旅行に行こうとも会食しようとも
われわれは、この騒動が収まるまで
会食どころか大阪にいる娘にも
あえないのである。

このやるせなさ。。。。。。

そんないろんな思いが
あの一枚の写真で
駆け巡った。