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January 2018 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
大体当時受け持っていた患者さんの
3分の2は術前、術後の患者さん。
後は、がんの化学療法や、最後の見取りの
患者さんで、大変な状態で、

当時、今から思えば無茶苦茶であったが、
術前の、カメラ、エコー、透視
血管造影、などなどあらゆる検査を
外科がして、術前に高血圧や糖尿、高脂血症
などがあれば、術前にコントロールして、
術後もそのまま外科が見ていた。
いま、これらはほとんど内科、
それも夫々の専門が分業でやっており
これを一手に外科がするということ
自体が無茶苦茶で、仕事が多かった
理由がわかると思う。
(まあ、そういう仕事をしていたので
広くいろいろ経験してきたので、今何でも屋
としてやっていけているのだが。。。)

また、当時は、大学は研究機関
という意味合いが強く、手術自体も、
大学で、いろいろな手術をして
いい方法を作りだして、一般の病院で
その方法をするという意味合いが強く
リスクが高い人を手術したり、
拡大手術といってかなり危険な手術が
多く、なんとて術後が大変であった。

だいたい手術というものは、
元来、ぴんぴんしている人に
突然、交通事故に合わせて、大変なけが
をおわせて重症にして、それから
回復させる様なものであるから
それは大変な仕事であった。

以前に言っていた。
よくドラマで手術がおわって
“手術は成功です”という言葉など
意味がなく、言うわけもない。

本当の手術の成功の可否は、
手術が終わって回復して、
あるいは、がんの手術では、
何年もたって、その予後がいいかどうか
までみなければ
その手術が成功したかどうかは
判断できないのであるから。
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投稿者: ryokusei
だいぶあいたけれどまた、もとの話にもどって、

私のいた医局は以前書いた様に
当時でもやや古風な医局であったため
一日の終わりがない。
手術の患者さんを見終わってひと段落するのが
21時ごろ。
その時間帯になると指導のドクターが
丁稚の一日の仕事を見回りにくる。

また、どういうわけか、研究室のドクターが
帰る前に病棟にぞろぞろ上がってくる
(古い大学で、建物が新旧、大小
入り乱れていたので、研究室は
あちらこちらに7、8室あった。)

大學内にいる医局員だけで7~80人
いたので21時~22時頃は
病棟は変なにぎわいをみせる。

それからもいろいろ雑用が
あって、結局仕事が終了するのが1時ごろ
(当時、FMでジェットストリームという
番組が0時からあって、ミスターロンリー
の曲と城達也の声を毎日病棟で聞いていた)
というより、次の日のことがあるので
それぐらいでもう切り上げていた
という方がいいかもしれない。

丁稚というのはいろいろ雑用があるもので
月曜~土曜の昼過ぎまで、きっちり仕事があって、
外科は、日曜日も午前中は、総回診があるので
残った仕事をこなすのに土日を使っていた。
だいたい一人で20人~30人の患者さんを
受け持っていたので、
術後の患者さんを診るということは、
常に5~10人位は目が離せない重症患者さんが
いるということで、
なかなか病院を離れることはない。
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投稿者: ryokusei
余談の前おきはここまでとして、

前にもいったが、ニューシネマパラダイスという
映画が好きなのだが、それを初めて見たのが
30代半ばで非常に感動した。

しかしこの映画は、私の周囲では、
20代の人間は、あまり感動せず、
30代以上の人間は結構感動していた。
この差は、この映画の内容に
ある様な気がするのだ。

この映画は初老の映画監督が
帰らぬ昔を回顧する内容なのだが、

20代ではまだ、帰らぬ昔を回顧する
というようり、今のいい時を
謳歌することが主な世代で、
この映画の主人公の心にはなかなか
入り込めなかったに違いない。
と、思うのである。

最近、この映画好きの私が
映画を見る気力がやや衰えてきている。
その理由は、ストーリー性のない
いわば、アクション性の強い映画がふえて
きたせいだと思っていた。

しかし、よく考えると、
映画を見ても、主人公に近づけない
年齢になってきたためだということに
うすうす気が付いてきた。

よく考えると、主人公が自分の年齢より
若くなってくると、その場面設定に
入り込めないのか、だんだん見なくなって
来たようなきがする。

(たとえSF映画でも主人公や
主な脇役が自分の年齢に近かったら
その役に溶け込んでいた様な
気がするのだ。)

たとえば、これを読んているあなたも
主人公が高校生の映画は
とても見る気がしないとおもう。

もうすでに主人公が40歳代の映画でも
仮想現実で、主人公になり切れなくなってきているので
見る映画の幅が、本当に少なくなってきて
映画に対する情熱が減ってきた様なきがするのである。
悲しいかな、それが今の自分の年の
現実なのだと思う。
(新春早々くらい内容ですみません。)
(死ぬまで映画を愛していた
淀川長治さんはすごい!!)
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投稿者: ryokusei
また、また余談だが、
映画の話を聞くと結構女性と男性で差が
出てくる様な気がする
(決して差別ではありません
動物として、脳の発達の仕方が
本能的に違いがあるといわれています?)

よく、道を聞くと
女性は、目標物を取り上げて
説明するといわれている。
たとえば、
“この道をまっすぐいったら
左にガソリンスタンドが見えるので
そしたらその次の角を左に曲がって
スーパーマーケットが見えたら
すぐ右へ曲がってください
そうすると赤い屋根の家がありますから
そこがその場所です。“

男性は
“この道をまっすぐ行って3番目の交差点を
左にまがって、
そうしたら2つ目の信号を右に
まがって5件目の家です。“
という感じが多いといわれている。

映画の話をきくと
結構、女性はたとえばROCKYなら、
“ロッキーが
鶏をおいかけてトレーニングしたり
生卵を一杯のんで筋肉つけたりして
チャンピオンのアポロと戦って
最後のラウンドまで行って
負けるのだけれども
エイドリアンと抱きしめあうの“

男性なら
うだつの上がらないボクサーだった
ロッキーが、ひょんなことで
チャンピオンのアポロと。。。。。“
という様に道を教えるのと
同じ様に女性は物語を
場面でつないで説明し
男性はだいたいのあらすじを説明する
ことが多い様な気がする。

つまり女性は
”ドーンとなってバーンとなって
ドカーンといって、、、、“という風に
男性は博多風にいうと
“こげんなって、こげんなって
こげんなる。“
と説明することが多い気がする。
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投稿者: ryokusei
あけましておめでとうございます。
ついでに映画の話をもう一つ


私は(私だけではないと思うが)
映画を見たらすぐその中に入ってしまう。

以前、任侠映画を見て、
映画館を出てきた人が、
肩を切って歩いて出てくるなどと
揶揄されていたが、
これに似たことは誰しもが経験している
はずである。

刑事ものを見た後、街をあるけば
まるで群衆の中で犯人を探す様に
周囲に目配せをしたり
あたかも犯人の様に、
後ろを歩く人を気にしたり、

戦争映画を見れば、
軍服を着て銃を持つがごとく
傘を持ったり、

恋愛ものを見れば
一人街を歩く自分が
まるで、彼女を失ったように
寂しそうに肩を丸めてあるいたり

最も経験するのは、恐怖映画を見たあとは
ちょっとした音にも驚いたり
物陰が妙に気になったり、、、、

つまり、映画というものは
自分が主人公になり、
その仮想現実の中に入り込むということ
にほかならない。
(これは、いい本にもいえることだが)
また、余談だが
以前から少し気になっていることが
あるのだが、
映画の多くは、
その仮想現実に入りやすい様
にしているためかどうか
わからないが、

妙に設定の中で主人公(男)
と女性を引っ付けるために、
独身という設定が多い。

結構いい男で、いい性格で、
年齢的に独身でいるのが不自然な
状態だったり、
あまりにも無理だったら、
離婚させていたりする
そういう設定が多すぎる様な気がする。
(特にアメリカ映画)