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April 2015 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: kogame
横審もされたC大整形外科名誉教授、さすが良いこと言われます。

以下がそれです。

私は1967年3月に千葉大学医学部を卒業しました。4月から国立東京第一病院でインターン生活に入りました。私の学年が最後のインターン生であり、次の学年から学園紛争でインターン制度は廃止され、厚生労働省は名ばかりの卒後2年臨床研修制度を創設し、それが守れなかったために、2004年新医師臨床研修制度(卒後2年以上の臨床研修必須化)を創り、現在の医師の極在化による地方での極端な医師不足が生じる現状を創る原因となりました。私の後輩の人達がインターンをしなかった事についてはどうでも良いのですが、私は大変楽しいインターン生活を新宿区戸山町で過ごすことが出来ました。たまには新宿に飲みに行き、偶然飲み屋で一緒になったアメリカ人の看護婦さんとアメリカでは、という話を楽しんだことも覚えています。
 大学時代出来が悪かった方ではありませんでしたが、GOT,GPTも知りませんでした。インターンの毎日は吸収するものが多く楽しくて仕方ありませんでした。毎朝6時半には病院に行き、それまでに看護師さん(当時は看護婦さん)が用意してくれた点滴を片っ端からやりました。お陰様で点滴の上手いインターン生という評判を頂きました。インターン後半で内科を回った時に出会った患者さんが〇井〇〇さんです。今でもfull nameを記憶しており、忘れられない患者さんです。病名は「再生不良性貧血」でした。当時は現在のような詳しい診断も出来ず、良く効く薬もありませんでした。当時としては最高の医療をしていたのですが、一定期間たつと貧血になってしまい、対応策としては輸血しかありませんでした。当時は輸血をするのには太い金属の針(輸血針)を静脈に刺さなければなりませんでした。現在ではもう少し細いエラスター針を刺すので以前よりかなり易しくなっています。輸血を繰り返していると、太い静脈はつぶれてしまい、時には静脈より太いのではないかと思うような静脈針を刺さなければならない時もあります。私は毎朝の点滴訓練で太い静脈針でも上手に刺すことが出来るようになりました。内科の担当医よりもずっと上手になっており、内科が終わって他科に行っている時でも、その患者さんに輸血が必要になると内科の主治医からお呼びがかかり、私が病棟へ行き、輸血をさせて貰いました。内科の主治医が輸血を何度か失敗しているうちに患者さんが私を指名するようになったようです。
 そうこうしているうちに私のインターンも終わりになって、最終日の夕方になり病院の講堂でインターン生の送別会があり、多少アルコールが入った時に、その内科医が私を呼びに来てくれました。あの患者さんが亡くなったという事でした。当時は病院で亡くなると今後の勉強・研究の為に病理解剖をお願いするのが普通でした。内科主治医もその話を患者さんのご遺族にお願いしたら、息子さんから、「あのインターン生はどう言っているのですか。お袋はあのインターン生の言う通りにしてくれと言って亡くなったので」という訳で私を呼びに来てくれたようでした。私が病理解剖をお願いしたら、即座に了承してくれました。病理解剖室でずっと病理解剖を見ていたのを今でも記憶しています。
 この経験は私が医者になってからも大変役に立ちました。本を読んで、あるいは講演を聞いて、色々と知識を身に付ける必要はありますが、医者は技術も身に付ける必要があります。特に外科医は手術が上手でなければならないと思っています。ある時に上手に点滴をしたら、ある先輩から「点滴が上手いだけで名医だと思う患者がいるからなー」と揶揄されたこともありましたが、医者は点滴も手術も上手でなければならないと思っています。
カテゴリー: 総合
投稿者: kogame
出身母校の先輩であるクリニックのBLOGより。
さすが良い事を書かれているので紹介させていただきます。

以下がそれです。

みんなにお話ししておきたい事があります。

こんな事を、社会人の君達に話すべきかどうか悩んだのですが

僕の考えは、アクアメディカルクリニックの考えとして聞いてほしいと思います。

親子ほど年が離れている僕には

社会人としての当たり前の常識を 会社の長として

伝えていかなくてはならない義務があります。

こんな小さい零細企業でも です。


朝はおはようございます、仕事が終わればお疲れ様

人に会えばこんにちは、初対面の人には私はまるまると申します。

我々は日本人です。

ご飯を食べる時にはいただきます、ご馳走になればご馳走様でした 
は、社会人云々ではなく、人として当たり前の行動だという事は小学生でもわかります。

そんな当たり前の事ですが、中には出来ない人がいます。

それは知らない、わからないのではなく、気が付かない、そんな事には重きを置かない

もしくは価値観として持ち合わせていないのかも知れません。


仕事が出来る人がいるとします。

その人は やる事やってればいいだろう

同僚の1.5倍の成果を出しているのだからなんの文句がある

自分はそこで勝負しているのだから他の事でとやかく言われる筋合いはない。

といった考えを持ち合わせた人でした。


こういう人に凄く共感を持つ人もいるでしょう。

ウチの上司は腰抜けだから付き合いきれない

いちいち小さい事に口うるさいんだと

同じ職場にいなくても、気の合う友人に愚痴をこぼしてるかもしれません。


私達の仕事は言い方は悪いかもしれませんが客商売です。

患者さんがいらしてくれなければ、お給料も払えなければ、家族を養う事も出来ません。


こういう人の考えは、確実に仕事に現れます。

面倒であると感じる患者さんには冷たく

動きがゆっくりな患者さんにはイライラし

耳が不自由な患者さんには 相手が嫌がるほど大きな声で話しかけたりします。



そういう行動は

1)どれだけ生き生きとした生活をサポート出来るか

2)どれだけ人間らしい健康な毎日を送り、「幸福」を感じてもらえる様なサポートが出来るか

3)様々な時流の変化に対応し、どれだけ患者さんのニーズに応えられるか

4)その中でそれぞれにあった適切な指導や治療をどれだけ提供できるか

というアクアメディカルクリニックの理念に反します。



先日の××ちゃんのお別れ会は

今度結婚される旦那さんもご招待した時点でお別れ会ではなく

参加してくれたMRさんと

かえで薬局と

アクアメディカルクリニック

そして君たちが主催した二人の結婚を祝福する会に変更になっているのです。



これだけみんなに愛されていた主役の彼女は

盛大に、本当に心からみんなに祝福されました。



だから、彼女はすぐに、みんなにありがとうのメッセージを届けるべきだったのです。

こんな胸が苦しくなる事は本当はお話ししたくはありませんでした。


そんな事はわかっている

なんて小さい奴だ、面倒臭い奴だ

別に頼んで飲み会やってもらっているわけではない、と思われても構いません。


飲み会の場では実に頼りない上司ですので

いつも最後は締まりのないグタグタの会になってしまって申し訳ありません。


このご時世、言葉で言うことが恥ずかしい

また、難しいなら、手紙でも、メールでもいいと思います。

でも、そんな事をメールでしか伝えることの出来ない

堅苦しい、居心地の悪い職場には 私はしたくありません。



この間はごちそうさまでした。

チョット料理少ないし、美味しくなかったですねぇ。

今度は焼き肉でお願いします!

と言葉で伝えてくれる方が何千倍もうれしいのです。


私はまだまだ出来の悪い半人前の人間です。

それでも彼女には これから旦那さんを支えて 一緒に連れ添っていく伴侶として

旦那さんがみんなに自慢できる伴侶として

もっともっと話しておきたいこともありました。



もう一度言います。

朝はおはようございます、仕事が終わればお疲れ様

人に会えばこんにちは、お別れの時はさようなら

ご飯を食べるときはいただきます、ご馳走になればご馳走様は 当たり前の事です。


君たちには、そんな当たり前の事を 当たり前に出来る人になってほしいと思っています。


自分はそつがない、抜かりはないはずであると 考えている人がいるとすれば

その人は大きな勘違いをしています。

積極的に前に出て、アピールしていく人ほど へし折られるのを覚悟しなくてはなりません。

しかし、それを恐れて縮こまっていたのでは、人に認められないのです。



こんな偉そうな事を言うのは、人生の先輩としてはもちろんですが

当たり前の事を、当たり前に出来るようになっているはずの君たちがもし取り返しの付かない失敗をしたとしても

私は地べたをなめてでも その相手の方に土下座して謝れる覚悟があるからです。

その気持ちをわかってください。

これが、私から みんなに伝えたかった事です。