先日、年賀状を注文した。

昔からの感触で、
できるまでに2週間ぐらい考えて
日曜日の朝にネットで注文したら
なんと月曜日の朝すりあがって
郵便でとどいた。
びっくり!!!

年賀状、、、、、
スーパーアナログ。
この年中行事の
めんどくささが、
消滅の危機を迎えようとしている。

昔は、
1, 年賀状を買いに行く
2, 裏書の文字、デザインを考える。
3, 裏書の挨拶などを書く
4, だれに出すか考える。
5, あて名を書く
6, 投函する。

今は、
1. デザインをネットで選ぶ
2. だれに出すかを考える
3. あて名を印刷する。
4. 投函する。

と、言う風に以前よりはるかに
簡単になった。

先週、はなした様に
人間、一旦、楽すれば、
もとには戻れない。
どころか、もっと楽したくなる。

年賀状に関していえば、
さらに、簡単さを求め、
簡単になったことを
それでさえ、煩わしくなってしまっている
のか年賀状自体が消滅の危機にある。


話は変わるが、
私の世代の医者は、診療中に
電話をされるのを嫌う。
なぜなら、診療というのは
やはり、波があるからそれを途中で
中断されるから。特に
外科系であれば手術中であれば
一旦、手術を中断したり、
下手をすれば手洗いと着替えを
しなければいけないから。
(とった電話がセールスだったら
ぶちきれる!!)
とても失礼にあたる。

普通は、手紙でやりとりしたり
急ぐ時は、診療が暇な時間を
ねらって電話して
診療中ならなんどもかけなおす

それが、いまや普通に電話はかかるは
さらに若いドクターは
メールのやり取りになってしまう。

以前は、お薬やさんも用事があるときは、
診療が切れるまで
来院して、ずっとまっていた。
それが今やメールやダイレクトメール
電話をかけてくるやつまでいる。

おじさんには
なんだか寂しい時代になってきた。

年賀状にしろ医者とのやりとりにしろ
その手間をかける行為で
その人となりがわかり、
信頼関係がきずかれる面がある。

相手に対して
手間をかけるということ
相手を考えて行動することで、
その人の人間性や
その人が自分に対してどういう
扱いをしているかが判断されて
それか人間関係、しいては社会を支えている。

手間をかけないということは
そういう意味を持つことで
なんだか、淋しいというか、
恐ろしささえ感じる。


手間というものは、
自分に手間がかかっているのではなく、
相手に対して、手間をかけていることなのだから。

おじさんはめんどくさいね。。。。。。