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November 2022 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
今年の大河ドラマは面白い

私、なんでかわからないが
大河ドラマを見るのが
若いときから日曜日の
日課になっていて、
ほとんどの大河ドラマを見ている。

中にははっきり言って駄作
と思われるものもあるが
もう、終盤になったが、
今年の大河ドラマの
鎌倉殿の13人はなかなか見ごたえがある。

さすが三谷幸喜が最後の大河ドラマと
意気込んだだけあってなかなか
よくできている気がする。
(新選組、真田丸に次ぐ3作目)


私は、高校の時に世界史を
取っていたものだから。
(私の時代、高校は、世界史と日本史と地理
、政経、倫理社会が選択で、
理科系の人間は世界史と日本史の両方を
先行するものなぞいなかった)
(共通一次試験で点が取りにくかったから)
日本史がほとんど中学校の教科書程度の
知識しかなかったのだが、
大河ドラマを見ていたおかげで
大体の重要な流れは理解できるようになった。

もちろん大河ドラマはあくまでも
ドラマであるから、歴史事実をもとにした
フィクションなので
いろいろ実際とは違いう所はあるが、
歴史フェチでない私には
全然気にならない。
大河ドラマというのは、基本的に
あらゆる年齢層が対象であるから、
演出や内容がやや
劇場的に大げさなところはあるし、
言い換えれば
芝居がかっている。

主人公が、それはないだろうというほど
いろいろな人と交流があったり
親しかったりする。
この人はこの場面では登場しないだろう
とか、、、、

また、徳川家康や徳川慶喜などは、
ある大河では大悪人であったり
ある大河では戦乱の世を収めようとした
人徳の人だったりする。
徳川慶喜もある大河では
頭の切れすぎる人物だったり
ある大河ではどうしようもない人物
だったりする。

また、芝居も年配の人にわかりやすい様に
舞台の様に大げさにふるまったりする。
(水戸黄門的なあるいは歌舞伎的な要素がはいる?)

BSでときどき、以前の大河を
みるが、
まー演技は大げさで臭いし、
ドラマの内容もあまりにも
稚拙だったりする。


ただ、今回の大河は
北条時康という人物が
あまり、歴史にその即席をかかれていないこと
もあり、かなり自由にかかれており、
出演者の演技も映画レベルに抑えられており
なかなかその点では見ごたえがある。
また、今回は三谷幸喜ということで、
所々に笑いの要素をとりいれているところが
にくい。

大河ドラマはどうも
予算のかけ方がすごいようで
(最近、予算がかかる時代劇は激減している)
なかなか民放では作れない。

また、役者も大河ドラマに出ると
拍が付くみたいでかなり
力がはいっている。
(緒形拳、渡辺謙、西田敏行なんか
大河ドラマの主演で一級の俳優になっている)
他にも役所広司なんか、主役でなくても
大河ドラマに出ることで
有名になっている。)
主役ではなくても
“せごどん”の渡辺謙と鹿賀丈史の1対1の芝居
なんか役者が乗っているのがわかって
かなり見ごたえがあった。

今回も、最初は、雰囲気が合わないとおもった
大泉洋とか、そんなに上手とおもわなかった
小栗旬が、かなり熱演しており
ドラマに伯を付けている。

ただ、一つ残念なことに
大河ドラマは約1年おきに
力が入っている年と
やや力を抜く年がある???

来年はやや期待薄?????
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
先日、年賀状を注文した。

昔からの感触で、
できるまでに2週間ぐらい考えて
日曜日の朝にネットで注文したら
なんと月曜日の朝すりあがって
郵便でとどいた。
びっくり!!!

年賀状、、、、、
スーパーアナログ。
この年中行事の
めんどくささが、
消滅の危機を迎えようとしている。

昔は、
1, 年賀状を買いに行く
2, 裏書の文字、デザインを考える。
3, 裏書の挨拶などを書く
4, だれに出すか考える。
5, あて名を書く
6, 投函する。

今は、
1. デザインをネットで選ぶ
2. だれに出すかを考える
3. あて名を印刷する。
4. 投函する。

と、言う風に以前よりはるかに
簡単になった。

先週、はなした様に
人間、一旦、楽すれば、
もとには戻れない。
どころか、もっと楽したくなる。

年賀状に関していえば、
さらに、簡単さを求め、
簡単になったことを
それでさえ、煩わしくなってしまっている
のか年賀状自体が消滅の危機にある。


話は変わるが、
私の世代の医者は、診療中に
電話をされるのを嫌う。
なぜなら、診療というのは
やはり、波があるからそれを途中で
中断されるから。特に
外科系であれば手術中であれば
一旦、手術を中断したり、
下手をすれば手洗いと着替えを
しなければいけないから。
(とった電話がセールスだったら
ぶちきれる!!)
とても失礼にあたる。

普通は、手紙でやりとりしたり
急ぐ時は、診療が暇な時間を
ねらって電話して
診療中ならなんどもかけなおす

それが、いまや普通に電話はかかるは
さらに若いドクターは
メールのやり取りになってしまう。

以前は、お薬やさんも用事があるときは、
診療が切れるまで
来院して、ずっとまっていた。
それが今やメールやダイレクトメール
電話をかけてくるやつまでいる。

おじさんには
なんだか寂しい時代になってきた。

年賀状にしろ医者とのやりとりにしろ
その手間をかける行為で
その人となりがわかり、
信頼関係がきずかれる面がある。

相手に対して
手間をかけるということ
相手を考えて行動することで、
その人の人間性や
その人が自分に対してどういう
扱いをしているかが判断されて
それか人間関係、しいては社会を支えている。

手間をかけないということは
そういう意味を持つことで
なんだか、淋しいというか、
恐ろしささえ感じる。


手間というものは、
自分に手間がかかっているのではなく、
相手に対して、手間をかけていることなのだから。

おじさんはめんどくさいね。。。。。。

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投稿者: ryokusei
人間一度、、、、

あまり大きい声ではいえないが、、、、
人間は、一度、楽を覚えると
元の状態には戻りにくい。

たとえば、一か月50万の生活をしていて
一か月20万の生活になるのはきつい

たとえが悪いかもしれないが、
プロ野球選手が、高い契約金をもらって
現役時代は高い年棒をもらっていて
引退後に急に収入が減少して
生活に困り
ヘンになる人間もいる。

人間、一旦あまえると
元にはもどるのがむづかしいのである。

連日ニュースで
コロナや、円安、物価高で
補助の話ばかりでているが
一旦補助をだすと、、、、、



日本の国の財布は遠の昔から
空っぽなのに、借金してまで
金をばらまいている。
与党も野党も
選挙に勝ちたくて、
金のばらまきの話ばかり。
いずれこれは、重税となって帰ってくる。

大体、補助金なんて、出す官僚の
人達は、御育ちがいいのか
皆、性善説で
金をばらまく。

日本人、もはや性善説では
語れないほど
道徳感の欠如は著しい。

補助金なんか、
悪い奴ほどよく眠る
じゃないが、
悪い奴ほどうまく利用する。

日本だけでなく、世界的にも
社会保障費の増大は
加速していくばかり。

OO費が、一旦ただになったり
減額になると
もとには戻せない。

話は若干かわるが、
介護施設。
介護保険ができてからというもの
当初は、
高齢者をあずかってもらっているから
最近は、
極端な人など
高齢者を預けてやっている
という感じになってきている面がある。
サービスという商売は、
預かる側が低姿勢になればなるほど
どんどん大変になるのがどこの
世界でも同じだと思う。


又、話がかわるが
以前、言っていた様に
よくできる頭のいい
東大系列の病院が
患者さんに対して
患者さまという様に変えた。

当時から、私はそれには反対であったのだが、
そういう風になってから
医者と患者の立場が逆転してしまった。
いくらサービス業(医療はサービス業に分類される)
といえども
患者さんの立場が、医者と逆転すれば、
いろいろなことで
ちゃんと、ほぼ命令的に指導をしなければいけない
場面が多々あるのに
それが完全にやりにくくなって
しまったのだ。

それがわかって
先の東大系列の病院も
様というのを中止した。


学校もしかり、
もう、学校側の立場が弱くなってしまって
教育現場は、悪循環の繰り返しで
どんどん悪くなっている
様なきがする。
主役ばかりの学芸会
順位のつかないかけっこ
子供に挑発される教師


今は世論が、ますます
極端な意見が
一人歩きしている様な気もする。

いろいろ政策をおこなうのなら

人間、一旦、楽すると
もとにはもどれないことと
いまの日本人は性善説では
動いていないことを
よー―――く
考えてやってやってほしいなー―――。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
無機質な造形

最近、コトデンの三条駅の近くをあるいていたら
古い、アパートが
つたがからまり、朽ち果てて
廃墟になって
何とか建っているのを見かけた。

昔、子供のころよく建っていた
3階建ての集合住宅である。

そこは、小学校のころ友達が
住んでいて、あそびにいった
思い出があるところだった。

芋焼酎の“いいちこ”のCMの様な
ノスタルジーを感じた。

こんな、廃墟に限らず、
歩いていて昔からの家波が残っている
場所を歩いていたら
心の安心感を得る。

というのも、高松市は、
マンションラッシュで、
(どうも、他の県庁所在地より
土地が割安で、県外の業者が多数
参入しているらしい)
どこをむいても
マンションとその建設

マンションは、違いがある様でない
単調な無機質なマッチ箱にしか見えない
それもまた、無秩序に
乱立している感触がある。

私の家の隣にも10回建ての
独身用のアパートが
建ったが、いかにも無機質。

家の北側に立ったので
日差し等に影響はなかったが、
市内のマンションは
周囲の住宅を
影で飲み込んでいる。

大体、建設業者というのは
そんなのはお構いなし。?
あるところであるいていると
7階建てのマンションがたって
数年してその南に10階建てのマンションが
建っていた。
もとのマンションの価値はどうなるの??

高校を卒業してすぐ高松をでて、
45年ほど、
その時に立っていた家は
もうほとんど存在しない。

古いそのころにあった家を見ると
なんだかホットするのである。

なんだか、昔の温かみ、住人のぬくもりを
感じる。
マンションにはその建物と同じで
住民のぬくもりを感じない。

つい最近も子供のころに行っていた
模型屋さんの建物が
(模型屋さん自体はずっと前にやめていたが)
平地になっていた。

常盤街や南新町もどんどん
再開発が始まっている。
小さな店が連なっていて
にぎやかだった常盤街も
もう今は昔。

こういう風景を見るたびに
自分の思い出がひとつずつ削られている様で
何か淋しい。