昨年暮れ

昨年暮れに用意していて
病院におきわすれた
ブログを
本日は、、、、
年始にあたり書きます。。。。です

とうとう今年も押し迫ってまいりました。

今年は、当院では
1月に裏の特養が新型コロナの
クラスターを作り大変な
年明けであった。
3年間、他のほとんどの施設が
クラスターを作る中
(複数回作るところも多々あったなか)
頑張ってきたが、ついに
クラスターを作り
もちろん、病院に入院させられるわけでもなく
医療に対しては不慣れな
介護者を指導しながら
大変な思いをした。

それを考えると
そのことがかなり前の様におもえるのだが
いろいろ考えるとやはり短い1年だった。

以前もいったのだが
1年のことを考えるのに
歳をとればとるほど
短く感じる様になるのだが、
その一つの理由が、自分の記憶。

10歳の子であれば
6歳からの記憶が残っているとすれば
1年は、人生の5分の1
ところが
私(63歳)であれば
同じ様に6歳からの記憶があるとすれば
1年は、人生の58分の1
さらに記憶力の低下でそれより
短く感じるはず。
ま、しかたないか。

暦は、人間が勝手につくったものだから
別に大晦日や元旦を
普通の一日とかんがえても
いいのだが、
(犬は、大晦日や元旦も
普通の1日)
1年を振り返ることで区切りをつける
ことは悪くないと思っている。
失敗したこと、うまく行かなかった事を
反省することが
大事と考える。

話は、かわるのだが、
介護について、介護に係わる
会が定期的に行われていて
以前、参加していたのだが、
今は足が遠のいている。
その理由が
もちろんコロナが流行って
集会に行きたくないというのもあったのだが、
会での発表が、介護について
上手く行ったことの発表ばっかりだったので、
発言を求められたとき
“失敗したことを発表して
改善することを考えたらどうか“と発言したら、
裏で、”失敗ってなんのこっちゃ“という声が
聞こえてきたので
それだけの会なのかと
いやになったのである。

医療を問わず、社会では、
エラーに学ぶというのは
非常に一般的なことである。
失敗やエラーというのは、
どんなに気を付けてもあること
それに学ばなければ、
決して発展はない。

今後、またコロナに限らず
新興感染症がつぎつぎ出てくると
かんがえられるのだが、
それに対して
末端の病院から政府まで
上に行けば行くほど
反省が無いようなきがしてならない。
結局、事がおきたら
想定外としてバタバタするだけな
様な気がする。


話は、とんだが、
一年、 いやではあるのだが
反省するところは反省し、
来年を迎えよう。。。。。

なんて思うのだが。。。。。
63歳になっても進歩がない
私です。