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June 2023 の投稿一覧です。
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投稿者: ryokusei
じじいは去るべし


今、世界中で地球の温暖化が
問題になっているにもかかわらず
どうしても
この問題を世界は
本気で着手しない。

CO2が直接これに反映しているのか
どうかは確かではないが、
すくなくとも
CO2の排出が
一因であることは間違いない。

この地球規模のできごとが
1動物の私の半生で
それを感じられるというのは
まことに異常なことである。
(明らかに、気温が
上昇している。)

それどころか
ロシアは戦争するは、
中国は戦争しようとしているは
もう、目も当てられない。

地球温暖化というできごとは、
いろいろ今後の予想がでているが、
おそらく、予想より早く
気温は上昇している。

というのも気温の上昇が、
いろいろな副作用をおこして
(永久凍土の融解、北極の氷の融解
快音の上昇などなど、)
相乗効果がでて
実はもういまからCo2を減らしても
間に合わない可能性が出ているのだ。

この気温の上昇は、海面上昇を
きたし、食糧危機は目の前に来ている。
(食料自給率の悪に日本は
もうすぐ餓死してしまう?)

大げさなことを言うようだが、
今のままでは人類は滅びる
可能性がると考える
科学者も少なくないのだ。

ま、私が生きているあいだは
まだ大丈夫とおもうが。。。。。。

。。。。。と、どうしても
じじいは考えてしまうのだ。。


どうにもこうにも
世界の指導者が高齢化しすぎ!
歳がいくと
必ず心の底に
私とおなじで、私の生きている一はまだ
大丈夫。
災いは、次の世代がどうにかする
だろうという心がどこにあるはず。

特に権力をもっているものだから
すくなくとも自分はちょっとや
そっととのことでは
死ぬまで苦労しないというこころが
どこかに潜んでいるはず。


バイデン大統領なんか
あの滅びゆくアメリカの象徴のような
気がする。
ケネディーが43歳で大統領になり
オバマは47歳(アジア政策は失敗したが)
あのブッシュでも54歳。で
大統領になっているのに
ところがバイデンは今、80歳なのだ。
若く見せようとすればするほど
じじいに見えてくる。

じじいのバイデンとトランプが
アメリカの大統領選挙をしているのをみていて
アメリカの終焉を感じてしまった。

プーチンや習近平は70歳で
世界はもとより自国の国民の命や生活より
自分が
歴史に名をのこしたいだけなのか??
死んで名を遺すことに何の意味があるのかな???
自分の国を強国にすることが、
歴史に名を残し、国民を豊にすると
思いこんでいるようだ。
(人類が滅びるより)
歴史をみれば
もしそうなってもよくつづいて100年だよ!

世界の指導者が
じじいばかりでは
もう明日の世界はないものと
思われる。
(日本もOOという80を
越した妖怪のような政治家が
何人か、力をもっているが)


そこで、私の提言
指導者は、
大統領、首相にかぎらず
会社の社長、医師会の会長を含め
60歳定年!!

そのまま一兵卒で
働いていいから
全ての実験は60で終了
ってなものはどうだろう。
もちろん、すべての利権は
はく奪。

そうすりゃ、ばらまいて
票稼ぎで、実のない
少子化対策もなくなろうし、
利権だけの政治もチートは
減るだろう。

本気で明日の世界を
もうちーとは考えて
未来志向の世界ができるのでは
ないかな。
なんて、。。。


あ、しまった、
私も60こしたから
院長やめなきゃ!
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投稿者: ryokusei
叱ることはいけないのか

今、叱ること良しとすると
そのとたん
世間からたたかれまくる
という風潮にあるが、
果たしてどうなんだか
私にはわからない。

何でも、褒めて育てる時代。
今の子供を含め若い世代は
叱られることに馴れていない。
叱られると、潰れるか、逆切れする。

水曜日にあった自衛隊の銃撃事件も
詳細は知らないが、
上官を狙ったところを見ると
ひょっとして、、、、、、、

叱られると
高齢者もよく切れるといわれるが
逆切れと言う点だけでいえば、
やはり若者が多い様な気もする。
(実際怒らなくても、
行動が逆切れするのも入れて
最近の子は仕事でなにかあると
すぐやめる。これも逆切れの一種??)

医学的に言えば、
人間、感情を抑える脳の場所として
前頭野という部位があるが、
高齢になると機能が低下する。
また、最近の研究で、ゲーム、スマホの
依存でこの前頭野の発達が未熟になると
いうデーターが出ている。


大体、人間だけでなく、動物も
怒りという感情が存在する。
これは何かというと
本来は、自分の生命をまもるための
防衛本能的に身についたといわれている。

この怒りの感情を無理やり抑えていたら
それこそ爆発しそうだし、
むしろ怒られることで、人間、対人関係で相手をおもいやり
どうやったら相手を怒らせないか、
あるいは、怒られても我慢するということが
身についてくる本能の様な気がする。
最近は、その対人関係自体が崩壊し、
他人の気持ちを思いやる気持ちが
失せてきていることに
多いなる問題がある様な気がする。

日本人は、特に島国で育ってきているので
その対人関係を文化的に重視してきたきらいがあり
その粋たるものが
日本人がすきなことばの
おもてなし
の様な気もする。


九州でいたころ
私の上司が
私の物まねをすると
“ちくしょう”の連発をしていた。
私は育ちがいいもんで
口癖が ちくしょう だったらしい。

中学と大学と軟式庭球に没頭してたから
当時は、いまで言ったらいじめの世界
医者になってからは
ぼけ、カス、死ねの世界
そんな中で、”ちくしょう“が
口癖になったのだろう。

若い人は知らないとおもうが
最近なくなった
中西 太さん
(高松一校出身で西鉄ライオンズの
全盛期の中心打者)の口癖が
なにくそ 
だったらしい。

偉人と比べるのはおこがましいが
この”ちくしょう“と”なにくそ“は
ほとんど同じ意味の様な気がする。

そんな中西太さんは、
褒めて育てるタイプであったらしいが、
本人は、いやというほど
怒こられて育ってきたに違いない。

学術的にいえば

褒めて育って成功した人の例がたくさん挙げられるが、
怒られて、我慢して、なにくそと
おもって育って成功した人もたくさん
いるに違いないし、
褒めて育ってダメになった人達、
怒られてダメになった人達の
具体的な症例数がしりたいものだ。

しかし、一つ言えることは
怒られ慣れてない
今の若い者を叱ると
ダメになることだけは
間違いない様だ。
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投稿者: ryokusei
先週のつづき
UHFをコンバーターをつけて見ていたが
これがチャンネルじゃなくて
ラジオみたいに
微妙な調整をする機械だったが
このコンバーターが
テレビについて
チャンネルが2つついていたテレビ
が出てきた。
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当時の電化製品というものは
今考えるとやたらに高級感があって
場所をとっていた。
(実際高かったのだが)



高級な電化製品といえばステレオ

ソノシートで聞いていたのと段違いだった。
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スピーカーがでかく
各段に音はよかったが
高かった。
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兄がねばって親に買ってもらい
こんな感じのステレオが
家にやってきた。
このステレオも後に4チャンネルステレオが
出現し、(スピーカーが4つ)
家にはなかったが、
音楽が好きで、お金持ちの
いとこの家に
あって
おじさんに見せてもらって
初めて聞かされた音楽が
なんと
美空ひばりで
ん。。。。。。。。。
4チャンネルステレオは美空ひばりを
聞くためのもんなんだ。。。。。
って思った記憶がある。
(げっそり)

話はテレビにもどり

それからボタン式になって
ボタンを押して
チャンネルを変えられる様になった
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皆、1mのものさしで
遠くから押して
リモコンだ、なんてみんな
やっていたのじゃないのかな。

当時、小さな14型のテレビが出始めて
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2台目のテレビが持てる様になって
こんなアンテナをテレビの上にのせて
一所懸命映りがいい方向をさがしていた
様な。
それが、自分の自身の位置がかわると
また、移りがわるくなったりして
大変だった。


それから本当のラジコンができて
はじめのころは一方向だけしかうごかなくて
ボタンを押すたびに
がチャンがちゃんとチャンネルが
動いていた。。。。
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それからきがついたら
ラジコンだけになって
テレビからチャンネルや
ボタンが消えちまった。
皆、座ったままで動かなくなって、
どうかしたら、ベッドからテレビをみながら
おうちゃくする様になった
つまりは
人間が動かなくなってしまった。

動くときはラジコンを探すときだけ。


その間に出てきたのがビデオテープ
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なんと最初はこんなにバカでかかった。

電化製品にあまりお金を使わない
おやじが、
夜もいろんな会でいそがしくて
大好きなプロレスを見逃さないために
結構早くからビデオテープを買っていたが。
当時、馬場や猪木の
ビデオを見るときは必ずといっていいほど
眠りこけていた。

当時、四国はベータ(ソニー系列)
それがソニー系がまけてVHFに変わってしまって
βのビデオがみれなくなってしまって
困惑したおぼえが。。。。。。


仕事で忙しく
テレビ番組もろくに見れなくなった間に

置き場所を選ばないといけない
厚いテレビが
いつの間にか
薄くなってしまった。

ビデオテープは
CD,DVD
そしてBD
それから大容量のバードディスクへ、

電化製品の変遷は、
とてつもなく
はやい。


おじさんは、もうそろそろついていけないかも。。。。。
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投稿者: ryokusei
次いでにテレビ

前回、ラジカセの話をしたので
今週は、ついでにテレビの話で

子供のころ最初に見た覚えのあるテレビは
こんな風に観音開きだった。
結構、今から思えばかなり
画面が暗くて
太陽が当たる明るい部屋では
醜くて、
夜や、やや暗い方が見やすかった。
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これで、お母さんと一緒を見たような。

その次に覚えがあるのは
とにかく、大事な高価なものだったから
よく布をかぶせていた。
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ブラウンで、スイッチを消すと
画面が小さな
明るい点になって消えた。

また、映りがいいわけでなく、
アンテナの具合で、
よく走査線がでて
上下に動いていて
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真空管の影響か否か
ホンと叩くと治ったりした。

いまから思うと、
2重に移ったり、砂嵐がうつったり
台風がくるとアンテナの方向がかわったり
それでも、やっぱりメディアの中心だった。

そういえばそのころ
NHKで4時5分になると
♪よじごふん、よじごふん、たのしくてれびをみるために~
なんて受診相談というテレビ番組があったぐらい
なんでなのか音楽がよく耳に残っていた。

それからしばらくして
カラー放送が始まったのだが
最初は、白黒テレビだったので
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こんな風に画面にカラーってでて
カラー放送されているんだなって
白黒の画面を見て
思ったものだ

ブーフーウー三匹の子豚は
白黒でみた覚えがある。
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ひょっこりひょうたん島も
カラーという表示が出ている画面を白黒で
見た覚えがある。
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鉄腕アトムも白黒だったな~

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それから時がすぎて

カラーテレビが家にやってきて
なんがバカでかく
重厚でいかにも高価であった。イメージがある。
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札幌オリンピックはカラーで
見た覚えがある。
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飛び出せ青春はカラーだったな
“君は何を今見つめているの”
青い三角定規
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は、確実にカラーだったな

その頃は、
NHKと教育テレビ
山陽放送と西日本放送だけで
信じられないだろうが、
ドラマなんか東京の一週間おくれで
放映されていたものがある。


(ちなみに映画は、東京の2か月おくれで
高松で上映、その2か月おくれで丸亀
観音寺では半年遅れはざらだった。)


そうしているうちに瀬戸内海放送ができて
これがまた、初めてしったUHFで
普通のテレビでは見れなくて
コンバーターなるものをつけて
テレビの上に乗っけていた
覚えがある。
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こんな機械をテレビの上において調節していた。


当時は、テレビは
街の電気屋さんに
たのんで持ってきてもらっていたが

いつも頼む電気屋さんとは
電気工事、アンテナの設置なんか
なんでもたのんでいたので
おなじみの人だった。
テレビを運んできて
アンテナをつないで
調節をしていたのを子供ながらに覚えている。

ちなみに初めてUHFで映った番組は
かわいい魔女ジニーだった。
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今と比べれば
安売りではなかったのであるし
家に来ていた電気屋さんが
サンヨーだったので
なんでも電化製品はサンヨーだったが、
商売に人を感じられるアナログで
いい時代だったのかもしれない。
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(尚、写真の電気屋さんはヤマダ電機)
つづく