次いでにテレビ

前回、ラジカセの話をしたので
今週は、ついでにテレビの話で

子供のころ最初に見た覚えのあるテレビは
こんな風に観音開きだった。
結構、今から思えばかなり
画面が暗くて
太陽が当たる明るい部屋では
醜くて、
夜や、やや暗い方が見やすかった。
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これで、お母さんと一緒を見たような。

その次に覚えがあるのは
とにかく、大事な高価なものだったから
よく布をかぶせていた。
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ブラウンで、スイッチを消すと
画面が小さな
明るい点になって消えた。

また、映りがいいわけでなく、
アンテナの具合で、
よく走査線がでて
上下に動いていて
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真空管の影響か否か
ホンと叩くと治ったりした。

いまから思うと、
2重に移ったり、砂嵐がうつったり
台風がくるとアンテナの方向がかわったり
それでも、やっぱりメディアの中心だった。

そういえばそのころ
NHKで4時5分になると
♪よじごふん、よじごふん、たのしくてれびをみるために~
なんて受診相談というテレビ番組があったぐらい
なんでなのか音楽がよく耳に残っていた。

それからしばらくして
カラー放送が始まったのだが
最初は、白黒テレビだったので
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こんな風に画面にカラーってでて
カラー放送されているんだなって
白黒の画面を見て
思ったものだ

ブーフーウー三匹の子豚は
白黒でみた覚えがある。
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ひょっこりひょうたん島も
カラーという表示が出ている画面を白黒で
見た覚えがある。
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鉄腕アトムも白黒だったな~

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それから時がすぎて

カラーテレビが家にやってきて
なんがバカでかく
重厚でいかにも高価であった。イメージがある。
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札幌オリンピックはカラーで
見た覚えがある。
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飛び出せ青春はカラーだったな
“君は何を今見つめているの”
青い三角定規
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は、確実にカラーだったな

その頃は、
NHKと教育テレビ
山陽放送と西日本放送だけで
信じられないだろうが、
ドラマなんか東京の一週間おくれで
放映されていたものがある。


(ちなみに映画は、東京の2か月おくれで
高松で上映、その2か月おくれで丸亀
観音寺では半年遅れはざらだった。)


そうしているうちに瀬戸内海放送ができて
これがまた、初めてしったUHFで
普通のテレビでは見れなくて
コンバーターなるものをつけて
テレビの上に乗っけていた
覚えがある。
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こんな機械をテレビの上において調節していた。


当時は、テレビは
街の電気屋さんに
たのんで持ってきてもらっていたが

いつも頼む電気屋さんとは
電気工事、アンテナの設置なんか
なんでもたのんでいたので
おなじみの人だった。
テレビを運んできて
アンテナをつないで
調節をしていたのを子供ながらに覚えている。

ちなみに初めてUHFで映った番組は
かわいい魔女ジニーだった。
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今と比べれば
安売りではなかったのであるし
家に来ていた電気屋さんが
サンヨーだったので
なんでも電化製品はサンヨーだったが、
商売に人を感じられるアナログで
いい時代だったのかもしれない。
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(尚、写真の電気屋さんはヤマダ電機)
つづく