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April 2023 の投稿一覧です。
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投稿者: ryokusei
ゴールデンウイーク

ゴールデンウイークが
今回始まりますが、
昔から、あまり、ゴールデンウイークなんて
思ったことがない。

大体、子供の頃は、
3日の祭日のうちの
どれかが日曜に重なっていたので
およそ休みが2日ほど増えるだけ
の様な一週間だった覚えがある。
だから特別なにをした記憶もない。

連休がふえたのは振り替え休日ができてから?
(1973年より)

ただ、大学生の時は
その一週間は連休で、
九州山口の医学部の運動系の大会が
あっていたので
ほとんどその大会に費やしていた
(いい時代。。。。)

医者になるころには週休2日制やら
4日が休みになったりして
長期の連休になったが、
仕事がらほとんど関係なかった。
(若い時は当直が多くて逆にいそがしかったりして。。。)

それにしても
子供のころは元気だったのか
短い休みでも
遊び回っていた気がする。

大体、当時は、
大人になったら試験もないし、
おおよそ悩み事など
減って行くだろうと
気楽にかんがえていたが、
あにはからんや!
仕事への重圧は、試験の重圧より
遥かに重いし
悩み事は年とともに増えるし
まったくもっていいことはない。

いまに思えば、無邪気に
遊んでいたころが。。。。。

子供の頃は、なにをしても
目新しいし、頭はいまより回転していたし
行動は俊敏だし、疲れはしらないし、
だから なにをしても楽しいし
一日は長かった。

今に至っては目新しいことはないし
頭の回転は落ちるし
体はいう事を聞かないし、疲れやすいし、
1日は短く、気が付いたら
何もしない間に
一週間すぎて
病院にいって働いている。。。。。

あれがしたい、これがしたいより
あれをしなければいけない、
これをしとかなければいけない
の方が多い?

と、連休を前に
もうすでに鬱っぽくなっている
私でした。
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投稿者: ryokusei
私の医者としての欠点2

こまった薬ができたもんだ

今週、新しい注射の糖尿病薬が
発売された。

原理的には以前よりあり
現在までに、飲み薬と注射薬があったのだが、
これにさらに新しい成分が
追加された注射薬が発売された。

詳しい内容は、
ややこしいので省略するが、
結果、
この薬を使用すると
明らかに食欲が低下するのである。
つまり、痩せるのである。

簡単に言えば、食欲と
消化管の動きを抑えて
食事量が減ってしまうのである。
そして
いままでの薬より
より食欲を抑える効果が
高くなるのである。

これは、決してこの薬の主作用ではない。
しかるに、いままでも
これらの薬がやせぐすりとして
処方されてきているのだが、
今回、この薬が発売されたことによって
さらに
やせ薬としての処方が増えてしまうことは
間違いない。

元来は、その他の効果を
使って糖尿の治療を行う
予定であったが、、、、、

この薬は外国で作られたのであるが
そもそも
欧米の白人と東洋人
には糖尿病において
決定的な違いがある。

外国人は、インシュリン(糖分を
代謝するホルモン)
の分泌が比較的いい人が多く
われわれから見て
とてつもない肥満で糖尿病
になる人が多いのだが、
東洋人は、基本的に
インシュリンの分泌が少ない。

よって、欧米でやせ薬の効果もある
こういう薬が効果がつよく
開発された。
ところが、東洋人には
この薬は基本的には、
少し意味合いが少しちがう
(詳し原理を説明するとわかりにくくなるので
省略するが、)
この薬を糖尿病の治療薬
使用するには基本的に
インシュリンの分泌する
力が必要なのである。

よって、この薬を日本人につかうということは
やせ薬としての意味合いが強いのだ。

先週もいったが、
私の父は医者であったのだが、
戦中に医者になった医者で、
いわゆる昔堅気の医者で
医業に対する誇りが
非常に強かった。
基本的に
医業で儲けをすることを
非常に嫌った。

おやじは仕事が忙しく
ほとんど話をすることもなかった。
子供のころから
ずっと一日会う時間と
いえば10分あればいい方で、
ほとんど話をすることは
なかったのだが、
どういうわけか
こういうところだけ
似てしまった。
(兄は、父親ともっと接する
時間があったのであるが
それのためか、まったくタイプが
おやじや私とちがう医者になってしまった?)

というわけで
どうしてもこの薬を
本来の目的以外で
使う気にはなれないのである
(儲けや、人気とりには、なるのであろうが)

また、どうしても新しい薬は
あとでいろいろ問題がでてきたりするので、
クリニックレベルでは
一般に処方されてしばらく
情報を得てから使うことが多い。
(実際、まだ使用が始まってから時間が
たっていないので長期の実績が不明で
糖尿病学会もガイドラインにのせていない)

もちろん必要な人には出すのだが、、、
それでも、、、
いつも見ている患者さんが
糖尿で、どうしてもといわれると、、、、

感情としがらみの板挟みになることは
間違いない。

ああ、こまった薬ができたものだ。
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投稿者: ryokusei
私の医者としての欠点

私の医者としての最大の欠点は、
病院に受診することが
ほとんどないこと。
つまりは、病院にかかる患者さんの
本当の気持ちがなかなかわからないこと。
と感じている。

私、子供の頃から
家が病院でることもあって
ほとんど病院へ
正式にかかったことがない。

医者になってからというもの
自分が、なんでも屋なもんで
自分の診断と治療でことたりる
ことが多く
他の病院に行くことが
めったにない。
(もう一つの理由としては、
だいたい他の病院も当院とシフトが
同じで、行くとしたら休診にしなければ
いけない。
 また、一つ、自分がなんでも屋である
だけに、他院で検査をするとその
結果を見ていろいろ考えることに
なるので、恐い!!)

5~6年前にひどい眩暈が発生して
ナースに所見をとらせて
自分で診断して、治療した。

最近、年のせいか
いろいろ起こす。
この1っか月で
階段からすべりおち、足を
たましこ打って、夜中ねむれないぐらい痛かった。
次の日にレントゲンをとって
骨折していないことを確認
(おそらく不全骨折)
自分で固定して何とか治った。
(完全に折れてたら整形受診!!)

先の土曜日には
突然、腰痛が出現
尿路系の結石と判断して
痛み止めをのんでひたすら我慢
(疝痛発作は痛み止めが利かん!)
(痛みが止まらなかったら
あきらめて泌尿器科を受診!!)
なんとか数時間で
消失。

しかしながら
右の眼の白内障があって
どうも限界がきている。
さすがに眼科は
自分でどうしようもないので
受診の予約をとった。

ま、病院にかかるのは
予約を取ってから
なんか落ち着かない。。。

患者さんの受診する時の気持ちは
分かっているつもりなのだが、
自分が病院を受診するとなると
こういう気持ちになるのだということを
おもい知らされる。。。。。。

ちなみに、医者は、自分で自分を
保険診療できないので、
(風邪をひいても自分で処方できない!)
自分で自分を診断するのは
自費になります。。。。
なんかヘンでしょ。
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投稿者: ryokusei
今回、今週のブログの原稿を
病院のコンピュータの中に忘れてしまちゃった!
ので、いまから考える気力もなく、
一回お休みにします。
なお、来月、私、
歳のせいで
白内障の手術を予定しましたので、
時々、内田先生に代診をお願いしたり
お休みしたりする予定です。
あしからず。



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投稿者: ryokusei
シティーポップだって。

なんだか、今
私の若いころの曲が流行っているらしい。
大瀧詠一、竹内まりあなんか、、、、
私が若いころ、よく流れていた音楽だ。

どうやら、you tubeの時代。
いままで、閉鎖的で外国には
あまり進出していない時代の曲が、
アメリカのマニアの中で発掘されて
それが東南アジアまで波及して
日本に逆輸入されて
それがある程度のブームになっているらしい。

それが、意外と当時それほど流行ってない
曲が人気が出ているらしい。

松原みきの“真夜中のドア”
竹内まりやの“プラスディック・ラブ”
なんかが流行っているみたいだが
“真夜中のドア”は聞き覚えがあるが、
“プラスディック・ラブ”は???

インドネシアの歌手が日本語で
真夜中のドアを歌っているのは
一見の価値がある。

専門家がなんやら分析していたが、
リズムや音階が今の曲にくらべて
リラックス効果があるらしい。。。
とのこと

おじさんは、だいたい
今の曲がやや耳障りで、
どうもメロディーラインが頭に入ってこず
覚えずらかったし、
やはり、昔の曲の方が、耳障りがいいので
幾分同意したのだが。。。


私は、当時どちらかというと
フュージョン系を聞くことが多く
高中正義や、伊藤たけしのスクエアなんかを
聞くことが多かったので馴染みはないけれど
それでも
大瀧詠一や、大貫妙子、杉山清貴なんかは
何枚もレコードを持っている。
山下達郎は、車のハードの中にはいっていて
時々聞くこともある。

私にしてみれば、
これらの曲が流行ったころは
本当に20代の多感なころだったので、
曲をきけば当時を思い出して
懐かしさに浸るのだが、
今の子たちは新鮮な音楽として
聴くわけで、
なんだか不思議な感じがする。

この楽曲は今から40年ほど前お曲で
私が25歳当時それから40年前というと
終戦の年になってしまうので、
25歳当時に
終戦の近辺の曲を好んで聞くことなんかありえないし
聴くとしたら”思い出のメロディー”的な番組
だけだったので、
今の子たちが
当時の曲を新鮮な面持ちで
聴くというのはなんだかうれしい気もする。

それにしても当時きいていた
大瀧詠一、加藤和彦、高橋幸宏
ついでに
村下孝蔵、河島英五、鮎川誠
皆、死んじまった
よく考えれば
10歳前後しかかわらないのに。。。。
げー
おれも年をとったな。。。。。。