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投稿者: furujinmachi
先日、患者さんがインフルエンザに感染して、そのあとから調子が悪いとおっしゃってました。特にストレスもなかったのだけれども、ということで不思議に思っているとのこと。
ウイルス感染後で高熱が出たあとにうつ状態になることが多いのですが、案外知られてないのかなと思います。
コロナ感染後は後遺症として「ブレインフォグ」と言われる病態が一時期話題になったように思います。
ブレインフォグの主な症状は以下のようなものになります。
・集中困難・注意散漫
・記憶力の低下(短期記憶が特に)
・言葉が出にくい、会話が困難
・複雑な作業ができない
・思考の鈍さ、遅さ
これらの症状は、うつ病と類似しているものが多いです。
コロナに限らず、高熱を出す感染症にかかると、脳内にも炎症の影響が及び、特に炎症性サイトカインの増加と感染後抑うつ症状の関連が強いと言われています。自律神経の不調が強くなる人も多いです。インフルエンザ感染後にうつ状態になったり、元々抱えている精神症状が悪化したりすることもよくあります。
これらの後遺症は、しばらくすると改善することが多いです。なので、「高熱を出して脳が少し疲れたんだな」くらいで受け止めておいてもらえた方がいいかなと思います。長引くようであれば抗うつ薬の追加・増量を検討します。
まず、高熱の出るウイルス感染後には一時的にうつが悪化することがある、ということを知っていただくこと。知っておくと、原因が分かり、それだけでも安心する部分があると思います。
その上で、次のような点に気をつけていただければと思います。
・無理をしないことが第一:休息を「投資」と考え、回復のための時間と捉える
・生活リズムを整える:毎日同じ時間に起き、食事・入浴・睡眠のリズムを意識する
・活動は少しずつ段階的に:疲れたら一度止まり、「今日はここまで」と決める
・深呼吸・ストレッチ・温める習慣を:自律神経を整えるために、ゆったりした呼吸・軽い運動・入浴が効果的
・不安や落ち込みも自然な反応:「こんなふうに感じるのは自分だけではない」と知ること
コロナ感染の報告もまだ定期的には聞きますし、どんなに気をつけていても、集団生活をしている中で感染を起こしてしまうことはあります。感染後にうつ状態になり、なかなか改善しない(1ヶ月以上続く)場合には、精神科/心療内科へ相談に来ていただけると、一緒に対策を考えることもできますし、すでに通院中の方は、主治医の先生に報告するようにしていただければと思います。
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投稿者: furujinmachi
「どうして私はこんなにダメなんだろう」「また失敗してしまった」。ふとした瞬間、こんな言葉が頭に浮かぶことはありませんか?誰かに言われたわけでもないのに、自分自身に対して、まるで厳しい上司、厳しい親、厳しい先生のような言葉を投げかけてしまう。こうした「自分への語りかけ」は「セルフトーク」と言われ、その影響力の大きさは、種々の心理療法で指摘されています。
私たちは普段、他人に対しては気をつけて言葉を選びます。相手を傷つけないように、勇気づけられるように、やさしい言葉やいたわりの言葉を探そうとします。けれど、自分に対しては、どうでしょうか?ミスをしたとき、疲れて動けないとき、うまくいかないとき―そんな場面で、自分を責めるような言葉がすぐに出てきてしまうのは、とても多いことです。
私自身も、なかなか自分にダメ出ししてしまうクセが抜けませんでした。でも、1日の中で、自分自身に一番多く語りかけているのは、他ならぬ自分自身です。その自分が、自分の自己肯定感を下げるような言葉やイメージをずっと繰り返していると、それは自分に良い影響を与えません。そこで、自分で自分を責めるような気持ちになっていることに気づいたら、意識してそれを変えるように練習するようにしました。
調子の良いときに、自分を肯定的に捉えることは比較的容易です。でも調子の悪いときこそ、それ以上に自分をいじめないように、自分に追い打ちをかけないように、弱っている自分をいたわるように、自分自身に語りかけること。そのことは、意識していないと実際には難しいです。
でも、もしこれが友達だったら、大切な家族だったら、なんて声をかける?そんな風に考えて、弱っている自分にかける言葉を探しました。
「疲れてるんだから、休んでいいよ」「しんどい中でよく耐えてるね」「いっぱい悩んでいっぱい考えてること、知ってるよ」
そんなふうに、自分にやさしい言葉をかける練習を重ねるうちに、自分に対して肯定的に思える気持ちが増えてきました。
自分への言葉は、自分自身に向けた「栄養」のようなものです。厳しい言葉は、ストレスホルモンを増やし、体の回復力を下げてしまうことがあります。反対に、あたたかく思いやりのある言葉は、自律神経や免疫系に良い影響を与えることが、さまざまな研究でも示されています。
たとえば、今日一日の終わりに、「また何もできなかった」と自分を責める代わりに、「今日も一日、よくがんばったね」と言ってみる。
朝起きたときに、「今日も不安だ」と思う自分に、「そんなふうに感じるのも自然なことだよ」と寄り添ってみる。
そんな小さな言葉の積み重ねが、自分との関係性をあたたかくしてくれます。
自分にやさしい言葉を選ぶことは、甘やかすことではありません。
それは「今の私」に目を向け、「今できること」を大切にする姿勢です。
もし、あなたが大切な友人に声をかけるとしたら、どんな言葉を選ぶでしょうか?
その言葉を、どうか自分自身にもかけてあげてください。
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投稿者: furujinmachi
これまでの原稿をまとめて一つの原稿に仕上げました。
タイトル「医師になってからの四半世紀を振り返って」
精神科の新薬が次々と開発・販売された時代
私はちょうど、2000年、ミレニアムの年に医者になりました。自分がもう四分の1世紀も医者をしていることになんだか驚きを感じます。働き出した頃は、精神科はまだ「定型抗精神病薬」「三環系抗うつ薬」が主流で、ほぼ100%院内処方でした。リスパダールが1996年、ルボックスが1999年、パキシルが2000年、セロクエル・ジプレキサが2001年の販売ですので、新規の薬がどんどん販売されたときでもありました。これまでの治療が大きくかわっていく転換期だったと思います。
2002年には、「精神分裂病」が「統合失調症」へ病名変更されました。正直、現場ですぐに何か変わったか、という実感はありませんでしたが、病名を告知し、治療についてもきちんと説明をするという流れになっていったと思います。
また、精神保健福祉法が改正され、名称も「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に変わりました。今まで、差別や誤解、偏見の大きかった「精神科」という分野に、少しずつ変化が起きていったように思います。
それから、香川県内のことで言うと、2003年10月に、香川医科大学と香川大学が統合し、新たに香川大学として発足しました。この時私は大学院生だったのですが、母校の名前がどのようになるかが、気が気ではありませんでした。「香川医科大学」であった時は、私立大学なのか、専門学校なのかといった誤解も多く、「香川大学の医学部になる」というのが一番シンプルで良いと思っていたのですが、一部の人たちの中には新たな名前にしたいという動きもあったようで、「香川総合大学」とか「香川国際大学」とか、そのような名称になると、逆に国立大学と認識してもらいにくくなりそうに感じていました。香川県出身者としても、地元の大学が、特殊な名称になるのは抵抗があり、結果的に「香川大学」に落ち着いたことでホッとしました。私自身の学歴は、「香川医科大学卒業、香川大学医学部大学院卒業」といった形になり、大学院だけ別の大学に行ったみたいになりました。この統合により、のちに心理学科が教育学部から医学部に移ることにもなりました。
この頃は、非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピンなど)や、SSRI(パロキセチン、フルボキサミンなど)が本格的に普及しだし、もう毎年のように新しい薬が出て、薬物治療が大きく様変わりしていきました。治療の選択肢が増えたのは嬉しい一方、それぞれの薬に特徴があり、使いこなす前に次の薬が出てくるような状況で、いったい目の前の患者さんにどの薬を処方すればいいのか、迷いも多かったように思います。
「大人の発達障害」の広まりと、単剤化の流れ
2005年に、発達障害者支援法が施行されました。このことは、発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。また、法律の制定に加えて、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったのではないでしょうか。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになっていきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきた頃でもありました。しかし、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
これからはトラウマと依存症の時代
2013年には「障害者総合支援法」施行があり、長期入院患者の地域移行・退院支援が制度的に推進されていきました。
そんな時代の中、2016年に、私自身が、古新町こころの診療所を開業しました。精神科の外来治療に注力していきたいという、かねてからの夢を叶えました。来年で開業10年になりますが、開業してからの日々は本当にあっという間に過ぎていった感じです。
開業した翌年の2017年に、公認心理師制度が開始となり、国家試験が始まりました。私は当時臨床心理士を取得しており、受験資格を有していましたので、翌年2018年に受験し公認心理師の資格を取りました。しばらくは公認心理師の資格は医療現場に反映されておりませんでしたが、昨年の診療報酬改訂より心理支援加算が算定可能になり、今後ますます医療現場での活躍が期待されます。精神科医療における心理職の役割が明確化していくなかで、チーム医療の意識も徐々に強くなってきました。
そして、2020年。新型コロナウイルス感染症が拡大しました。当時は、本当にどうなるのかと思っていましたが、今振り返っても大変な数年間だったと思います。メンタル不調者は明らかに増え、自殺される方も増加。経済的な問題も大きく影響したと思います。
この頃に、オンライン診療が特例的に導入・拡大され、昨年の診療報酬改訂より通院精神療法もオンライン診療の対象となりました。個人的には、研修や学会がオンラインで受講できるようになり、自己研鑽の機会が増えたことはとてもありがたく感じています。
コロナが開けてきてからは、精神医療のアウトリーチの増加、訪問看護を利用される方が増えてきたことを感じます。また、メンタル不調の方の休職者の増加に伴い、精神科医が産業領域に関与する機会が増えてきました。
発達障害がトレンドだった2010年代を経て、2020年代以降はトラウマと依存症の時代になると言う人もいます。たしかに、発達性トラウマや複雑性PTSDの話題は、学会でもたくさんのシンポジウムで取り上げられるようになってきました。また、ゲーム依存やオンラインカジノの問題などは社会的にも大きくなっています。そのような社会情勢を踏まえると、これからの精神科診療は多様化と細分化の時代になっていくのかもしれません。発達障害、トラウマ、依存症など専門性が求められる時代になると、それらは医師だけで対応が難しくなり、診断に基づいた多職種による支援、地域連携を含めた統合的役割の中心を診療所が担う時代になっていくと思われます。
そんな中で、医師の働き方改革も進んできています。医師も含め、医療従事者が決して過労で倒れないよう、自分たちの働き方を考えつつ、これからの医療の流れに対応していきたいと考えています。医療DXやAIの飛躍も気になるところです。いったい、これからの時代に何が必要とされるか、常にアンテナを張りながら、目の前の患者さんの少しでもお役に立てるような医療の提供を目指して、これからも精進していきたいと思います。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
原稿作成の続きです。
2013年には「障害者総合支援法」施行があり、長期入院患者の地域移行・退院支援が制度的に推進されていきました。
そんな時代の中、2016年に、私自身が、古新町こころの診療所を開業しました。精神科の外来治療に注力していきたいとの思いから、かねてからの夢を叶えました。来年で開業10年になりますが、開業してからの日々は本当にあっという間に過ぎていった感じです。
開業した翌年の2017年に、公認心理師制度が開始となり、国家試験が始まりました。私は当時臨床心理士を取得しており、受験資格を有していましたので、翌年2018年に受験し資格を取りました。しばらくは資格が始まっても、医療現場に反映されておりませんでしたが、昨年の診療報酬改訂より心理支援加算が算定可能になり、今後ますます医療現場での活躍が期待できます。精神科医療における心理職の役割が明確化していくなかで、チーム医療の意識も徐々に強くなってきました。
そして、2020年。新型コロナウイルス感染症が拡大しました。当時は、本当にどうなるのかと思っていましたが、今振り返っても大変な数年間だったと思います。メンタル不調者は明らかに増え、自殺される方も増加。経済的な問題も大きく影響したと思います。
この頃に、オンライン診療が特例的に導入・拡大され、昨年の診療報酬改訂より通院精神療法もオンライン診療の対象となりました。個人的には、研修や学会がオンラインで受講できるようになり、自己研鑽の機会が増えたことはとてもありがたく感じています。
コロナが開けてきてからは、精神医療のアウトリーチの増加、訪問看護を利用される方が増えてきたことを感じます。また、メンタル不調の方の休職者の増加に伴い、精神科医が産業領域に関与する機会が増えてきました。
発達障害がトレンドだった2010年代を経て、2020年代以降はトラウマと依存症の時代になると言う人もいます。たしかに、発達性トラウマや複雑性PTSDの話題は、学会でもたくさんのシンポジウムで取り上げられるようになってきました。また、ゲーム依存やオンラインカジノの問題などは社会的にも大きくなっています。そのような社会情勢を踏まえると、これからの精神科診療は多様化と細分化の時代になっていくのかもしれません。発達障害、トラウマ、依存症など専門性が求められる時代になると、それらは医師だけで対応が難しくなり、診断に基づいた多職種による支援、地域連携を含めた統合的役割の中心を診療所が担う時代になっていくと思われます。
そんな中で、医師の働き方改革も進んできています。医師も含め、医療従事者が決して過労で倒れないよう、自分たちの働き方を考えつつ、これからの医療の流れに対応していきたいと考えています。
原稿としては、これでまとめて提出してみようと思います。なんとか書き上げられてホッとしました。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
原稿作成の続きです。
2005年に、発達障害者支援法施行。発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。この法律ができたことよりも、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったように思います。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになってきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきたところで、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
もう少し続きます。
2005年に、発達障害者支援法施行。発達障害という問題が注目されるきっかけの一つになりました。この法律ができたことよりも、薬物治療の開発が、発達障害の領域では大きかったように思います。これまで小児領域中心だった発達障害に、「大人の発達障害」という概念が出てきたのは、コンサータ(2007年販売)、ストラテラ(2009年販売)がそれぞれ大人にも適応拡大したこともかなり影響していると思います。薬物治療が出来ない頃は、発達障害は、本人の困りごとを聞いて根気よく対応指導していくという、児童精神科医でなければ対応できない分野でした。そして、児童精神科医は、子どもの診療で手一杯で、「大人の発達障害」まで十分フォローできない状況でした。しかし、薬物治療が出来ることで、専門医でなくとも患者さんの治療ができるようになってきました。
2005年は、香川大学医学部精神神経医学講座の教授の交代がありました。同じ年に、私は精神保健指定医の資格を取りたくて、三光病院に異動させていただき、精神科病院での経験を重ねました。この頃、香川県立中央病院で、女性外来の担当もさせていただきました。大学病院、単科精神科病院、総合病院と働く中で、精神科といえども本当にいろんな患者さんが、本当にいろんな困りごとで来院されることを体感し、自分自身としては、将来は開業して、外来での治療に重点を置きたいと思うようになりました。
三光病院での研修を経て、再び大学病院に戻ったのが2007年でした。その前年に、自立支援医療(精神通院)制度が開始されました。これまでも通院の公費負担制度はありましたが、サービスを利用しやすくなった印象はあります。この頃、都心ではいわゆる「メンタルクリニック」が急増し、軽症・ストレス疾患の受診が増加していきました。「うつ病」の社会的認知がかなり拡大し、高松市でもクリニックを開業される先生が増えた時期だと記憶しています。
2010年頃には、抗うつ薬の多剤併用が社会問題になった状況があり、この頃から少しずつ、単剤使用の推奨、多剤使用の制限がなされてきたように思います。2014年の診療報酬改訂で、睡眠薬/抗不安薬の処方数の制限から始まり、2016年には抗うつ薬/抗精神病薬の多剤使用時の減算処置がなされるようになりました。前回の診療報酬改訂では、抗うつ薬/抗精神病薬を2種類使用した場合の説明/カルテ記載の義務化も課され、国としては今後単剤化を推奨していきたい意図が見えています。
2010年代は、自殺総合対策大綱策定の制定があり、対策を講じた結果、自殺者数がやっと減少してきたところで、2020年のコロナ感染の拡大により自殺者数が再び増加してしまったのは、皆さんご承知のことと思います。
もう少し続きます。
カテゴリー: 総合
投稿者: furujinmachi
原稿を書く話の続きです。
私はちょうど、2000年、ミレニアムの年に医者になりました。自分がもう四分の1世紀も医者をしていることになんだか驚きを感じます。働き出した頃は、精神科はまだ「精神分裂病」や「定型抗精神病薬」が主流で、ほぼ100%院内処方でした。リスパダールが1996年、ルボックスが1999年、パキシルが2000年、セロクエル・ジプレキサが2001年の販売ですので、新規の薬がどんどん販売されたときでもありました。これまでの治療が大きくかわっていく転換期だったと思います。
2002年には、「精神分裂病」から「統合失調症」へ病名変更されました。正直、現場ですぐに何か変わったか、という実感はありませんでしたが、病名を告知し、治療についてもきちんと説明をするという流れにはなっていったと思います。
また、精神保健福祉法が改正され、名称も「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」に変わりました。今まで、差別や誤解、偏見の大きかった「精神科」という分野に、少しずつ変化が起きていったように思います。
それから、香川県内のことで言うと、2003年10月に、香川医科大学と香川大学が統合し、新たに香川大学として発足しました。この時私は大学院生だったのですが、母校の名前がどのようになるかが、気が気ではありませんでした。「香川医科大学」であった時は、私立大学なのか、専門学校なのかといった誤解も多く、「香川大学の医学部になる」というのが一番シンプルで良いと思っていたのですが、一部の人たちの中には新たな名前にしたいという動きもあったようで、「香川総合大学」とか「香川国際大学」とか、そのような名称になると、逆に国立大学と認識してもらいにくくなりそうに感じていました。香川県出身者としても、地元の大学が、変わった名称になるのは抵抗があり、結果的に「香川大学」に落ち着いたことでホッとしました。私自身の学歴は、「香川医科大学卒業、香川大学医学部大学院卒業」といった形になり、大学院だけ別の大学に行ったみたいになりました。この統合により、のちに心理学科が教育学部から医学部に移ることにもなりました。
この頃は、非定型抗精神病薬(オランザピン、クエチアピンなど)や、SSRI(パロキセチン、フルボキサミンなど)が本格的に普及しだし、もう毎年のように新しい薬が出て、薬物治療が大きく様変わりしていきました。治療の選択肢が増えたのは嬉しい一方、それぞれの薬に特徴があり、使いこなす前に次の薬が出てくるような状況で、いったい目の前の患者さんにどの薬を処方すればいいのか、迷いも多かったように思います。
少しずつ書きます。