ふと思うと。。、。。

私、毎日スクラブで
診療していて、
年齢的に学会もほとんど行かない
正式な会にもほとんど出ない生活
をしている上に
コロナの状態で、
もともと背広を着ない生活を送っている
のに、ますます着なくなってしまった。

もともと、冬用、夏用、合い用の
3着を10年以上そのままにしているので
太ってどれもきれなくなってしまったかもしれない。

しかし、以前から素朴な疑問があったのだが
背広って何だろう。

ジーっとながめていると
この、襟のついた前開きのボタンがたくさん
あるシャツを着た上で
色をつけた紐で首を縛って
前があいた、防寒にもならない
上着って
なんか変な感じがしてくる

それがどういうわけか
世界中どこでも正式な服ということになっている。
なんで??

それがまた、プーチンも
昔は人民服だった習近平も
バイデンも、
岸田総理も紋付ではなく背広を着ている
よく考えたら面白いというか

宇宙人がみれば笑ってしまうのではないか。
人間ってへんな生き物だと、、、
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世界中どこでも
人種の壁、
宗教の壁さえこえて
正式な服があることは
便利であるとは思うが、

背広さえきていれば、世界中どこにいっても
叱られない。。。。
正式な恰好。

おそらく、人種や体系に関わらず
なんとなく様になる恰好だったので
世界中に広まったのかもしれない

さすがにタキシードは
日本人、東洋人の体系にはにあわないが、、、

最近なくなった
宝田あきらや岡田真澄が
昔、ミスユニバースの司会なんかをしていたが
あれだけの 上背があったら
タキシードもにあっていたが、

大体、着物は、日本人にあった格好で
短い足をごまかすには
いいものだったのだ。

しかし、世界の民族の
それぞれの体系や肌の色や気候に
あった、長い年月かけて作られた
民族衣装を100年足らずで
世界的な正式衣装にしたのは
すごいとおもうし
一方で、不思議な感じもする。

以前、話たとおもうが、
私が若いころは、
若い医者は、給料が安くて、
背広も、いわゆる青山や、はるやまで
ぶら下がりを買ったと一見でわかるほどの
背広を着て学会に行っていたし、
(何か、つんつるてん)
偉い、先生たちが、いい背広を着ているのを見て
うらやましがったものだが、
今や若いドクターも
それなりの給料をもらう様になり
(昔は、若いドクターは丁稚奉公で、
勉強させてもらっていたという風潮があった。)
いい背広をきている。

100年足らずでひろまった背広の様に
すぐれた言語や宗教があれば
直ぐに世界中のスタンダードになって
今のウクライナの戦争もおこらなかった
だろうに。。。。。。

なんて真面目にかんがえたりして。