ついでにテレビ (2023/06/04)
投稿者: ryokusei
次いでにテレビ
前回、ラジカセの話をしたので
今週は、ついでにテレビの話で
子供のころ最初に見た覚えのあるテレビは
こんな風に観音開きだった。
結構、今から思えばかなり
画面が暗くて
太陽が当たる明るい部屋では
醜くて、
夜や、やや暗い方が見やすかった。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3001.jpg)
これで、お母さんと一緒を見たような。
その次に覚えがあるのは
とにかく、大事な高価なものだったから
よく布をかぶせていた。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3002.jpg)
ブラウンで、スイッチを消すと
画面が小さな
明るい点になって消えた。
また、映りがいいわけでなく、
アンテナの具合で、
よく走査線がでて
上下に動いていて
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3003.jpg)
真空管の影響か否か
ホンと叩くと治ったりした。
いまから思うと、
2重に移ったり、砂嵐がうつったり
台風がくるとアンテナの方向がかわったり
それでも、やっぱりメディアの中心だった。
そういえばそのころ
NHKで4時5分になると
♪よじごふん、よじごふん、たのしくてれびをみるために~
なんて受診相談というテレビ番組があったぐらい
なんでなのか音楽がよく耳に残っていた。
それからしばらくして
カラー放送が始まったのだが
最初は、白黒テレビだったので
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3004.jpg)
こんな風に画面にカラーってでて
カラー放送されているんだなって
白黒の画面を見て
思ったものだ
ブーフーウー三匹の子豚は
白黒でみた覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3005.jpg)
ひょっこりひょうたん島も
カラーという表示が出ている画面を白黒で
見た覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3006.jpg)
鉄腕アトムも白黒だったな~
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3007.jpg)
それから時がすぎて
カラーテレビが家にやってきて
なんがバカでかく
重厚でいかにも高価であった。イメージがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3008.jpg)
札幌オリンピックはカラーで
見た覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3009.jpeg)
飛び出せ青春はカラーだったな
“君は何を今見つめているの”
青い三角定規
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3009.jpg)
は、確実にカラーだったな
その頃は、
NHKと教育テレビ
山陽放送と西日本放送だけで
信じられないだろうが、
ドラマなんか東京の一週間おくれで
放映されていたものがある。
(ちなみに映画は、東京の2か月おくれで
高松で上映、その2か月おくれで丸亀
観音寺では半年遅れはざらだった。)
そうしているうちに瀬戸内海放送ができて
これがまた、初めてしったUHFで
普通のテレビでは見れなくて
コンバーターなるものをつけて
テレビの上に乗っけていた
覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3010.jpg)
こんな機械をテレビの上において調節していた。
当時は、テレビは
街の電気屋さんに
たのんで持ってきてもらっていたが
いつも頼む電気屋さんとは
電気工事、アンテナの設置なんか
なんでもたのんでいたので
おなじみの人だった。
テレビを運んできて
アンテナをつないで
調節をしていたのを子供ながらに覚えている。
ちなみに初めてUHFで映った番組は
かわいい魔女ジニーだった。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3011.jpg)
今と比べれば
安売りではなかったのであるし
家に来ていた電気屋さんが
サンヨーだったので
なんでも電化製品はサンヨーだったが、
商売に人を感じられるアナログで
いい時代だったのかもしれない。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3012.jpg)
(尚、写真の電気屋さんはヤマダ電機)
つづく
前回、ラジカセの話をしたので
今週は、ついでにテレビの話で
子供のころ最初に見た覚えのあるテレビは
こんな風に観音開きだった。
結構、今から思えばかなり
画面が暗くて
太陽が当たる明るい部屋では
醜くて、
夜や、やや暗い方が見やすかった。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3001.jpg)
これで、お母さんと一緒を見たような。
その次に覚えがあるのは
とにかく、大事な高価なものだったから
よく布をかぶせていた。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3002.jpg)
ブラウンで、スイッチを消すと
画面が小さな
明るい点になって消えた。
また、映りがいいわけでなく、
アンテナの具合で、
よく走査線がでて
上下に動いていて
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3003.jpg)
真空管の影響か否か
ホンと叩くと治ったりした。
いまから思うと、
2重に移ったり、砂嵐がうつったり
台風がくるとアンテナの方向がかわったり
それでも、やっぱりメディアの中心だった。
そういえばそのころ
NHKで4時5分になると
♪よじごふん、よじごふん、たのしくてれびをみるために~
なんて受診相談というテレビ番組があったぐらい
なんでなのか音楽がよく耳に残っていた。
それからしばらくして
カラー放送が始まったのだが
最初は、白黒テレビだったので
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3004.jpg)
こんな風に画面にカラーってでて
カラー放送されているんだなって
白黒の画面を見て
思ったものだ
ブーフーウー三匹の子豚は
白黒でみた覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3005.jpg)
ひょっこりひょうたん島も
カラーという表示が出ている画面を白黒で
見た覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3006.jpg)
鉄腕アトムも白黒だったな~
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3007.jpg)
それから時がすぎて
カラーテレビが家にやってきて
なんがバカでかく
重厚でいかにも高価であった。イメージがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3008.jpg)
札幌オリンピックはカラーで
見た覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3009.jpeg)
飛び出せ青春はカラーだったな
“君は何を今見つめているの”
青い三角定規
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3009.jpg)
は、確実にカラーだったな
その頃は、
NHKと教育テレビ
山陽放送と西日本放送だけで
信じられないだろうが、
ドラマなんか東京の一週間おくれで
放映されていたものがある。
(ちなみに映画は、東京の2か月おくれで
高松で上映、その2か月おくれで丸亀
観音寺では半年遅れはざらだった。)
そうしているうちに瀬戸内海放送ができて
これがまた、初めてしったUHFで
普通のテレビでは見れなくて
コンバーターなるものをつけて
テレビの上に乗っけていた
覚えがある。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3010.jpg)
こんな機械をテレビの上において調節していた。
当時は、テレビは
街の電気屋さんに
たのんで持ってきてもらっていたが
いつも頼む電気屋さんとは
電気工事、アンテナの設置なんか
なんでもたのんでいたので
おなじみの人だった。
テレビを運んできて
アンテナをつないで
調節をしていたのを子供ながらに覚えている。
ちなみに初めてUHFで映った番組は
かわいい魔女ジニーだった。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3011.jpg)
今と比べれば
安売りではなかったのであるし
家に来ていた電気屋さんが
サンヨーだったので
なんでも電化製品はサンヨーだったが、
商売に人を感じられるアナログで
いい時代だったのかもしれない。
![null null](http://clinic-1.jp/blog/media/799/3012.jpg)
(尚、写真の電気屋さんはヤマダ電機)
つづく