私が熱中していた
軟式テニスは、
私の時代は、中学校までは、まだ花形の
クラブであった。

あまり知られていないが、ほとんど
日本と韓国と台湾(元の日本の統治領)だけ
でしかされていないスポーツである。

それも硬式に押され、競技人口が激減している。

私は、大学時代にその消えゆくスポーツに
全てをつぎ込んでいた。

大学時代
私は、結構早起きで、
朝1番の講義は出て、
みんなの代返をとり、
(当時はまだ、流暢なところがあった)
それからぬけて2、3講義をぬけだして
(代返を頼み)
4講義目(最後の講義)は、テニスをするために
大学にもどってきていた。

ゴールデンウィークや、夏休みをつぎこんで
大会に行き、
6年の夏までやっていた。
(懸命な人間は4年ごろまででやめて
勉強?していた)

上下のつながりが強く、大学生活の9割は、
この運動につぎこみ、
体育会系の精神をたたきこんでいた。
今の私は、よかれ悪しかれここから
根づいている。のは間違いない。

クラブに熱を入れていなければ、
どこかで傾いていたかもしれないし、
逆に留年して、うまく卒業できていなかった
かもしれない。

上下のやり取りが下手であったら、
決して医局では、うまく生きて行けなかった
だろう。

辛いこと、悩みがあると、仕事に逃げて
切り抜けてきた

そんなところの原点は、スポーツに
あったのかもしれない。


そんなスポーツがいまや消えゆく運面にある。
それは、母校が廃校にむかいつつ
あるのと同じ感覚である。

いささか寂しいものがある。