夢を覚える
今朝、久しぶりに夢を覚えていた。
きつい夢でなかったのは幸い。
夢というのは、その日の記憶を整理して
貯蔵するためのものと考えられている。
記憶をすべて残すには
あまりにも膨大すぎる。
すべて覚えるのには
人間の記憶装置がとてもたりない。
そこで先ず、記憶の刈込を行う。
生命維持にいらない記憶は
捨てるわけだ。
そのあと、残りの記憶を
簡略化凝縮させたり、
他の物に置き換えたりする。
だから、覚えている風景でも
周りの情景を切り捨ててしまう。
写真をとって人物をのこして
後ろの風景は切り取ってしまうわけだ。
例えば、時々会う人に
その日にあったら
写真のその人を切り取って
記憶装置に残す。
その時、後ろの風景を
その人を分類の本棚にいれるために
その人を連想させる風景にしたり
日時をわからせるために
その日の特色のある風景を
入れ込んでしまう。
だから、時々人間は、とんでもない
記憶違いをしてしまったりするのだ。
同じ場面にいた人と
記憶合わせをすると
場所がちがっていたり、日時がちがっていたり
他にいた人がちがっていたりする
のはそのせいであると考えられている。
夢はその整理段階の
画面と考えられており、
よく考えると夢にでてくることは
その日の出来事につながることが多い。
というのが一般的な考え方
でも、
今日は、ずっとあっていない
大学の時の同級生や、小、中の
同級生がでてきたが、
なんでかな。。。。。。
それにしても、夢は本当にすぐに忘れてしまう。
夢の中での自分を楽しむのは
自分の経験を2倍にしている様で
楽しい。
できるだけ、覚えているうちに
ノートに書き留める様にはしているのだが、
書き留められるのは
月に一回もない。。。
私、結構特異な性格かもしれないが、
苦しい夢をみていたら、
理論的に現実ではないと
考えて、夢の中で気を楽にしてしまう
ことが多い。
例えば、大学生で、試験前に
勉強していない夢はよく見るが、
やばい、やばいと思っているうちに
そうだ、もう私、医者なんだといいきかせたり
、、、、、
でも、夢をあまりに大切にしていたら
夢と現実がわからなくなって、
それが認知なのかも、、、、
あと2か月で本当のじじい
あと2か月すれば65歳。
世間の分類でいけば高齢者に
入ってしまう。
んーなんとも
周りをみれば、中学や、高校の同級生は
リタイヤしているか
再雇用で、65歳でほんとに
リタイヤする奴がどんどん増えている。
んー
今年は、昭和100年の年だという
私のこどものころ
明治100年で、そういう番組が
あっていたことを覚えている。
自分はそんなに年を取ったつもりはないのだが
よく考えると
子供のころは、100年といえば
遥か彼方の昔と感じていたが
今では、100年といわれると
手の届きそうな時間になってしまった。
よくテレビの番組で
創業50年の老舗といわれても
最近じゃんっておもったり
この道一筋20年のベテラン
といわれても
それほどベテランじゃないじゃん
て思う様な年になってしまった。
外来で同い年の患者さんを診ると
自分もこういう感じで見られているのかと
ぞっとする。
最近、60代後半まで仕事をしていて
やめた患者さんが、
仕事をやめたら
あれもできる、これもできると
思っていたけれど
仕事をやめると
やることがなくて
仕事をしていた方がよかった
と、愚痴をこぼしていた。
思えば、昔、365日24時間
激務をこなしていた時に
少し仕事がへったら
いろいろしてみたいと
したいことを列記して
書いていたが、仕事が減っても
ほとんどしなかった。
むしろ、忙しい時に一日30分でも
時間をつくっていろいろしていた方が
充実していたのかもしれない。
したいことなんて究極の暇つぶしかも
しれないなーーー
と自分に言い聞かせながら、
いつ死ぬかわからない
正真正銘のじじいになる
私は、
地下をほるほど鬱になるのでした。
あと2か月すれば65歳。
世間の分類でいけば高齢者に
入ってしまう。
んーなんとも
周りをみれば、中学や、高校の同級生は
リタイヤしているか
再雇用で、65歳でほんとに
リタイヤする奴がどんどん増えている。
んー
今年は、昭和100年の年だという
私のこどものころ
明治100年で、そういう番組が
あっていたことを覚えている。
自分はそんなに年を取ったつもりはないのだが
よく考えると
子供のころは、100年といえば
遥か彼方の昔と感じていたが
今では、100年といわれると
手の届きそうな時間になってしまった。
よくテレビの番組で
創業50年の老舗といわれても
最近じゃんっておもったり
この道一筋20年のベテラン
といわれても
それほどベテランじゃないじゃん
て思う様な年になってしまった。
外来で同い年の患者さんを診ると
自分もこういう感じで見られているのかと
ぞっとする。
最近、60代後半まで仕事をしていて
やめた患者さんが、
仕事をやめたら
あれもできる、これもできると
思っていたけれど
仕事をやめると
やることがなくて
仕事をしていた方がよかった
と、愚痴をこぼしていた。
思えば、昔、365日24時間
激務をこなしていた時に
少し仕事がへったら
いろいろしてみたいと
したいことを列記して
書いていたが、仕事が減っても
ほとんどしなかった。
むしろ、忙しい時に一日30分でも
時間をつくっていろいろしていた方が
充実していたのかもしれない。
したいことなんて究極の暇つぶしかも
しれないなーーー
と自分に言い聞かせながら、
いつ死ぬかわからない
正真正銘のじじいになる
私は、
地下をほるほど鬱になるのでした。
突っ込みどころ満載
長嶋さんの話も書こうと思ったが
いろいろ多くて飽きたとおもうので
他の話を
今、一年で一番、朝が早い。
じじいは、外が明るくなると
早く眼が覚める。。。。。。
朝、起きてテレビをつけると
毎日、古い時代劇があっていて
朝の寝ぼけた頭でなんとなく
見ているというか
点けていることが多い。
今日、朝、はどういうわけか
なかった。
朝、早すぎて途中のコマーシャルが
15秒で終了する。
杉良太郎や里見浩太朗が
若い時の時代劇で
だいたい、1970年代の初めから中ごろの
シリーズものの時代劇で、
最近は、大江戸捜査網だった。
(私の年代なら水戸黄門の様に
みんな知っている時代劇)
水戸黄門と同じで、ストーリーは単純
毎日、正義は勝つ。
途中から見てもストーリーがわかる。。。。
でている俳優も結構豪華で、
当時の一線級の映画俳優がでてる。
若いころの竹下景子が、
小娘役で何回もでてたりして、、、
それがまた、当時の時代劇に
ありがちで
突っ込みどころ満載。!
町人姿の杉良太郎が
次のシーンでは、侍姿に、
“秒殺で着替えたんかい!”
”秒殺で髪型かえたんかい!“
何メートルもある壁を
ひょいととびこえたり
“オリンピック選手でもそんなことできんわい!”
“毎週それだけ悪い旗本を切ったら
旗本全滅じゃ!!“
と、寝ぼけまなこで
突っ込みをいれるのが
早朝の楽しみ??だった。
それとともに
当時、それを見ていたころの
私、(小学生から高校生)の
ころを思い出していた。。。。
突っ込みどころ満載といえば。
”世界ふれあい歩き“
というNHKの番組。
いろんな国の町を歩いて人と話して
その国の文化、人々の生活を紹介するのだが、
外国版 鶴瓶の家族に乾杯
の様なもの。
偶然あった人が
“伝統あるお店の店長”だったり
そのまま
“まーうちの店見ていきなよ”
と案内してくれて、
いろいろ説明してくれたり
道で会った人が
”家の中を見てゆく?“
って家の中をみせてくれたり
名所、付近に立っている人が
偶然、そこの名所について
詳しく、いろいろ歴史的なことから
教えてくれたり。。。。。。。
毎回、偶然が続いた上に
ヨーロッパで偏見の強い
東洋人のクルーに
家の中までみせるわけ
ねーじゃん!!
って突っ込みをいれるために?
時々見ている。。。。
まーテレビの前で
一人で、それを声にまで出す様になったら
正真正銘のじじいの証になるかも。。。。
長嶋さんの話も書こうと思ったが
いろいろ多くて飽きたとおもうので
他の話を
今、一年で一番、朝が早い。
じじいは、外が明るくなると
早く眼が覚める。。。。。。
朝、起きてテレビをつけると
毎日、古い時代劇があっていて
朝の寝ぼけた頭でなんとなく
見ているというか
点けていることが多い。
今日、朝、はどういうわけか
なかった。
朝、早すぎて途中のコマーシャルが
15秒で終了する。
杉良太郎や里見浩太朗が
若い時の時代劇で
だいたい、1970年代の初めから中ごろの
シリーズものの時代劇で、
最近は、大江戸捜査網だった。
(私の年代なら水戸黄門の様に
みんな知っている時代劇)
水戸黄門と同じで、ストーリーは単純
毎日、正義は勝つ。
途中から見てもストーリーがわかる。。。。
でている俳優も結構豪華で、
当時の一線級の映画俳優がでてる。
若いころの竹下景子が、
小娘役で何回もでてたりして、、、
それがまた、当時の時代劇に
ありがちで
突っ込みどころ満載。!
町人姿の杉良太郎が
次のシーンでは、侍姿に、
“秒殺で着替えたんかい!”
”秒殺で髪型かえたんかい!“
何メートルもある壁を
ひょいととびこえたり
“オリンピック選手でもそんなことできんわい!”
“毎週それだけ悪い旗本を切ったら
旗本全滅じゃ!!“
と、寝ぼけまなこで
突っ込みをいれるのが
早朝の楽しみ??だった。
それとともに
当時、それを見ていたころの
私、(小学生から高校生)の
ころを思い出していた。。。。
突っ込みどころ満載といえば。
”世界ふれあい歩き“
というNHKの番組。
いろんな国の町を歩いて人と話して
その国の文化、人々の生活を紹介するのだが、
外国版 鶴瓶の家族に乾杯
の様なもの。
偶然あった人が
“伝統あるお店の店長”だったり
そのまま
“まーうちの店見ていきなよ”
と案内してくれて、
いろいろ説明してくれたり
道で会った人が
”家の中を見てゆく?“
って家の中をみせてくれたり
名所、付近に立っている人が
偶然、そこの名所について
詳しく、いろいろ歴史的なことから
教えてくれたり。。。。。。。
毎回、偶然が続いた上に
ヨーロッパで偏見の強い
東洋人のクルーに
家の中までみせるわけ
ねーじゃん!!
って突っ込みをいれるために?
時々見ている。。。。
まーテレビの前で
一人で、それを声にまで出す様になったら
正真正銘のじじいの証になるかも。。。。
私にとっては定期的に診ることが大事
私が10年前に当院に来た
時は、上里先生の影響で
2週間処方、
つまり2週間に一回来院
してもらうことがほどんど
だった。
さすがに、今の時代2週間は
早いと思って1っか月
処方が多くなった。
ところが、コロナ禍の影響で、
処方が1か月以上の人も
増えてきているのが
現状。
中には、薬だけで、ほとんど
私の顔を見ないで
帰ってしまう人もいる。
かかりつけの
患者さんにとって
1っか月に一回は
とても速いかもしれないが、
この1っか月というのは
微妙なタイミングだと思っている。
私の悪い癖で、
診察の80%は
待合から
診察室の椅子に座るまでに
行う。
(その間の顔、つや、肌の状態
歩き方、そして雰囲気)
だから、
1っか月ごとに一回会うのは
大変重要なのである。
人間、毎日見ていると
その変化に気づきにくいもの
しかし、しばらくぶりに
会うと、結構微妙な変化が
目につくものである。
長年の経験という物は
怖いもので、、、、、
その微妙な変化を見ると
何かあるのではないか
とそこで、本当の意味の診察が
始まるのである。
理由もないのに
やせたり、肌つやがなくなったり
歩き方が悪くなったり、
顔の様子が変だったり、、、、、
なんで、なんで、なんで、、、、
そこからどこか
悪いところはないかを探し出すのが
かかりつけ医というもの
当院の患者さんは
高齢者が多いので
いろんなところ、
身体的なもの以外に
身振り、手振り、話し方で
その認知機能の低下を
見つけることも多い。
そうやって、定期的に
会うこと、話すことは、
患者さん側からは
いつもの
バカな会話とおもうだろうが
私にとっては
会うこと、たわいもない
話をすることが
とても重要なのである。
そこは、ほれ、
40年来の経験というか
なんというか。。。。。
逆に初めて会う患者さんで
主訴が
熱だけとか全身倦怠感だけとか
いわれるのが一番困るのである。
ほとんどすべての病気は
熱が出たり、全身倦怠感が
出てたりするから、
初めてあった人でそれから
病気を推測することは
きわめて困難と言わざるを得ない。
なんせ、世の中のすべての
病気を考えて
そこから少しづつ
病気をオミットしなければ
いけないのだから。
今度、会うとき
私が、
診察室にはいってから
いつになく、聴診をしたり
触診をしたり、
たわいもない長話をしたりしたら
お気をつけください。。。。
なんて、、、、
私が10年前に当院に来た
時は、上里先生の影響で
2週間処方、
つまり2週間に一回来院
してもらうことがほどんど
だった。
さすがに、今の時代2週間は
早いと思って1っか月
処方が多くなった。
ところが、コロナ禍の影響で、
処方が1か月以上の人も
増えてきているのが
現状。
中には、薬だけで、ほとんど
私の顔を見ないで
帰ってしまう人もいる。
かかりつけの
患者さんにとって
1っか月に一回は
とても速いかもしれないが、
この1っか月というのは
微妙なタイミングだと思っている。
私の悪い癖で、
診察の80%は
待合から
診察室の椅子に座るまでに
行う。
(その間の顔、つや、肌の状態
歩き方、そして雰囲気)
だから、
1っか月ごとに一回会うのは
大変重要なのである。
人間、毎日見ていると
その変化に気づきにくいもの
しかし、しばらくぶりに
会うと、結構微妙な変化が
目につくものである。
長年の経験という物は
怖いもので、、、、、
その微妙な変化を見ると
何かあるのではないか
とそこで、本当の意味の診察が
始まるのである。
理由もないのに
やせたり、肌つやがなくなったり
歩き方が悪くなったり、
顔の様子が変だったり、、、、、
なんで、なんで、なんで、、、、
そこからどこか
悪いところはないかを探し出すのが
かかりつけ医というもの
当院の患者さんは
高齢者が多いので
いろんなところ、
身体的なもの以外に
身振り、手振り、話し方で
その認知機能の低下を
見つけることも多い。
そうやって、定期的に
会うこと、話すことは、
患者さん側からは
いつもの
バカな会話とおもうだろうが
私にとっては
会うこと、たわいもない
話をすることが
とても重要なのである。
そこは、ほれ、
40年来の経験というか
なんというか。。。。。
逆に初めて会う患者さんで
主訴が
熱だけとか全身倦怠感だけとか
いわれるのが一番困るのである。
ほとんどすべての病気は
熱が出たり、全身倦怠感が
出てたりするから、
初めてあった人でそれから
病気を推測することは
きわめて困難と言わざるを得ない。
なんせ、世の中のすべての
病気を考えて
そこから少しづつ
病気をオミットしなければ
いけないのだから。
今度、会うとき
私が、
診察室にはいってから
いつになく、聴診をしたり
触診をしたり、
たわいもない長話をしたりしたら
お気をつけください。。。。
なんて、、、、