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August 2023 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
講演会

私が所属していた医局も
教授が定年でかわったが、
母校の教授ももう年下ばかり

よくよく考えると私も63歳
教授の定年が65歳だから
教授が年下ばかりなのも当然と
いえば当然。

入局したてのころは、
教授どころか助教授、講師連中も
かなり年配に思えたのだが、気が付けば
もう年下ばかり、

たとえは極端であるのだが、
中学校に入学したとき
3年生がかなり大人に見えたのが、
今みれば、かわいい子供ばかり
と同じ気分だ。

よく、講演会で、薬やさんが
○○先生の講演があるので
ぜひお聞きくださいと
いわれるのだが、
薬やさんは、○○先生のことを
偉い先生と思っているのかもしれないが、
私の年代になると
なにも響かない

薬やさんの講演会というのは、
薬に関連した講演会で、
たとえば、糖尿の薬をだしている
薬やさんだとすると
糖尿病に対する最近の見地と
の講演なのであるが、
最終的にはその薬の宣伝という事になる。

そんな講演が、香川県だけでも
1日1件ほど
全国でウェブ放送している講演会は
一日2~3個ある。

大体、1日仕事につかれて
やっとおわって薬の宣伝を見に行く?
最近は、昼休みの時間をねらって
あるウエブの講演会もある
そんな束の間の休みに
薬の宣伝を見に行く?

薬やさんによく言うのだが、
新車の宣伝ならまだしも
中古車の宣伝を
自分から身に行く??

自分としてはやはり
最新の情報を仕入れたいので
できるだけ宣伝の色がないものを
時々見るのだが、
なんで講演会がそんなにあるか、、、、


それにはからくりがある。
実際に会場で開催される講演会には
点数というものがあって、
ある程度、講演会に出ないと
点数がもらえなく、
それが診療の点数(収益)にかかわってくるのだ。

また、その他多数の講演会、
ウエブ講演会は、
それを見ると病院に来ている
MR(いろいろ病院と薬やさんとを
つないでいる人たち)さんの
営業成績になるのだ。

だから、よく顔をだすMRさんの
講演にはどうしても顔を
だすというパターンがあるのである。

この他にも
公の研修会というのが多数あり
その研修会にいろいろでていないと
さっきいった
診療の点数にかかわってくるのである。
研修会にいたっては、
日曜日一日かかるものも多数ある。

これだけ働き方改革という時代に
時間外にやらなければいけないものが
どんどん増えてきているのが現状で、

いろんな役所の部署がそれぞれ
一生懸命やっているのかどうかは
わからないが、
全体の整合性は全然取れていない!!

これを統括して
コントロールできる
役所もなければ、医師会の力もない。

まだ、医者には他にやることがあって
学会という厄介な組織がある。

これはこれでまた
今度、お話し
いや、
ぼやくことにします。
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投稿者: ryokusei
あれはどこいったんだろう。

盆に久しぶりに実家にいった。
実家の一室を
我が家の物置にしているのだが
。。。。。
子供のおもちゃや、本を
すてれないでそのまま置いている。
一部は、自分の子供のころの
ものも置いているのだが、、、、

子供のころというのは、
たわいもないものを大事にしていた
もので、

何かのおまけの小さな飛行機の
おもちゃや
昔アッピングボールといっていた
弾むゴム製のボール
そして、友達の家に遊びに行ったときに
かった小さなジープのおもちゃ。

いろいろあったのだけれども
いまはもうない。

子供のころから実家を建て直すときに
仮の住まいに引っ越して、
それからまた
新しい住まいに移った時に
結構すてられたり

大学にいって、実家から離れて、
すこしずつ捨てられるか
なくなったか、
そして極めつけは
再び
実家を建て直すときに
大半は捨てられた。

過去を顧みず
今を生きるというのは
かっこいいのかもしれないが、

かっこわるくても
たまには
たのしかった昔のことを思い出したいものだ。



そんな思いがあったのと
昔、永六輔が
子供のものを置いておくのは
親のつとめだ。といっていた言葉が
ずっと頭にのこっていて
できるだけ、子供の持ち物は
残していて今の家にはいりきらないものは
実家に置いている。


だいぶ、以前の話だが、
子供が小さい時
一緒に自転車にのっていて、
子供が横断歩道で大事にしていた
ケンタッキーのカーネルサンダースの
キーホルダーを横断歩道におとした
信号がかわって車に敷かれそうになったのを
泣きそうな顔でみていたので
親バカの私は、
一生懸命、頭をさげて車にとまってもらって
それを拾った覚えがある。

子供が大きくなって
たまたま、その場所を通りかかったとき
そのことを話すと
なんと、子供はそのことを
全く覚えていなかった。


また、家を建てて、引っ越した時に
子供がごみ袋をもって
これすててっていわれて
もってきたものが
マクドナルドの
ハッピーセットのおまけを積めた
ごみ袋だった。

子供が小さいときに
私は、好きでもないハッピーセットを
一生懸命食べて集めた
おまけがそこに詰まっていた。

親バカとはこういうもの

子供のものを一生懸命
とっていてもむだになるのかも
しれないが、
それでもおいておく
バカなおやが
ここに存在するのだった。
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投稿者: ryokusei
おもちゃ屋がない!!

わたくし、8月生まれで
63歳になってしまいました。

誕生日といっても
特段、思い出があるわけではないが、
子供のころは、
誕生日だからといって、
親に金をせびって
その金を持っておもちゃ屋にいった
思い出が、唯一楽しかったことぐらいか。。。。

その思い出が残っているのか
63歳のジジイになっても
金をもっておもちゃ屋にいって
子供のころを思い出したい気持ちに
なることがある。。。。

金を握って、いろいろ見渡して、
選ぶ わくわく感、
高くて買えないものに対する
あこがれ感。

なんだろう。。
子供時分の特別な
わくわく感があった。

ところが、今、玩具屋がないのである。。。


高松の町の中で住んでいたので
(へへへ、、、、)

お金握っていったのは
近くの
玩具屋が
常盤街に2軒、片原町に1軒、確かライオン通りに1軒
駄菓子屋は
瓦町に1軒、藤塚町に1軒
駄菓子屋+おもちゃ屋+文房具屋が花園に1軒
模型屋は
瓦町に1軒、フェリー通りに1軒
一高前に1軒その近くにもう1軒
といろいろ行っていた。

ところが今言ったおもちゃ屋、駄菓子屋、模型屋は
全て今閉店してないのである!!

玩具屋や駄菓子屋は
ゆめタウンやヤマダ電機
なんかにあるにはあるが
何か違う。。。。。。

そこに行っても当時のわくわく感は
なにも帰ってこない。
何だろう。

わが子が、家にある玩具でも
玩具屋でみたら、触って
動かしてあそびたがっていたが
あれは何だろう。


今、唯一、近くに松屋という
もともとの問屋さんがのこっていて
問屋さんだったので
以前は、いってなかったが、
今は、そこしかないので
たまに行っている
そこには、駄菓子、玩具、模型があるのではあるが
そこでさえ、最近は、だんだん品数が
減ってきている。
それでも結構みんな昔のにおいを
かぎに集ってきている。

少子化と
小売店の経営の厳しさ、
そして、ネット販売
ゲームを中心に遊ぶ子供たち
小売店が生き残れる場所がなくなって
来ている。


玩具にかぎらず
電気屋にしかり、お菓子屋にしかり、
八百屋さん、魚屋さんしかり
そして病院も

小さな小売店は生き残れなくなってきている。
どの業界も一緒だが、
小売店には大規模店舗にはない
独特の雰囲気とわくわく感があった。

どれがどんどんなくなって行くのは
昭和のおじさんは
さみしいのです。


街をあるくと、サルのおもちゃが
シンバルをたたいたり、
太鼓をたたいたり
犬のおもちゃがワンワン鳴いていた
近くの商店街の
あの賑わいが懐かしい。
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投稿者: ryokusei
やっぱり見捨てられた。

ま、また、
施設の一つにコロナの感染者がでた
今回も十二分には気をつけていたのだが、
複数人でてしまった。。。。

ここで、一人、
感染後に重症化してしまった人がでて
いままで、全てコロナの患者さんは
施設内で、私が診ていたのだが、
さすがに、初期からかなり危険な状態に
なったため、
他院へ送ろうとした。。。。

状態が重症であるため
紹介病院が限られる。
(中等症以下を受け入れるところは
あるのだが、中等症以下は
施設内で私が診るほうが
ましだから。。。。。。なんてね)

その限られた病院全て断られた。
断り方は様々であるのだが
実の所、認知症の高齢者は、
いろいろな理由をつけて断られるのだ。

これは、コロナだけではなく、
他の病気でも同じ、
こちらとしては、
施設というのは基本、“おうち”なのだから
“おうち”で見れない患者さんは、
入院させてくれないと。。。。。。

でも、認知症をもった高齢者は
たびたび断られるのだ。。。

ちなみに、先ほどの重症の患者さんは、
私、ブチ切れて、いろいろ治療したら
上空2万メートルぐらい
まで上がっていってしまっていたのですが
やっと地上10mほどのところまで
戻ってきてくれました。
(めでたし、めでたし)

これは、野戦病院での経験が多い
何でも屋の私にとっては
微妙なところなのである。。。。

第1に、野戦病院でなんでもしていた私の様な
野蛮な医者は、色んな疾患を
治療してきたので、たいていのことは
対処する。
こういう場面では、
ブチ切れて”若い、てめえらより
上手い治療をしてやるわ!(# ゚Д゚)“
となってしまうのです。。


第2に。大学病院からどんどん
規模が小さな病院を経験して
今、クリニックを経験し、
おまけに、介護施設まで見ているので、
紹介をしたときの電話の
向こうの状態が見えてしまう。
(逆に向こうはこっちの状況が
把握できていないとおもう)

第3に、自分が若いころは
どんなに無理をしても、
入院が必要な患者を引き取っていた。
(今ではゆるされないが、
昔は、4人部屋を6人部屋にしたり
倉庫を病室にしたりして
入院させていた。)
畜生!!!今のやつらは!!!

となってしまう。


私が上里医院にくるまで
裏の施設にいる人で
常に入院している人が10人ほどいた。
今は、おそらく平均したら
1人切るぐらいの人数しがいない。

その理由は、
入院させても治療に身が入っていないのが
眼にみえる時が多々あるので、
それなら自分で診た方がましと私が
紹介することが減ったことと、
単純に最初から認知症の高齢者を
とらない病院が増えてきたからである。

そんなに、認知症の高齢者の命を
かんたんにすてていいのか!!!
てめえだって
気が付いたら高齢者だぜ!!

テレビでは、毎日、
ここへ行け、あそこがいい、
あそこの何がうまい。。。。
という話ばっかり

あれだけ不安をあおっていた
奴らは、どこへいったのか?

今でも、どこもいかず
コロナ感染に気をつけている
我々は、、、、、
(特に私が感染すると
病院だけでなく、高齢者施設を
見る人間がいなくなるので
私だけは感染できないのです!!)

あまり、過度に気を付けていたら
逆に変人扱いされる日々になってきている
のです。

マスコミはこわいですな
(医学系ではむかし、むかしから
マスゴミといっていましたが、、、)

と憤慨している私でした。。。。