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February 2023 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
前回、臨終の話をしたのだが

臨終の場にはいろいろ
思い出があるものだが、

30代後半の時、
40代半ばの癌の末期の人を
看取ったことがあるのだが
最後の方は、麻薬をつかっていた
こともあり、
ほとんど、ぼんやり寝ていることが
多かったのだが、
ある日の朝、その患者さんが
私を呼んでいるというので
病室にいったら
意識が朦朧としていたその患者さんが
ぱっと目を見開いて
私の肩をゆすって

ありがとう、ありがとう

といって、それ以後また、意識が朦朧として
その午後になくなったことがある。

また、30代で若い女の人が
癌でなくなったときは
小さな子供が

おかあさん、おかあさん

といって泣きついていたのを見て
せつなかった思い出がある。

そんな時は、本当に自分の無力さ、
医学の無力さを感じたものである。


あと、若い時に
夜中に亡くなった方の家族が
数人。しばらく、家族だけにしてもらえますか
といわれて
しばらくしたら
大きな声でみんなでお経をあげられて
静まり返った夜の病棟中に
お経の声が鳴り響いて
困惑した思い出もある。

東京の病院なんかでは、
入院してから亡くなるまで
身寄りを探してもいなくて
(警察にしらべてもらっても)
淋しくなくなった
症例が何例もあった。

そんな、いろいろな臨終の場を経験してきたのだが、

時折、
識者らしき人が

病気は平等だと

いうことを聞くことがあるが
決して私はそうは思わない。

いろいろ健康のために
酒もたばこもしないで
運動もしている人が
病気になったり
また、
逆の例も多々経験する。

あるとき、
ベンツにのって自宅の門に
自損事故でつっこんで
(土地成金の人)
腸に穴があいて緊急手術して
腸を何か所か切除した人が
術後は、そのおかげで
栄養の吸収が落ちて
糖尿、高血圧、高脂血症が
なおった人がいた。
入院中は特別室で、
飲み屋のお姉ちゃんは見舞いに来るは
入院中に、廃車になったベンツを
買い替えるために
ベンツのカタログをみるは
とんでもない奴もいた。

そんな、いろいろな
人間模様を経験してきたが、
せめて、医療だけは
平等であってほしいと
マジメに考えるのです。
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投稿者: ryokusei
御臨終です

職業柄というか
医者の中でも
そういう臨床の場にたつことが
多い科を渡り歩いてきたので
“御臨終です”という場面に立つことが
比較的多い医者の一人である。

昔ながらの医者であるので、
自分の患者は自分が見るという
考えが強く、
特にいままで自分が担当した患者さん
で、自分で看取ったことのない人は
この長い医者の人生のなかで
2度だけである。
(遠くに学会に行っていた時に
急変した)

基本、
患者さんがなくなったら
いつでも駆け付けるスタイルを
貫いているので、

まあ、状態が悪い患者さんがいると
日曜日でも家の周囲から離れれない。
そして、重症の患者さんを
持っていた時なぞは、急変に備えて
夜なんか
いつでも家を出れるように
寝床の近くから
準にズボンや上着を
準において置いたりする。

今は、医療というより
高齢者の看取りが多くなったので
そこまではなかなかしないが、
それはそれで、全身状態が悪化すると
いつなくなるか
分からないので
臨終がのびればのびるほど
夜や、日曜日は気が休まらない。
夜中に亡くなっても
朝までそのままの状態で
置いておく施設もあるが、私はどうも
賛同できない。

こんなことができるのも
基本、私が酒を飲まないからで、
家で晩酌をする様な医者は、
そういうことはできないと思う。
(酒を飲む人が多い九州で医者をやっていた
もので、酒を飲まないという
理由で、医者になってからすぐから、
生涯の急患係が決定!)

そんな厳粛な臨終の場でも
長くやっていたら
憲淑な場であるからこそ
いろいろエピソードもある。


若い時、自分の上司の患者さんが
夜、急変して
上司を読んだら
べろべろに酔っぱらって
やってきて
患者さんの家族に
“もう、だめです”といって
寝込んだことがある。
あわてて私がかわって処置をして
臨終まで私がみとったことがある。


そして臨終の時の
最後の一言
“O時O分”おなくなりになりました
ということばがいるのだが、

いそいで駆け付けるもので、
時計をつけわすれてくることがある。
皆、最近は、一般的に
スマホで時間を確認することが多くて
だれも時計をしていないことが多く、

いざ借りようと思っても、周囲にだれも時計を
持っていなかったりすることが
多々ある。

どうしようもなくて
看護師の女性用の時計で
臨終時間を言ったこともあるし、
一度なんかは、
最終的に病室にあった患者さんの置時計で
臨終時間をいったこともある。

(さすがにスマホで時間をいうのは
さまにならないのでできない!)


あとは、セレモニーの様におこなう
眼での神経反射の確認
(最近はあまりしないが)
ペンライトで、瞳孔をみるのだが、
私、大体、ペンライトどころか
聴診器やボールペンさえ
あまり携帯しない人だから
臨終の場でペンライトなんぞ
出せない。

看護師が普通もってくるのであるが
あるとき、誰も持ってきていなくて
周囲にだれか持っていないかと
催促したら
ディズニーのキャラクターの
ドナルドダックがついた
ペンライトが裏から
ひっそりと差し出された
ことがある。

これはまずいと思ったが、
どうしようもなかったので
ドナルドダックの所を
しっかり握って
見えないようにして反射をみたことがある。



臨終の場というのは
いくらやっても
嫌なもので、
昔では、医学の限界の無力感、
今は、老衰の方を看取ることが多いので
人生の虚無感を感じて
しまうものなのです。。。。

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投稿者: ryokusei
風船爆弾

最近、中国の気球が
アメリカ上空にあらわれて
アメリカ軍が撃墜した様だ。

軍事偵察用にしては
気球というのは何とも
向かない代物だから
それほど戦略的意味が強い
ものではないと思われる。

それを数百億する最新鋭戦闘機で
数千万円するミサイルで
撃墜した様だ。

大体、以前より飛来して来ていたものを
(日本にもしょっちゅう飛んでくる)
今回、撃墜したのには、
政治的意味合いが大きいのか??



太平洋戦争中
日本軍は、風船爆弾という
和紙とこんにゃくの原料ののりで作った
気球を作ってジェット気流にのせて
爆弾をのせて爆撃しようと
したことがある。
(爆弾というか焼夷弾といって
火事を起こすようにしていたもの)
成果は子供があやまって
触れて亡くなったのと
数件の山火事が起こった。

これに対して当時のアメリカ軍は
徹底調査して、
製造の原料から
製造工場を割り出し
(千葉県)
工場を爆撃するにいたった。

このことは、当時のアメリカの本土が
爆撃を受けたことに対する
威信を傷つけたためと
思われがちだが、

実は、アメリカが恐れていたのは
この風船爆弾で
細菌戦を仕掛けられるのを
恐れていたのだ。

はなから、日本軍も爆弾で空襲する
ほど効率が悪いことは考えておらず
この気球に細菌をのせて
アメリカ本土に
破れかぶれの細菌戦を仕掛けようと
考えていたのだ。

不名誉なことであるが、
当時、細菌兵器の研究は、日本が
一番進んでいたのだ。

結局、上空の超低温の問題や
それを察知したアメリカの
細菌戦への報復の脅しがあり
細菌兵器は使用しなかったのだが、、、、


なんとも
愚かな人間は、
戦争のことや
金儲けのことになると
眼の色を変えて
力を投入する。
(戦争のほとんどが利益の
ためにしているのだが)
なんと、バカな動物か。

世の中に戦争がなければ、
これほどの文明は
発展しなかったのも事実であるが。
(どの時代も最新の科学技術は
人殺しの道具、戦争のために発達している)

そんな、努力があれば
今の人類の最大の問題というか
敵である
病気に対する医学や、
温暖化などの地球環境の安定化に
全知力を投入すればいいのに。。。。。。

と、ふとマジメに思うのでした。
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投稿者: ryokusei
ああ、大変だった。2

先週のつづきで、、、、、
そんな大変なコロナ騒動の中で、

やはり、高齢者といえども
目の前でなくなると
それはきついものである。。。

私、医者としてはいろいろ
なことをして来た方なので、
患者さんの死は
いやというほど見てきた。

しかし、何人看取ってきたといえども
自分が見てきた患者さんの
死は、いやなものである。

自分の目の前で手から
一人の命がこぼれ落ちる様で
なんともいえない虚無感におそわれる。

政治家や評論家がなんと言い訳しようとも
どんな言い分があろうとも
“ 高齢者を守りながら社会を回す ”
なんてきれいごとをいえばいうほど
腹が立つ。

どんなに、われわれが頑張ろうとも
感染がふえれば
結局、高齢者の感染は増える一方で
現場で診ていない者の言いぐさとしか
思えないのである。

”高齢者や弱った人はきりすてて
これからの経済、これからの人を守りましょう!“
といえば納得するかな??


直接の現場にたずさわっている者と
その他の者の感覚の差は開く一方。

高齢のハイリスクの患者には
抗体といういわゆる治療薬を使うのだが、
国と薬品会社が管理しているものだから
現場で朝10時までに頼んだら
その日に届いて使用することができるのだが
それをすぎたら15時までにたのむと
次の日に届く。

しかし、問題は、土日。
なんと金曜の15時を過ぎると
薬が届くのは月曜日になるのだ!

はやく使えば使うほど効果がある
薬がなんと48時間以上届かないのである。
(現物が近くにあるのに)
理不尽!!(お国が決めたことだと一点張りで)
(今回実は、土曜日の朝たのんだ薬が届かない
ので、会社におねがいして、((正確には
無茶苦茶文句をいって))その日にとどけさせたのだが)
現場でも直接かかわりのない
人達はこんなもの。



今回、前回話した様に、一旦回復した
人が急変した
そのとき
観察期間が過ぎた直後の人なので
感染者扱いになるので、
保険所に連絡して入院先をさがしてもらったのだが、
一旦は、観察期間が過ぎたので
決まり事なので、
こちらで探してくれとのことだったのだが
(土曜日の夜で時間的にも最悪!)
それから、やはり動議的に
探してくれて
救急車を手配してくれた。

救急車が同着したとき
いよいよ状態が悪化して
もう移動できない状態にまでなったのだが

いつもは(いつもは冷たい?)救急隊が
移せる様になるまで待ちます
と言ってくれた。

私もナースも
必死で処置をしていたので
自分への感染はまぬがれないと
思っていた
(結局かからなかったが)

この2週間というもの
感染者を診ていた
介護者も何人も感染した。
(普通の患者さん以上に、
認知症の人を診るには
致し方ないとおもう)

ここまで、現場は大変だし
どうしてもこういう事があると
現場はいつまでも緊張が続いている。
(まったく、もう、意に関していない
施設や病院もあるけれども。。。。。。。(# ゚Д゚)
そういう所ほど周囲にわからない。。。。(;^ω^)

職員には行動制限をいまだに
強いているのだが、
やはり人の死に接すると。
インフルエンザでも
5類になっても
緩めるわけにはいかないと

私は、思うのです。。。。。
(まじめすぎ??)