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March 2022 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
わたせせいぞう

私の仕事用のメールに
Pinterestが入り込んでいる。
世界中のいろんな人が投稿した
写真が送られてくるのだが、
自動的に私がよく見るものを中心に
送られてくる。

面白くない、仕事のメールを読んでいると
ふとそちらの方に意識がいって
気が付けば、仕事のメールより
熱心に見たりする。。。。

そんななか、
わたせせいぞうのイラストが
紛れ込んでいた。
最近はあまりみなくなったので

わたせせいぞうと言っても
ピントこないかもしれないが、
ハートカクテルという題や
独特の画風をみれば皆思い出すと思う
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この独特な世界感
男女を中心としたいきいきとした世界感が
流行った当時のバブルの時代とあいまって
非常にカラフルな
愛情と未来への幸福感を
みごとに表現していた。
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雲を中心とした抽象的な表現は
抽象画とは違う微妙な描写と
淡い色を中心とした明るさが、
何とも言えず美しく表現されていた。

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この色といい、デザインといい
男女の表現といい
当時のバブルの世界
明日に希望がもてた時代には
ピッタリだったのかもしれない。

今の明日に明るさが見えないどころか
闇しか見えない世界では
受け入れられないのかもしれない。

だから、今は、あまり見なくなったのだろうか
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シリーズ自体ではあまり見ないのだが、
学生時代に
大学の広い講堂の後ろの方に
たむろしていたグルーブの一人の
私は、講義中に
グループの中で回し読みしていた
”モーニング“という雑誌の中に
間欠的にはいっていた連載の
“菜”が気に入って
最終的には単行本までかってしまった。

ただし内容的にはできた嫁と
だらしない旦那の設定で、
どうも男の科って目線で書かれていたのだが、、、、

私は、絵画とイラストを区別するのが好きではないが
最近のいわゆるイラストは、
コンピューターで感が強く
味気ない。

そんな中、
わたせせいぞうの絵には
なにか、江戸時代の浮世絵の様な
手作りの版画の様な線と淡い色合いと
一枚で上限する物語が
心を揺さぶるのである。


カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
学生の時にいろいろな科の
病棟をまわって、各診療科の
臨床研修をするのだが、

精神科では、鍵をわたされほぼ2週間
精神科病棟にいた。

精神科の患者さんというものは、
もちろん自分がすることは
間違っていないとおもうから
こちらから見れば、変なことを
大真面目にやっている。
つまり、言い方をかえると
我々と違う世界を生きているといっていい。

顔をあらってから
必ず不潔な雑巾で顔をふく人
いるはずのない人と真剣に話す人
どうやっても動かないのに
ゴミが落ちていたら素早く拾う人

2週間もそういう人達の中で
いたら、
だんだん、自分の方が正常ではない
様な気がしてくる。
つまり、自分の世界の方がおかしいのでは
ないか?という思いが芽生えてくる。
あるいは
いったい正常って何だろうと
考える様になってしまう。
自分のしていることこそ異常なのではないか

洗脳なんてそんなものかもしれない
最初は怪しいと思いながら
その世界だけで生きてゆくことで
最終的に他の世界がおかしいと
思いだすようになってしまうのだろう。


先日、東京のワクチンの会場で、
コロナのワクチンを
打ってはいけないという
団体がワクチン接種を妨害にはいって
もめたらしい。

非ワクチン論者は、
我々からみれば、荒唐無稽なデータ
を見て、信じ、
(こういう人達の見るデータは
出所不明かあるいはバイアスの
かかったデータが多い)
そこまででは、都市伝説を信じる
いわゆる陰謀論者であるのだが、
(ここまででは、ただ自分が
ワクチンを頑なにしない人)

そういうことを信じる人達だけの
コミュニティーの中に
浸かっていると自分の主張の方がただしく
大多数の考えが間違っていると
真剣に思う様になるのであろう。
(ここまで来ると、他人のワクチンを
妨害するにまでに至るのだろう)

新興宗教はこれの粋たるものの様な気がする。

今をときめくプーチンも
ソ連の再興を目指しているうちに
イェスマンばかりの環境の中で
正常な世界が見えなくなってしまったに違いない。

そういうことを考えているうちに
また、自分は正常なのだろうか??
正常ってなんだろうか??
と思い込んでしまったりして。

俺っておかしい??

カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
情報戦の怖さよ。。。。

今、ロシアがウクライナに進行しているが
いろいろな情報が飛び交っている。
西側諸国をはじめ日本人は
ウクライナの悲惨な状態を見て
ウクライナにどうにか頑張って
ほしいいと思い、
逆にプーチンを見ると
ヒトラーを連想させる。

この戦争は、
いまだかつてないほどの
情報戦の形態を様している。

我々は、かつてない通信網と
情報網の中で生きているが
情報が多くなるにつれて
どんどん、真実がすぐに
分かる様になってくると
信じこんでいたが、
実はこの戦争で
そうではなく、情報があふれるということは
真実がどんどん見えなく
なってきているという事が
確認された。

実際に、われわれは西側諸国の一員で
少なくともロシアほど情報統制が
ない世界で生きているので
今、流れている情報が真実と
信じ込んでウクライナ側に立っているが、
実際のところは、どこまでが
真実なのかが判断できない。

真実というものは、実際に見て、聞いて
確かめるべきものであるが、
なんせ、極東の地で
馴染みのうすい東欧
のことを判断するには
なかなか厳しいものがある。

太平洋戦争中日本は、
戦意高揚のため
嘘をならべて、日本の正当性、戦争の正当性
誇大された戦果、を新聞や映画をつかって
流していた。
(アメリカでさえ同様のことをやっていた)

それを信じて日本全国民が悲惨な目に
あったのである。

ロシア、ウクライナでは
かつてないほどの
お互い、フェイクニュースの情報戦を
仕掛けているものだから、
どこからどこまでを信じてよいのか。
まったくわからない

北京オリンピックの時に
ウクライナ情勢のことを話し合う
情報番組で
いわゆる専門家の中で、
ウクライナ進行を予想した人間は
6~7人いた中でたった1人だった。
専門家でさえ、わからなかったのだ。

しかし、
こんなことは、身近でもたくさん起こっている。
いまの情報があふれる時代。
たとえば
食べ物やさんを(病院でもいい)
さがす時に
ネットで検索し、店の宣伝をみて、
口コミをみて、選んでいると思うが、

ネットの検索で出てくる順番はもうすでに
操作されている。
つまりその時点で誘導されているのである。
店のホームページは
お金をかけているほどその店を
魅力的なものにして、
口コミは、いまや、その書き込みは
商売にもなっているほど
雇われた人が書いている。

そんな、情報戦の中で今
私たちは生きいるのである。

なにを見て、なにを信じていいのか
分からない時代。
眼で見て確かめたいのだが
それさえもフェイクの可能性さえある。

人間は、現代
入ってくる洪水の様な情報を
処理できるほど
おりこうさんではない。

かといって、その情報を取得しなければ、
不安になる

スマホを家に忘れて出かけた時の様に
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
おじさんは、やっぱり。。。。。

年をとって、老眼鏡が合わなくなってきて
ついでに壊れたので
久しぶりにメガネ屋さんに行ってきた。

なにせ、昔から眼がいい私は、
(左はいまだに2.0,
右は白内障にて視力低下)
メガネ屋というものに大体
縁がない。

色々さがして入った店で
入って、しばらくしたら
やっと店員がやってきて
画面タッチをして、

今日、なにをしに来たかとか
希望、とかの情報を自分で入れた上で
それが終わると
待ち時間に会員のアプリを入れる様にいわれて
座って、アプリを入れていたのだが、
なにか、自分の中で違和感が
生じて、その店を出てしまった。

思えば、最初に店に入った時に
今風の髪型や服装をした、今風の
しゃべり方でやってきた店員たちに
もうすでに違和感を感じていたのだった。
おじさんは、着いていけない。

その後、普通に対応してくれる
店でかったのだが、、、、、

話は変わるが、

先日、ずっと来ている高齢の患者さんが、
薬が切れているはずなので
連絡を取っていたが、どうしても
電話がつながらず(携帯電話)
心配していたら

突然、やってきて、
原因は、携帯電話をスマホに変えて
電話が鳴っても取り方がわからず
履歴もどうやって見ていいかわからず
電話にでれなかったとのこと。
当院から電話していたのもわからなかったらしい。

そこで、ナースがほとんどドコモショップの
様に電話の使い方をおしえていた。
丁度、他に患者さんがいなかったので
電話の話と、世間話をしていた。

そんな、ほっこりした雰囲気が
とても心地よかった。

思えば、
私の医者としての理想は、
若い時はしゃにむに
医者をして、
最終的には今の歳では、

目くじらを立てて商売をしたり
恐い顔をして、最新の医学をしたりするのではなく
田舎の田舎の診療所で
自転車にのって往診したり、
患者さんとお茶のんだりする
半農半医が理想だったので
(めちゃくちゃ経営は苦しいけど)
今、コロナで
バタバタしている中で
そんな思いが蘇ってきた。

またまた、話が変わるが
うちのクリニックの入り口に
金魚と横の溝にいたメダカとなんかわからん
魚を飼っている。
しゃれたクリニックなら熱帯魚と
いうところなんだが
どうにも熱帯魚は
飼う気になれない。
(家では飼ったことあるのだが)

デ、なにがいいたいかというと
おじさんは、やっぱり
見栄じゃなくて
心がこもったものがいい。
ということを
言いたかったのです。

人間は、やっぱり
人の心を触れながら生きていくのが
いいと思うのです。