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August 2021 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
知の探究

若いころ研究室にいたころ
月に一回、研究の過程を報告する会があり
教授や助教授、講師や研究員の前で
現在やっている研究の内容や
その過程を発表する会があった。

もちろん当時は教授が天皇陛下ぐらい偉くて
教室員もたくさんいた時代で
結構、緊張する会であったのだが、

研究というのは非常に細かいことをするので
臨床とは一見無関係なことをするので、なかなか
大変であった。

私の研究は、がんのリンパ球への反応と
そのリンパ球と癌細胞がくっつくための
細胞膜表面の因子を調べていた。
(もちろん、よくわからないでしょうが。。。。)
皆分からないどころか、こんなことは
教授にもさっぱりわからない分野なのである。
それを説明するのであるため
一苦労するのである。

研究内容が理解されないと研究が
打ち切りになる可能性もあるのだから。

皆、汗だくで説明するのだが、
研究課程の発表がおわると
教授の得意のひとこと

“で、その研究は臨床にどう役立つの?”

基礎研究というのは大体直接臨床に直結しない
ことが多く、いろいろ結果を出したところで
なかなか臨床にはつながらない。
臨床までの階段が10あるとれば
1段目かせいぜい2~3段目
途中で成果が出ないことが多く、
10段まで行ける研究なんて
ほんの一握りなのである。


話は、かわって、
私は昔から宇宙や物理に興味があるのだが、
宇宙や物理学で、
ここ最近のニュースといえば
ヒッグス粒子の検出、重力波の検出
それからブラックホールの撮影である。

どれもノーベル賞を受賞したりこれから
受賞する成果であるが、
どれもこれもそれが見つかったところで
今のわれわれの生活には何も関係がない。
ところが、我々はそれらを見つけるために
莫大なお金をかけて調べている。
あのニュートリノの検出を行っている
カミオカンデもそうである。

われわれ人類はすぐに生活に直結しない
ものを膨大な資金と膨大な人力を投入して
研究している。

超電導や、核融合などはいつか
生活に関係してくる研究かもしれないが

ハワイのマウナケア山の山頂に直径8m
のすばる望遠鏡を設置して宇宙を眺めたり
維持費でさえ大変なハッブル宇宙望遠鏡
をして宇宙の成り立ちや宇宙の始まりを追求しても

“それが、生活の何に役立つの?”

といわれれば終了する世界なのである。
しかし、人間の好奇心はすごいもので、
見えないものが見たいという欲望
分からないものを調べたいという欲望は
はかりしれない。

人間の知力というものでは、未だに宇宙の構成成分の
4%ほどしか解明していないほど
まだ幼稚でわからないものが
たくさんある。

しかし、それが
人間の嵯峨であり、
それがいいとこかもしれない。

ちなみにハッブル宇宙望遠鏡のすごさが
わかる映像。
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有名なオリオン座のベルトの右下の部分を
地上の望遠鏡で拡大すると
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この部分を拡大する
紫色に見える部分を拡大すうと
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その真ん中の部分を拡大すると
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馬の頭の様に見える
馬頭星雲というものが見える

これをハッブル望遠鏡の
特殊な撮影で合成すると
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こういうふうになり
この写真を始めに
見たときは度肝をぬかれた。

小惑星にいった探査機の
はやぶさも
結局

だから

の世界
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投稿者: ryokusei
私、あまり音楽に対して思い入れはないが
この季節になると
聞きたくなる曲がある。

荒井由実の“晩夏”
荒井由実の曲の中では決して
メジャーな曲ではないが、
なんとも今の季節をしみじみと
思わせる曲なのである。


ゆく夏に名残る暑さは
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭(はげいとう)
秋風の心細さはコスモス

何もかも捨てたい恋があったのに
不安な夢があったのに
いつかしら時のどこかへ置き去り

空色は水色に
茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの

丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子供の声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る。

藍色は郡青(ぐんじょう)に
薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝きだす。。


あまり音楽や、文学に造詣がない
私ではあるが、聞いただけで
情景が浮かびその季節のうつろいと
心の寂しさを色で表現するという所が
素晴らしと感じるのである。

そういえば
海を見ていた午後という曲でも
“ソーダ水の中に貨物船が通る”
というくだりも情景が素晴らしく目に浮かぶ
詩の内容で歌を聞かせるのはすごいと
思うのです。。。
ユーチューブでこの
“晩夏”“
“海を見ていた午後”
を聞いてみて下さい。
悲しいかな、歌唱力は、やや落ちるので
山本潤子の方が聞きやすい。。。。のが。。。

それにしても
30年~40年も
第一線の曲を作り続けられたのは
荒井由実と井上陽水ぐらいだから
とてつもない才能だろう。

小田和正や桑田佳祐でさえ
第一線のヒットを作れたのは
10年~20年なのだから
。。。。。。。。。

それにしても、おじさんは、
昔の曲がいいと思うのだが、
曲といい、詩といい、
どうも今の曲は。。。。。。。。

今の曲はどれも同じに聞こえ、
耳に残らない。詩にいたっては、
なんと歌っているか聞き取れない。
あ。。。。じじい。。。。。。

若い子にとっては、
昔、親が“思い出のメロディー”を
聞いていたのと同じなのだろうか。。。。
ああ、悲しや。。。。。。。。
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投稿者: ryokusei
AIが支配する世界へ

私も昨年還暦を迎えて
つい先日61歳をむかえて
典型的なジジイの仲間入りをしてしまった。
アハハハハは。。。。。。

私、昔から、NHKで昔からやっている
アガサクリスティー原作の
ポアロやシャーロックホームズが
好きで、再放送があると
何度も見てしまう。
(ポアロは土曜日の夕方、
シャーロックホームズは
水曜夜に始まったばかり)

アガサクリスティーが好きという
わけではなく、一昔前のイギリスの
テレビ番組と2昔前のイギリス
のジメジメした情景が
どうも好きらしい。

アメリカのテレビドラマの様な爽快感が
なく、動きや華々しさもないが
歴史を感じ、なにかしらの陰鬱さを
感じる。。。。???

その中で、ポアロやシャーロックホームズは
天才的な観察力と洞察力で
手がかりを得て事件を解決する。

犯人の靴一つで、汚れ方や
擦り切れ方などで、犯人の
生い立ちから、事件までの行動まで
読み取る。 などなど。。。

私、彼らの様な天才ではないが、
典型的な昔のタイプの医者であるから
患者さんが診察室にはいって
数分話すことで、ほぼ80%診断してしまう。

例えば、お腹が痛いという主訴でも
歩き方、顔色、訴え方、
あるいは服装、話方で、
ほぼ3分ほどで全てを推察する。
(詳細は企業秘密なのであえて割愛)
たとえば、事情があって
お腹が痛いという仮病に近いものから
精神的なもので痛いといっているものまで
すべて判断する。
それが経験というものであるし、
すぐに検査ができたり、CTやMRI
などがあるわけではない町医者には
必要不可欠なテクニックというものである。
(自分で言うのもなにだが、観察眼は
人より強いらしい。。???)

(実をいうとまだコロナが香川県でほとんど
出ていないときに、まったく、県外や濃厚接触の
可能性がない人間を見て
直感で、一人患者さんを見つけてしまった。)
(保険所や症会病院になかなか信じて
もらえなかったのだが)

じまんすな!!!

前もいったけれど10%ほど大外れする。

ただ、今のお医者さんをみていると
電子カルテに向かっていて
患者さんが入ってくるところを見なかったり
話を電子カルテに向かいながらしているのを
よく見る。
そして、触診、聴診をして
すぐ検査。(検査の結果がすぐでたり
CT、MRIがあるところはうらやましい)

ここになにの違いがあるのか。
やや偏見もあるのだが
昔のタイプの医者は、3分で診断を絞り込んで
それから絞り込んだ中でその診断を確実
にするために検査を行う。

最近のお医者さんの仕方は、触診、聴診、
病歴も含めて、検査のデータを
膨大に集めてその中から
コンピューターの様に診断を進める。
それに慣れているのである。
われわれの欠点はいわゆる感が
外れたら、診断に時間がかかること
今のお医者さんの欠点は
診断するのにたくさんの検査データがいること

これでは、データーを集めれば
機械でいいではないか。
データさえあればAIの方がはるかに
上だ。!!
この感覚、第6感が、大事。。。。。??
といっていたら。

最近のAIはさらに上をいっている。

われわれが詳細に観察していたことを
学習できるようになって来たのだ。
つまり、患者さんの顔や状態、会話
あるいはその声の緊張度まで
即座に判断できる様になってきている。

話はかわるが
内視鏡の診断は、その画面を見て
診断する能力が
最近まで熟練医のほうが上だったのだが
ついに
AIが追いついてしまった。
(もうすぐ内視鏡医はカメラを患者さんに
挿入し、AIの指示で観察する機械になる??かも??)

チェスや将棋は以前から
コンピューターのプログラムを
対戦することでプロに勝つようになったが
最後の砦の囲碁(ファジーな部分が多いので
なかなかコンピューターには
難しとかんがえられていた)
もAIの出現によって
人間より遥かに強くなってしまった。

もうすぐ医者もいらなくなりそう。
。。。。。。

これを読んでいる人も実を
いうとAIに動かされはじめている。。。
仕事の能率や仕分け、配達や仕入れ。
いまやAIが行い始めている。
つまり、機械に指示されだしているの
ですぞ。

もうすぐ、医者もAIに指示されるだけの
単なる末端になるかも。

SF映画の世界は
思ったよりはやく来るかも

ただ、還暦を越した
ジジイはそうなったら
引退するという手が
あるのでした。。。。
ははははは。。。。
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投稿者: ryokusei
栄光はいつか消え去る

これは、こころに残った映画のセリフの
一つ

原文はしらないが、
1970年のアメリカ映画
パットン大戦車軍団
の最後のセリフを
最初にテレビ放映したときの最後のセリフの
日本語訳である。
(栄光はうつろいやすいと訳しているものもある)

相当、意訳しているとおもわれるが
何十年もテレビで見た映画のセリフが
今も心にのこっている。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で
活躍したアメリカの将軍、パットン大将の
半生を描いた映画で、
実際に戦争が好きだ
ということをはばからない猛将であったが、
戦争が終了するとともに軍人としての
仕事が終わり、その活躍と栄光は
終わってしまう。
史実でも終戦の年に交通事故でなくなってしまう。

いま、オリンピックをみていると
このセリフが頭に上ってくる。

長年の練習、努力、苦しみ、プレッシャーに
耐え勝ち取った勝利を満面の笑みで
喜ぶ姿に感動するとともに
日本国中が祝福をして
うらやましいほど輝いて見える。

ただ、
おじさんは、その人生の頂点に
20歳前後で、たったことを
心配するのである。
(妬み???、嫉妬??)

今まで、夏、冬を通して
いろいろなメダリストがいるが、
皆が決して、以降の人生を過ごしている
とは思えないからである。

右も左もわからない20歳前後の年で
さらに、一生懸命、スポーツの世界で
生きてきて、周りの社会をしらない
人間が、人生の頂点に立ち、周囲からちやほやされて、
へたをすれば利用され、その後の人生を見失っても
仕方がない気もする。

高校野球で活躍した選手が
急に大金をもらいプロ野球にはいって
ダメになって行く選手がいる様に

スポーツ界でなくても
我々の世界でも教授が定年で終了すれば
一部の教授をのぞけば
もう、学会でもただの人になってしまう。
学会に名もなく出ている元教授を見ていると
その姿に寂しさを感じるのである。

外来で高齢者も
わしゃー若いときは〇〇〇という言葉をよく聞く。

人間だれしも、いいときを引きずって歩き
それにしがみついて生きていきがちだが、
オリンピックのアスリートたちの頂点は
凡人にはとてもわからないほど高いところに
あるだけに、その頂点への思いは
想像を絶する。

大した頂点を持たない私でも小さな頂点に
しがみつきたくなり、引きずって生きている

しかし、頂点というのはそれを越したら
坂を下って行く。
いわば、オリンピックでいうと
勝利を得て歓喜のおたけびを上げた瞬間が頂点で
その瞬間から頂点から降り始めているのである。


オリンピックは一種のお祭り
お祭りが終われば
反動の寂しさが残るのが
世の常
あーさみし
映画好きは、1968年の冬のグルノーブルオリンピックの
記録映画の“白い恋人たち”のラストシーンを
思い出すのではないだろうか。


栄光はいつか消え去る


おじさん鬱??暗い?素直じゃない?
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
最近の天気は
とうとう夏になったという感じ

大体、夏は強い方で、
夏痩せどころか夏太りをする方で
この炎天下に外にでると
信じられないかもしれないが、
この暑い中で、クラブを一日中していた
夏を思い出し、なつかしく、
あの若いころに戻ってあの暑い夏を
過ごしたいとおもうのである。

特に大学のころは、7月の終わりに
大会があったので、7月になれば
朝からボールが見えなくなるまで
熱中症になりながらデニスをしていた。
あのキツさが懐かしいのである。

馬鹿か!

思えば、仕事、患者さんを守る、
職員をふくめて介護施設を守り、
家族を守るという重責もなく
自分を守るだけという
幸せといえば幸せな時代だった。

子供のころでいえば
夏休み。

親が忙しくて
旅行も外食もしたことがなく、
なにをしていたのでもないが
とにかく夏休みといえば夏休みの宿題。

子供の頃、なにもしなかったのに、
夏休みの工作の様なものをつくってしまった。
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はじめはこんなにメルヘンチックな物ではなかったが、
職員がひまわり畑がいい
という事をいうから
途中からこんなものになってしまった。
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夏休みの宿題の思いでといえば
自分の宿題と子供の宿題の手伝い

1. 学習
とにかくしなかった。
いつも8月の最後の週にまとめてした。
中学のときなんぞ、
9月1日が土曜日だったので
友達に宿題をかりて9月2日の日曜日
にほぼ徹夜で写して3日月曜日に提出
したこともある。

小学校の時は学習帳に天気を
かかなければいけなかったが、
今みたいにネットはないし、
新聞にもまとめて天気を出してくれることもなかった。
で、適当に。
とにかく高松は、8月に雨がふることもなく、
晴れさえ書いときゃ間違いない。
何日かに一回は、はれ時々曇りにしたりして。

まったくいいかげん。

2. 自由研究。
最後の週に適当にしたと思うのだが
なにをしたかさえお覚えていない。

我が子が小学校の時は、どうせ
しないだろうと思って、
7月に構想をねって8月に
医学論文で培った方法で、
ほぼ私がつくっていたら、毎年、
学校代表で、市の会館にはられていた。。。。

やばい。。。。。

3. 工作
なにそれ。
そんなのあったっけ。。。。
押入れにあった兄の工作に
壊れたおもちゃをひっつけて
出した覚えがある。。。そのくらい。

我が子の工作は
人にほとんど親がつくつと聞いていたので
暇な時にわざわざ手抜きをして
つくったのだが(結構器用なので)
夏休みの宿題の展示会を見に行って
びっくり。
ダントツに上手にできていた

やばい・・・

4習字
1時間ほどかけて10枚ぐらいかいた
もののうちで一番よくかけたもの
を選んで、出していた。
大体下手くそなので
2文字あったら2字ともうまく
書けることがなかなかないので
大変だった。
さらに、偶然上手くかけたとしても
自分の名前を書くのが下手くそで
苦労した。

しかし、習字が好きな人に
聞いたら、夏休みに何回も練習して
最終的に清書していたと
聞いてビックした。

5絵
小学校の時は、1枚1時間ほとで
買いて、足していたが
中学校の時に一度
真剣に絵を書こうして
夏休み中悩んて何枚も下書きした上で
気に入ったものができずに
完成せずに挙句のはてに提出しなかった
思い出がある。

しかし、中学校の時の美術の先生が
私の絵を評価してくれていて
宿題を提出していなかった
にも関わらず
2学期の美術の評価が
5段階評価の4であって
びっくりした覚えがある。

そうか、宿題はださなくていいんだ!

ああ、夏休みがほしい。。。。