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February 2018 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
医師の労働時間14

総回診の話で分かるように
医局というものは教授が神様である。
今の時代は、医局自体が弱体化
していることもあり、
教授自体の力(美味しさ)は、
昔に比べてとてつもなく落ちている。

大体なんで医局の力が落ちているかというと
これは、お上の方針なのである。

(ここからは、かなり辛辣な話)
白い巨塔ではないが、
医学の世界は、大学が中心で行われている。
これが、厚生省(今は厚生労働省)が
とてつもなく嫌なことだったらしい。
なんせ大学の医学部は文部省の管轄
なのであるから。

医療行政を牛耳る厚生省としては
文部省管轄の大学が力をもつことが
非情にいやで、目の上のたんこぶであったらしい。

この力関係を打開すべく、裏でかなり
戦いがあったらしい。
(確たる証拠はないけれども)

元来、どの病院もだいたいそこで働く人間は
医局が送り込む。
だからOO中央病院の消化器内科はOO大学の
第1内科、呼吸器内科はOO大学の第2内科、
外科はOO大学の第1外科、、、、、、、
という様に、医局が人事としてそこに
医者を派遣する。

だから外からは分からないであろうが、
OO病院はOO大学系
OO病院はOO大学系と
だいたい管轄する大学(医局)がきまっており、
逆にいえば、医局が絶大なる力を
もっていたのである。
しいて言えば、教授が絶大なる力を持っていたのである。
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投稿者: ryokusei
だいたい班別での回診は、毎日あるのだが、
総回診の時はできないので、
いくつかの班では総回診が終了してから
また、班の回診がはじまる。

外科というのは、傷を毎日みなければいけないので
必ず、少なくとも一日一回は回診が必要で、
班別の回診で、傷をみながら
皆で患者さんの検討をする。

よって、全てが終了するのは13時頃になり
終了時には、虚脱状態となる。

班の回診といえば、
当時、大腸班のトップの先生が
大変、怖い先生で、
本来なら、大腸班の回診は、
丁稚3~4人と
大腸班の先生5~6人と
その怖い先生でするところなのだが、
大腸班の先生は、どういうわけか
(その怖い先生の相手をするのが
面倒なので。。。。。)
あまり来ない。

来ても回診中に
1人2人と
どこかに消えてゆき、
最終的には、丁稚と怖い先生との
回診になってしまう。

一般に、怖い先生、あるいは
きつい指導をする先生は、
結構、きまった人間に対して、
集中的に怒ることが、多く、
(私は、どういうわけか、攻撃されない
丁稚だった。)

特に、その大腸班の怖い先生は、
引く人間に対して
(指導をすると緊張したり、
黙り込む人間)に対して非常に集中的に
攻撃をする先生で、
結構、上のDrも集中攻撃される。

そういうこともあって回診は、最終的に
丁稚しかいなくなり、惨状がくりかえされる
ことがしばしばあった。

私は、大腸班には2年目で回ったのだが、
要領がよかったのか、ふてぶてしい
のがよかったのか、その先生には
怒られることがほとんどなく、

その先生と丁稚だけの回診だけでも
結構スムーズに回診が進むことが多く

用事で回診に付けない時でも
回診が停滞すると、看護婦さんに
探されて、回診に来るように頼まれたりも
していた。
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投稿者: ryokusei
ところがそれは終わりの始まりで、
一部の班ではまた、それから本当の回診が始まる。

班の説明―――
我々の医局では、食道班、胃班、大腸班、
肝胆膵班、胸部班、代謝班に分かれていた。それぞれ
ほとんど独立して活動しており、研究も
独立して行っていた。理解しにくいとは
思うが教授は一人なのだが、大体
助教授が当時2人いて、それに近い
上級の講師が数人いて、それぞれの班の
長をしており、医局の中にさらに医局が
あるような感じであった。
また、班ではないが、一外科の出身者が多い
小児外科や救命センターを
ふくめて、丁稚は、今の新人の医者の
研修の様に(今、前期2年、後期1年の
研修制度でいろいろな科を回って昔の
インターンの様に教育を受ける制度がある)
各班をローテーションして回り
子供から大人まで、首から足先まで
内科的ことから外科的なことまで、
さらに救急まで一応のことを習得する。
よって、われわれの当時は、
今の研修医制度がなくても、それに近い、
ある意味では
それ以上の教育をされていた。

外の大きな病院もふくめて
5~6年をかけて全てを回って
それから研究班として、どれかの
班に所属する様になる。

ちなみに私は、胃班
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投稿者: ryokusei
総回診といえば、
一般の人は、“白い巨塔”の総回診のことを
想像するであろうが、
私のいた当時の総回診はそれを
はるかに上回る大変なものだった。

はっきり言ってこれは大教室の教授であることの
セレモニーの様なものである。

その回診の用意のために
日曜の夕方から教授に見せるフィルム、
カルテの整理、教授に話すために患者さんの
概要や、フイルムを用意する。

そして、月曜の朝に教授回診が始まる。
先にもいった通り大学内だけで7~80人の
医者がいるわけで、テレビで見るより
数倍多い人数での大名行列が始まる。

総計で、一外科だけでも100人近い
入院患者さんがおり、
一番下っ端の丁稚は、7~8人の直接の受け持ち
患者さんがおり、
一人の患者さんを教授にプレゼンテーションをすると
次のもち患者さんまで慌てて移動して
古い大学だったので、3階の主な病棟が
終わると100mほど離れた病棟に行き
(走って)それが終わると10階の
特別室まで行き(階段を走って上がって)
また、他の階の病棟を回って
また逆に100mほど離れた病棟まで
走って行くというありさまで。。。

プレゼンテーションは大抵がすんなり
終わるのだが、教授の意にそわないことを
すれば指導医ともども患者さんの頭越しに
罵倒される。
(回診の後は、指導医に怒られる)
私は結構要領よく進む方であったが、
中には、最初の患者さんから最後の
患者さんまでズーーート
強いお叱りを受ける丁稚もいた。

それはそれは丁稚にとっては戦争の様な
状態でした。
9時から始まり終了が11~12時で
心身ともにへとへとになる。