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December 2017 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
そういうことを考えると
ウイリアム・ワイラーは
さすがに巨匠だとおもった。
ラストシーン。

オードリーが去っていった誰もいない
舞台をしばらく写し
グレゴリーペックは、みんなが去る中
それを眺めている。

それからおもむろにその
舞台をあとにして
歩くラストシーンになるのだが、

ゆっくり画面の左に少し寄って
中央に、オードリーが去っていった
舞台を遠方に写し、
ゆっくりポケットに手を入れながら
余韻を感じさせながら
あるいて
途中で一度振り返り
なにかを振り切る様にまた
歩き出す。
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このラストシーンは、見事であり
日本人の心をがっちりつかんだのでは
なかろうか。

日本人にはこういう余韻を
大切にする文化を持っている
様な気がするのである。
(逆にいえば 未練たらしいのだが)
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投稿者: ryokusei
またまたもう一つ
“レナードの朝”という
医療関係者は必ず見なさいと
言われる様な映画。
名優の最近亡くなった
ロビン・ウイリアムスとロバート・デ・ニーロ
の競演でとても感動的な
名作であった。
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デニーロが特殊な脳炎に
子供のころにかかり、
それ以後ほぼ筋肉が硬直した状態で
意志がなくなってしまった様な,
ほどんど植物状態で30年間
精神病院で入院している。、

その病院に新任の医師である
ロビン・ウイリアムスが赴任してきて
熱心に治療をほどこし、
ある、新薬で、デニーロが一時
正常な状態に戻るというお話で、
(医療関係者としては、あまりにも
極端な脚本に違和感をおぼえるところではあるが)
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その最大の山場は、デニーロが
正常な状態にもどった時、はじめて
恋心をいだいた相手に、
薬がだんだん効かなくなってまた
もとの自由が利かない体と心
にもどることを予期して
自ら別れを告げ、去り行く彼女を
眺める場面なのだが、

彼女が去ってゆく後ろ姿を
病室の金網のついた窓にへばりついて
静かに見送るのだが、
彼女は、少し後ろをふりかえりながら
道をあるいて、、
やがてバスにのる。

私の思いでは、
もう、永遠の別れになるかもしれないのだから
そのバスが出発して、
バスがいなくなったバス停をしばらくなが
めていてほしかったのだが、
デニーロは、バスが出発したらすぐ、
180度回転して
窓からはなれていってしまったのである。

私だけではないと思うのであるが、
日本人は、余韻を味わう
こころを大事にする文化がある。
彼がのった列車が行ってしまった後の
余韻。。
彼女がのったバスがでていった後の
余韻。
それがほしかったのである。


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投稿者: ryokusei
話は、変わるが、
”シェルブールの雨傘“という
1964年のフランスの名作
フランスの大女優
カトリーヌ・ドヌーヴ
を世界的スターにのし上げた
ミュージカルの巨星である。
(見たことがある人は知っているとおもうが、
全編ミュージカル。
つまりセリフも全て歌なのである。)
いま、真剣にみたら少し滑稽かもしれないが、
そういうことをのぞいても
今でもミュージカル映画の3本の指に入る傑作である。
1度見てほしい。
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しかし、一か所だけ、最初に見たときから
どうも許せない場面がある。
それは、前半の山場
恋人が2年の兵役に就く時に
駅のホームで、別れを惜しむ
とても悲しい場面である。

われわれ日本人としては、
彼が乗った列車がホームからはなれ、
列車が米粒の様にちいいさくなるまで
手をふり,
列車が
見えなくなってもしばらく
一人プラットフォームで
彼がのった列車が消えてしまった後の風景を
跡を眺めていてほしいものだが、
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こともあろうに
列車がホームから離れるやいなや
180度方向転換し、
ホームからさってゆくのである。
“おい、おい、彼は、未だ列車の窓から
見ているのではないのか!”

悲しみをそういう風に表現したのかも
しれないが、
どうも私にはこのシーンだけが
うけいれられないのだ。
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投稿者: ryokusei
ここで映画のめちゃくちゃコアな話を1つ

”ローマの休日“という映画をご存じであろう。
誰もが知る巨匠ウイリアム・ワイラーの名作。
オードリーヘップバーンを一躍スターダムにのしあげた
名作中の名作である。
あの淀川長治さんがこよなく愛した映画
である。
(若い人のために、淀川長治氏は
“さよなら、さよなら、さよなら、”
で有名な映画評論家)

この映画は、世界中で愛されているが、
特に日本人のこころに合ったので
はないかと思うのである。
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つづく
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投稿者: ryokusei
今の現代人が、太りやすいのは
今と違い、古代はいつ食べれるか
分からない食糧事情の中で、
食べた時に余分なカロリーを
脂肪として蓄えやすい者が生き残り
その子孫が現代人であるから
脂肪がつきやすいという遺伝子が
生き残り、現代人が太りやすいという
説がある。

何が言いたいかというと

人類の歴史は、戦争の歴史である。
今まで数えきれない戦争の中で
勇敢に戦闘で一番前に突進していた者は死に、
純粋に命令を聞いて突進したものは死に、
家族のためを思って突進したものは死に、
そういう人々は死に
勇敢で、純粋な遺伝子はどんどん
戦争とともに消え去って、

どうにか戦闘を逃れたり、命令を
純粋には受け入れなかったり、
つまり,ずる賢いやつが戦争の歴史の中で生き残り
脈略とその遺伝子がいまの現代人の
血の中に流れ、
そういう 奴らの集団が現代人ではないか
と、ふと思う時がある。

自分のことを考えると
勇敢でもないし
上からの指導には歯向かうし
ずる賢くて計算高いといえば計算高いし
かつ
太りやすい。

まんざらこの説は間違ってないかも。
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投稿者: ryokusei
戦争映画や、歴史ドラマをみて思ったこと。

昔のナポレオン時代の映画を見ていると
戦闘のシーンで弾が飛んでくる中を
整列して行進しながら突入しているシーンを
よく見るが、
私はとても最前列では歩けない。
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戦国時代の戦闘シーンで槍をもって
大勢で突進するシーンがよくあるが
私はとても最前列で突進できない。
恐らく、突進しながら徐々に後ろに
下がっていくことだろう。

塹壕の中から突撃の命令が出て
突撃する。
私は、絶対真っ先には出てゆかない
だろう。

映画やドラマとは言え
これに近いものは実際にあったに違いない。

戦争という異常な場面で
異常な心理が働くのではあろうが、
私は、とても先頭で戦える自信などないし
後方へ下がるチャンスがあれば
絶対後ろに下がったに違いない。
と、いつも思いながら見ていた。

人間の歴史は戦争の歴史である。
文明がなかった時でさえ、
他の部族との殺し合いは
たびたびあったに違いない。

なにがいいたいかというと。。。つづく