パリオリンピック

今、まさにパリで
オリンピックが行われているが、
なぜだろう。
以前ほど
興味がわかないのだ。

これも歳なのだろうか。

64年の東京オリンピックは
さすがに記憶が薄い。
しかし、68年のメキシコ
オリンピックは
食い入る様にみていた。

長く破られなかった
陸上、走り幅跳びの
ビーモン選手の8m90cm
のジャンプは
今でもそれを覚えている。
首を振る独特のフォームのマラソンの
君原の銅メダル。

72年のミュンヘン
森田、横田、猫田、大古の男子バレー
ミュンヘンへの道というテレビ番組まで
あった。、
加藤沢男の体操、田口の水泳

78年のモントリオール
での女子バレーの優勝など

当時は、また学生であったからかも
しれないが、よく見ていた。

しかし、80年のモスクワの
オリンピックのボイコット問題
84年のロサンゼルスオリンピック
も同様で、ボイコット問題。

そこらへんから怪しくなってきて
決定的だったのは
96年のアトランタオリンピックの
商業主義。

なにかそこらから
オリンピックが変な方向へ向いてきた。

それからは商業主義が
前面に出てくる様になって

北京オリンピックをはじめ
その後は、国の威信。
一歩間違えば、
戦前のベルリンオリンピックの
様な国家のプロパガンダ
の大会になりかけている。

今回もそうだが、
プロの出場を許してからというもの
このくそ熱い夏でないと
開催できなくなってもしまった。

巨額の放映権は
この日本でさえすべての映像を
流せない時代になってしまっている。

なにかが変。

競技は増えるし、
その国の事情で
毎回、協議はかわるし、

なにかがおかしい。

(おじさんは、スケボーや
○○、ブレイクダンスにいたっては
点でわからんぞ!!)

私もスポーツを一生懸命
やっていた人間。

スポーツは神格化されているが
決してスポーツマンシップだけでは
できない世界。

もう一度原点に戻って
平和の祭典としてやり直すか、
甲子園の様に
それぞれの競技で
やる場所を固定したら
いかがだろうか。

そしてやはり、
アマチュアだけでやったらどうだろうか

お金にかかわると
人間は卑しくなってしまう。