私は常にアウェイ

先日、大学の同期の
同窓会が開かれたのだが
つい失念して
欠席してしまった。

4年に一度、オリンピックの年に
開かれるのだが、
新型コロナや、忙しさもあって
10年ほど出てなかったので
今年は出席しようと思っていたのだが
半年前ぐらいに打診があったので
出席にしていたが、
なんやかやでつい失念して
しまっていた。

まあ、積極的ではなかったのであるが、、、、
その理由は、、、、、、

私、出身は久留米大学なのだが、
なんで、そんなに遠くへ、、、、
という感じだが、

私、小学校のころからずっと
勉強というものをマジメに
したことが一度もなくて、
初めて勉強したのが
浪人2年目。

浪人2年目で、3浪はヤバいと
思い、一念発起、はじめて勉強を始めた
はなから語学が苦手であったのだが、
(特に古文、漢文)
他の理数系やどういうわけか
社会科は以前より
なんとなく、なにもしないでも
出来ていたのだが、
語学だけは大の苦手で
さすがに1年では
医学部レベルに到達するのは難しく、
共通一次試験、いまでいう
センター試験の点数が足りず
国公立は受からず
国語がない私立は受かったのだ。

受かった大學の中でも久留米大学は
旧医学専門学校で伝統があったので
(あまりいい言い方ではないが
格が上だったので当時は
結構、難しい大学だった)
もう一年浪人する気力もなく
入ったのだ。

おやじが九州帝国大学だったこともあり
福岡には縁もあり
はるばる久留米に行ったのだ。

ここからアウェイの生活が始まる

大学入学当時から
同級生はやはり、久留米、福岡の
進学校出身者が多く同じ出身校
を中心にグループを作っていた。
その中に香川県からは一人、
言葉もぜんぜんちがい
アウェー感がばりばりだったのだが
すぐ、周囲に溶け込む性格なので
直ぐ溶け込んではいったが、、、

九州の生活が約20年ほど
高松に帰ってきたら
ここからまたアウェイの生活が始まる。

医療の中でのアウェイはまた
独特なものがある。
他の病院を紹介したり、
病気、あるいは患者さんのことで
紹介するのに
福岡にいた時は、
周囲に
同級生、先輩、後輩がいたので
苦労しなかったのだが、

高松に帰ってきたらそうはいかない。
いわば孤独の中での仕事が
しらない医療環境の中での仕事が
始まったのである。
医療というのは昔から学閥があり、
周囲は、徳島大学、岡山大学
最近は香川大學出身者が中心で
久留米大学出身者は香川県で20~30人

そんな中で何とか仕事をしていたのだが、
その中で存在感を出すのは大変だったのだが

それから約15年
この上里、坂出に来たのだ
この地がまたアウェイ

なんとも特殊な感じもしたのだが
小さなこの坂出のコミュニティー
ここは、昔からの病院が多く
その先代、2世が
他を入れない雰囲気を醸し出している。

そんなアウェイのなか
厚かましい顔をして
やっているのだが、
これがまた疲れる。。。。。

元にもどって同窓会の話だが、
いまでも同窓生はやっぱり
地元でつながっている。
そんな中、20年以上も
離れていると
同窓会でさえも
またアウェイを感じるのである。