ため口

最近の若い子はどうも
ため口で話す子が増えてきた。

医者と患者という関係でなく
年齢の差もある相手に
ため口はいかなかな。。。。

ため口がひどい子は
その態度もため口同様の子が多い。
これはどういうものだろうか。。。。


むかしから、体育会系で
私の時代の大学、医局、医療社会は、
1年学年が違えば大違いの世界で
育ってきたものだから
(医学部は、学年が上でも年下という
関係が結構多い世界であるが
同じ大学であれば学年
他の大学であれば卒業年度が
上下関係を決める)

日本語は、尊敬語、丁寧語、謙譲語と
いろいろあるが、
決して日本語だけではない。
英語もそれなりに
尊敬語は存在するのだ。

イギリス英語等は、
もっと悪いことに
社会階層で、いまでも言葉が
違うのである。

私の勝手な考察ではあるが、
どうして、こういう尊敬語が存在
するかといえば
人間は、集団で協力して
はじめて生活できる動物である。
動物も進化するにあたりだんだん
大きな集団を形成して生活できる様になってきている。

つまり、知能が発達するにしたがって
群れを形成し、それぞれが
群れのなかで役目をもって
共同で生活する
様になってきた。
(さすがに集団が大きくなりすぎて
人間の知能ではコントロールできなくなって
来ているが)

どうしても集団をうまく運営して
行くにはどうしてもヒエラルキーが
必用になってきてしまう。
(たとえば、数十二人程度の会社では
どうにかなるかもしれないが、
数百人単位になるとやはり課長、部長
係長という役職が必ようになってくるし
社会でも首相、県知事、市長が必要に
なってくる)
いらないとおもうかもしれないが、
集団ができれば、人が2人いれば
リーダー的人間が出現しなければ
物事がうまく進まなくなってしまう。

そこで、動物はかみつき合ったり
傷つけあったりして
上下を決めているのだが、

そこは、さすがに言語を発明した
人間は、その言語で上下を決めている。

それにより集団の生活を
スムーズに進行させていっている
のだ。

そうすれば集団運営が
良好に行っていけるからだ。

人間は、動物である
動物が、集団生活を営むには
どうしても集団での自分の位置の確率が
必用になってくる。



今の子たちは、集団生活が
非常に苦手になってきている。
おそらく、集団生活がなくても
一人で生きていけると勘違いしている様な気がする。
人間間の関係の構築ができなくなってきている
様な気がする。
他人の気持ちを汲めない
若者が増えてきている気がする。

しかし、以前よりハッキリするのは
髪の色をそめたり、
ちょい悪の髪型、カッコをしたり
そういう態度をとったり
入れ墨をいれたりして
(これらは原始社会で上下を決める
やり方)
自分の優位性を周囲に保とうとしている
つまり表現が下手になってきている
様な気がする。

人とのかかわりを商売にしている
人ならわかるだろうが、
商売していても人間は人間
医者も人間。
人を相手にして好感度を持てる人には
やさしく接するであろうし、
医者もしらずしらずのうちに
念をいれて診る様になってしまう。


自分でいうのもなんだが、
私、外見に見合わず、
物を店で買う時は
妙に腰が低い。
病院で患者さんとの経験が
どうしてもそうしてしまうのかもしれない。