とうちゃこ

毎週日曜日にこのブログを掲載する
日曜の朝、NHKのBSで
火野正平の“にっぽん縦断 こころ旅”
という番組があって
よく見ている。

視聴者のさまざまな思い出の
場所を自転車で訪問して
思い出の手紙をよんで語るという
単純といえば単純な番組であるのに
それが10年以上も続いている。

“とうちゃこ”というのは
その場所についたときの
ことば

我々の世代では、
火野正平といえば
数々の女性遍歴が
語られる、浮世を生きてきた
様な印象で、
NHKにでれるの???
っていう印象しかない。

番組の視聴者の手紙のなかでも
”握手をしたら妊娠してしまうような
正平さんの様な人ではなく、、、、、“
という文章が出てくるぐらいの
印象しかない俳優なのである。

でも番組の中での
火野正平は、とても味があって
いい空気を漂わせているのだ。
昔の印象なぞ
軽くどこかにふっとんでしまう
背中があるのだ。


人間、それまでの人生経験が
味をだしているのか
それを感じさせる一人だ。

おもってみれば
決して2枚目でもないのに
あれだけ女性にもてたというのも
どこかにそれだけの魅力を
持っていたともいえるし、

あれだけ問題をおこしても
芸能界で生き続けているというのも
どこかにその人間性があったのかも
しれない。
いろいろ艱難辛苦をのりこえて
来た人間には
独特の味があるような気がする。


考えてみても
典型的な2枚目のアイドルとして
登場した芸能人が
そのまますんなり
人気をもったまま
生き抜いているのを
あまり見たことがない。

としをとって何か
背中に漂わせないと
人間性に厚みを感じず
消えて行っている気がする。

見た目のカッコよさは
すぐピークを過ぎてしまうのだから。


社会の中では
人は見た目が一番というのも事実だが
見た目の中にはそのオーラが
一つの要素となっている
のも間違いない。


(怒る人もいるかもしれないが
おしさんは、木村○○がどうしても
好きになれない。
アイドル時代から
いまにいたるまで
周囲につくられたものが
そのまま今でものこっていて
魅力を感じない)
(むしろ他のメンバーの方に
魅力を感じてしまう)


自分の背中は見えないが
人は
私の背中が
どう見えているのだろう??

としをとって
おじさんは
時々そんなことを思うのです。