前回、臨終の話をしたのだが

臨終の場にはいろいろ
思い出があるものだが、

30代後半の時、
40代半ばの癌の末期の人を
看取ったことがあるのだが
最後の方は、麻薬をつかっていた
こともあり、
ほとんど、ぼんやり寝ていることが
多かったのだが、
ある日の朝、その患者さんが
私を呼んでいるというので
病室にいったら
意識が朦朧としていたその患者さんが
ぱっと目を見開いて
私の肩をゆすって

ありがとう、ありがとう

といって、それ以後また、意識が朦朧として
その午後になくなったことがある。

また、30代で若い女の人が
癌でなくなったときは
小さな子供が

おかあさん、おかあさん

といって泣きついていたのを見て
せつなかった思い出がある。

そんな時は、本当に自分の無力さ、
医学の無力さを感じたものである。


あと、若い時に
夜中に亡くなった方の家族が
数人。しばらく、家族だけにしてもらえますか
といわれて
しばらくしたら
大きな声でみんなでお経をあげられて
静まり返った夜の病棟中に
お経の声が鳴り響いて
困惑した思い出もある。

東京の病院なんかでは、
入院してから亡くなるまで
身寄りを探してもいなくて
(警察にしらべてもらっても)
淋しくなくなった
症例が何例もあった。

そんな、いろいろな臨終の場を経験してきたのだが、

時折、
識者らしき人が

病気は平等だと

いうことを聞くことがあるが
決して私はそうは思わない。

いろいろ健康のために
酒もたばこもしないで
運動もしている人が
病気になったり
また、
逆の例も多々経験する。

あるとき、
ベンツにのって自宅の門に
自損事故でつっこんで
(土地成金の人)
腸に穴があいて緊急手術して
腸を何か所か切除した人が
術後は、そのおかげで
栄養の吸収が落ちて
糖尿、高血圧、高脂血症が
なおった人がいた。
入院中は特別室で、
飲み屋のお姉ちゃんは見舞いに来るは
入院中に、廃車になったベンツを
買い替えるために
ベンツのカタログをみるは
とんでもない奴もいた。

そんな、いろいろな
人間模様を経験してきたが、
せめて、医療だけは
平等であってほしいと
マジメに考えるのです。