御臨終です

職業柄というか
医者の中でも
そういう臨床の場にたつことが
多い科を渡り歩いてきたので
“御臨終です”という場面に立つことが
比較的多い医者の一人である。

昔ながらの医者であるので、
自分の患者は自分が見るという
考えが強く、
特にいままで自分が担当した患者さん
で、自分で看取ったことのない人は
この長い医者の人生のなかで
2度だけである。
(遠くに学会に行っていた時に
急変した)

基本、
患者さんがなくなったら
いつでも駆け付けるスタイルを
貫いているので、

まあ、状態が悪い患者さんがいると
日曜日でも家の周囲から離れれない。
そして、重症の患者さんを
持っていた時なぞは、急変に備えて
夜なんか
いつでも家を出れるように
寝床の近くから
準にズボンや上着を
準において置いたりする。

今は、医療というより
高齢者の看取りが多くなったので
そこまではなかなかしないが、
それはそれで、全身状態が悪化すると
いつなくなるか
分からないので
臨終がのびればのびるほど
夜や、日曜日は気が休まらない。
夜中に亡くなっても
朝までそのままの状態で
置いておく施設もあるが、私はどうも
賛同できない。

こんなことができるのも
基本、私が酒を飲まないからで、
家で晩酌をする様な医者は、
そういうことはできないと思う。
(酒を飲む人が多い九州で医者をやっていた
もので、酒を飲まないという
理由で、医者になってからすぐから、
生涯の急患係が決定!)

そんな厳粛な臨終の場でも
長くやっていたら
憲淑な場であるからこそ
いろいろエピソードもある。


若い時、自分の上司の患者さんが
夜、急変して
上司を読んだら
べろべろに酔っぱらって
やってきて
患者さんの家族に
“もう、だめです”といって
寝込んだことがある。
あわてて私がかわって処置をして
臨終まで私がみとったことがある。


そして臨終の時の
最後の一言
“O時O分”おなくなりになりました
ということばがいるのだが、

いそいで駆け付けるもので、
時計をつけわすれてくることがある。
皆、最近は、一般的に
スマホで時間を確認することが多くて
だれも時計をしていないことが多く、

いざ借りようと思っても、周囲にだれも時計を
持っていなかったりすることが
多々ある。

どうしようもなくて
看護師の女性用の時計で
臨終時間を言ったこともあるし、
一度なんかは、
最終的に病室にあった患者さんの置時計で
臨終時間をいったこともある。

(さすがにスマホで時間をいうのは
さまにならないのでできない!)


あとは、セレモニーの様におこなう
眼での神経反射の確認
(最近はあまりしないが)
ペンライトで、瞳孔をみるのだが、
私、大体、ペンライトどころか
聴診器やボールペンさえ
あまり携帯しない人だから
臨終の場でペンライトなんぞ
出せない。

看護師が普通もってくるのであるが
あるとき、誰も持ってきていなくて
周囲にだれか持っていないかと
催促したら
ディズニーのキャラクターの
ドナルドダックがついた
ペンライトが裏から
ひっそりと差し出された
ことがある。

これはまずいと思ったが、
どうしようもなかったので
ドナルドダックの所を
しっかり握って
見えないようにして反射をみたことがある。



臨終の場というのは
いくらやっても
嫌なもので、
昔では、医学の限界の無力感、
今は、老衰の方を看取ることが多いので
人生の虚無感を感じて
しまうものなのです。。。。