変な映画の見方。。。。


時々映画やドラマを見ていたら
ふと、変な世界にはいってしまうことがある。

時代劇で主人公が、
ばった、バッタと、
片っ端から悪人の家来を切って行くのを見ると

ひょっとして今切られてしまった
侍は、
実は、いい人で、
長い間、浪人生活が続き
貧乏な生活をしていたら
やっと士官の道ができて
家来になったところが、
そこの仕えた殿様が悪人で、
しかし、自分の家族を養うために
そうと分かっていながら、
いやいや家来でいたところに
主人公にきられてしまった
実は苦労人のいい人ではないか。。。。

スタローンや、シュワルツネッガーに
虫けらの様に殺されている
平の兵隊は、
実は、マジメで、誠実な性格で、
年老いた両親を養うために
軍隊に入り、
マジメでだまされやすい、直な人で
悪人の将軍にだまされて
自分はいいことをしていると思いながら
兵隊として、誠実にはたらいている
所へ、主人公がやってきて
虫けらの様に殺されたのではないか。。。。。
(今の若い徴兵されたロシア兵も??)

主人公を光らせるためには
その他の人間は、どんなにいい人でも
虫けらの様に死ななければいけないんだ。。。。。。
なんて、変な考えというか
変な空想をすることがある。



人間は、だれしも主人公であり、
生きている限りは
その人にとっては
周りがわき役である。

しかし、わき役はわき役で、それぞれにとっては
主人公なのである。

映画やドラマでは
その、登場人物の一人一人を
詳しく描くことができないが、
実生活はそうはいけない。

それぞれ、主人公たる人々が
自分の周りにわき役として
存在しているのだ。

ちょっとニアンスは違うが、
ウクライナや、知床での事故を聞いて
悲しみ、心が痛むのは
それぞれ亡くなった人にそれぞれの人生が
あったであろうことを想像するからである。


マジメな話になってしまうが、

誰かが輝いて見えるとき
誰かが、映画の主人公の様に
キラメイテいる時には
必ず、そのわき役がいて、
その主人公を輝かすために
切られたり、打たれてりしている
やつが必ずいる

。。。。。。なんて変な空想を抱くときがある。