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November 2021 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
当院は、患者さんの年齢層が高い
こともあって、毎日、毎日
睡眠薬をだしてくれという
要望が多い。

私、寝ることにかけては病的で
ま、、、、、寝付けないことがなかなかない。

子供のころこそ
遠足や運動家の前の晩は興奮して寝つきが
悪かったり、
大學の頃であれば
試合の前日には次の日の試合のことが
頭に受かんで寝付けなかったことがあるが、
今はほとんどそういうこともない。
(昼間、チョー頭にきてムカムカして
布団の中に入るときは別だが、、、)
それどころか、最近は
つかれて床に入る前に
机で寝落ちしてしまうことが度々ある。

睡眠障害には
入眠障害(寝付けない)
中途覚醒(途中で目がさめる)
早期覚醒(早く目がさめる)
熟眠障害(深い眠りができない)
がある。

入眠障害の人は、結構定時に
床に入る人が多い。
人間、いくら毎日同じ行動をしても
眠い日と眠くない日があるわけで、
同じ時間に布団に入ると
眠気がないのに布団に入ることになって
それ自体、眠れないという行為に対して
焦りがでて眠れないという意識が強くなる。
これが、頻回につづくと
条件反射が形成されて
(梅干しを見ただけでつばがでてくるというやつ)
布団に入る行為=眠れないという
意識になってしまうらしい。
もともと夜型の人を早く寝させること自体が
むづかしい。

睡眠薬もテレビに出てくる様に
直ぐねむるほど強い物は珍しく
基本、眠気が来ないと効かない。
多くは、精神依存性で、
飲んだら眠る、飲んだら眠るを続けているうちに
飲まなければ寝れないと変わってくる人が多い。
とにかく、時間を決めて床にはいらないこと
眠気がなければ基本、起きていることが大事。
(スマホ、パソコンなんかをしたら
余計にねむれないが)
(私の最大の睡眠薬は英語の論文を
読むこと。。。一行で寝てしまう)

中途覚醒は高齢者に多く
尿回数が増えて尿意で
目が覚めてしまう。
それでトイレに行くとその行為で
完全に目が覚めてしまう。
(アルコールを夜飲む人にも多い
アルコールには利尿作用がありますので)
アルコールをさけて電気をつけて
寝るなど外部からの刺激をできるだけ
遮断する。)

早期覚醒も高齢者に多く
大体、よく聞くのが
9時頃寝て3時に目が覚めて
それから寝られないという風なことを
よく聞く。
(特に高齢者はすることがないので
早く床に入るという人が多い。)
大体、高齢者は必要とする睡眠時間が
すでに6時間を切っていることが多く
早く寝ると早くおきても仕方がいことが多い。
そういう人は寝る時間を遅くすることを勧めている。

熟眠障害は、基本的に昼間につかれるほど
活動していない人が多い。
(肉体的にも精神的にも)
また、寝酒をする人は、
寝入ることはできても
(眠くなるほと飲むという事は結構な量)
熟眠障害が来やすい。
睡眠のリズムがアルコールでくずれて
回復するのに1っか月ほと断酒しなければいけないと
言われている。

また、昼寝は1時間以内では
した方がよいといわれている。
スペインなどは、昼寝の習慣が
いまでもあるぐらいである。
しかし、1時間以上なると夜なられなくなる。

とかく、現代人は、朝、起きて日光を
十分浴びることもなく、
夜間に光度の高い電気の下で生活し
最近は、寝る前までスマホにかじりついている
人が多い。
これでは睡眠障害がふえるばかりなのである。
とはいえ、仕事をしている人間は、
夜更かししたり、朝寝坊することはできない。

今、私、
5時30分に起きていて
慢性の睡眠不足で
このコロナ渦で仕事もふえて
年齢も重ね、
疲れやすくなり、
このブログを書きながらも
2度ほど寝落ちしている。
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投稿者: ryokusei
背伸びの時代

去年も話題にしたのだが、
おじさんは、やっぱりこの季節になると
頭の中に山下達郎のクリスマスイブの音楽と
JR東海のクリスマスエキスプレスの
画像が頭に浮かんでしまう。

思えば、思い切り皆が背伸びしていた時代
60年代から高度経済成長が始まり
日本が急成長をはじめ
70年代社会の成長が鈍りはじめたのに
それがわからず日本人は、
自分自身をどんどん背伸びさせてしまう
80年代には社会の成長の鈍化にもかかわらず
自分自身の見栄をはって背伸びしすぎてしまい
90年代はその矛盾から
社会も人間もバブルが崩壊してしまう。

幸か不幸か
60年生まれの私はそのど真ん中で
生まれ育ち、青春時代から
意気盛んな時代をすごしてしまった。

あのJRの宣伝からわかる様に
みんな見栄をはって
着飾って無理しながら生きていた。

でも、それが楽しく、なつかしい。
昔を懐かしむなんて
なんと、じじいか。

そういえばJRの宣伝、
今の人達には当時の雰囲気が決して
伝わらないと思う。
なぜなら、当時は、携帯電話がなかったのだから。。。

今は、遠く離れていても
携帯やメールで常にリアルタイムで
連絡を取り合えるし、
スマホで、リアルタイムで
顔をみながら会話もできる。
つまり、当時の距離感、
会えることの感動は
今とは比べ物にならないから。

医者になってしばらくすると
ポケットベルを持たされて
ベルがなると、あわてて
電話を探して病院に電話するという
状態で、なんだか病院に鎖を付けられた
感があり、いやな気がしたもんだ。
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また、特に当時、東京では公衆電話が
いつも長蛇の列だったので
電話するのが大変だったし、
田舎の病院では公衆電話が
周囲になくて
どちらもあわてて病院にかえった
覚えがある。

個人でポケベルを持っていた時は
最初は、ベルがなるだけで
病院にかけて違ったら
家にかけるという手間もあった。

それからしばらくして
電話番号がでたり
数字が入る様になって
数字を入れることになって
暗号化してどこからかかってくるか
分かる様になった。
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それから数字がたくさん入れれる
様になって、ちまたでは、
数字で会話をするのが流行った
(たとえば14106=愛してる
の様な感じで)

それからすぐにカナが入れれるようになり
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それから一機に、携帯電話に駆逐される。
それと共に次第に
病院や家にどんどん
がんじがらめになってしまった。

そんなことを考えると
便利な反面
なにかをなくしていいっているようで
寂しい。。。。
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投稿者: ryokusei
口がこえるのは怖いこと

顔に似合わず甘党のわたし。
今、コンビニのスイーツは
どう考えても
そんじょそこらのケーキ屋よりおいしい。
(関係者の方はすいません)
以前に比べれば格段の差がある
(洋物はいいが、和はいまいちか?)

特にロー〇ンのスイーツは他の
コンビニより一段抜けている様な気がする。

坂出では、か〇どのケーキが
今でも町の本流だが、
それより。。。。。。。。。。


そういえば、
昔、高松でケーキといえば春風堂。
いまでは、小さなパン屋さんになっているが
子供のころには結構店舗があって、
ケーキといえば春風堂だった。

ケーキ自体が高級品であった当時
春風堂のケーキを食べることは
特別な日であった。
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ネットで見つけた春風堂の包装紙


今の高松でいえばルー〇なのであるが、
それも今では、老舗となって
以前ほどのネームバリューはなくなってきている
気がする。

結局人間、口が肥えるのと
味に飽きがでてしまうのだ。

特に讃岐人は、
新しもの好きなのだが
飽きやすい(田舎人の特徴?)

私の私見ではあるが、
スイーツの味ももうすでに頂点に
達しており、その店の人気は、味に飽きられる
かどうかで収束するのではないかと
思っている。

そういえば、サティーに20年ぐらい前に
新しくシュークリーム店がはいって
いつも行列ができていたが、
3か月後には行列がなくなり
1年もたたずに店をしまった。

ゆめタウンでも
パブ〇という店が出店して
2~3か月は行列ができていたが、
今は店舗縮小
最近では南新町に
メロンパンの店ができて
行列がすぐなくなって
今は閉店。
タピオカの店も一機に出店して
今は、ある???
(パン屋さんはまだつづいているが。。)
(流行を狙ってちょっとヤバ目の人達が
儲けを狙って一時的に出すこともあるので
ご注意を)

そういえば、
コンビニ自体も、サンクスや、ポプラはどこに行ったのだろう

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東京でよく見ていたampmは今いずこ?

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今の社会はSNSの発達で
若者を中心に情報伝達がはやく
それにつれて盛衰もはやい。

昔、店の宣伝をするなら
人をやとって銭湯で大きな声で
“あの店はいい”としゃべってもらったり、
町のいわゆるスピーカーといわれる
おばちゃんに
いわゆるスピーカーになってもらったり
する宣伝方法があったが、
いまではSNSにかなわない。

今後も栄枯盛衰は激しさをますのだろう。

それにしても
子供のころにみた
ちいさな店のガラスケースの中にならんでいた
様なケーキがなつかしく
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時々たべたくなったりする。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
先日、朝、衣料品店のウインドを
開店前にのぞいていたら、

若い帽子を横にかぶった店員の
おにいちゃんが掃除をしながら

“接客はできんけど、見るだけなら見て行って
いいよ”っていわれた。
ん。。。。。。。。

日本は、“おもてなし”の文化というが
今は死語??
大体、“おもてなし”というのは、
来た人を歓迎し、接待するということ
つまり相手の気持ちを考慮して
相手をいい気持ちにさせて、歓迎の意をみせるということ。

これは私の独断ではあるが、

日本は、おそらく、小さな島国で、
人口密度も高く、なかなか、海の向こうからの
大きな外敵とたたかうこともなく
歴史と積み重ねていったため、
集団を温和に維持し、内輪もめ、をおこさないことを
主眼として生活してきたと思われる。

そこで言葉は、敬語が発達し、
おもてなしという単なる接待とは違う
文化が発達したのだろう。

それだからか、妙に他人の目を気にする。
自分のことを、他人はどう見ているだろうか
ということを考えがちで
国家でさえ、日本がしていることに対して
外国はどう見ているのかを気にしすぎる
気にする。
大陸国家の大国中国はその真反対
中国は、さすがだと思うところは
自分のやっていることを他国が批判すれば
他国が悪いと公然ということ。
少しは、日本もみならうべきなのか???

話は、変わるが
私、基本的にレジ袋の有料化には
最初から反対で、
〇泉さんのパフォーマンスに
近いものだと思っている。

だいたい本末転倒で、レジ袋を有料にする前に
高価でも環境に適合したものに
変えるとか、するのが先であり
思い付きをコロナ渦で強行した上に
この選挙では自画自賛している。
やっぱり世間知らずのお坊ちゃまという気がする。

それよりなにより
失ったものの方が大きい

レジ袋がなくなったためかどうかは
わからないが、
レジでの対応さえ悪くなった様な気がする。
ちょっとした心づかいが減った様な気がする。。
自動レジの導入もあいまって
すくなくとも店員と客との接点がへって
おもてなしどころか
人と人とのぬくもりが減ってしまった。

香川県唯一の〇越デパートでも
以前なら小さな袋をいくつも抱えていたら
すかさず大きな袋に入れ替えてくれたのだが
売り場で袋を要求すると
いちいち“有料です”といわれるは
受け付で袋を要求すると
もちものを“当店で購入したものですか”
と聞かれるは
これにはまいった。
デパートでさえもう
おもてなしどころか気遣いさえ
できなくなっているのだ。

結局、ほとんどビニール袋の
減少にはつながらなかったのだが
〇泉さんは
“国民への啓蒙にはなった”と言い張っていた。
しかし、
人と人とのつながりという
絶対に失ったものの方が大きい様な気がする

それにしても
“おもてなし”の文化は
もともと幻想の様な気がするが、、、