話は、変わるが、
”シェルブールの雨傘“という
1964年のフランスの名作
フランスの大女優
カトリーヌ・ドヌーヴ
を世界的スターにのし上げた
ミュージカルの巨星である。
(見たことがある人は知っているとおもうが、
全編ミュージカル。
つまりセリフも全て歌なのである。)
いま、真剣にみたら少し滑稽かもしれないが、
そういうことをのぞいても
今でもミュージカル映画の3本の指に入る傑作である。
1度見てほしい。
しかし、一か所だけ、最初に見たときから
どうも許せない場面がある。
それは、前半の山場
恋人が2年の兵役に就く時に
駅のホームで、別れを惜しむ
とても悲しい場面である。
われわれ日本人としては、
彼が乗った列車がホームからはなれ、
列車が米粒の様にちいいさくなるまで
手をふり,
列車が
見えなくなってもしばらく
一人プラットフォームで
彼がのった列車が消えてしまった後の風景を
跡を眺めていてほしいものだが、
こともあろうに
列車がホームから離れるやいなや
180度方向転換し、
ホームからさってゆくのである。
“おい、おい、彼は、未だ列車の窓から
見ているのではないのか!”
悲しみをそういう風に表現したのかも
しれないが、
どうも私にはこのシーンだけが
うけいれられないのだ。
”シェルブールの雨傘“という
1964年のフランスの名作
フランスの大女優
カトリーヌ・ドヌーヴ
を世界的スターにのし上げた
ミュージカルの巨星である。
(見たことがある人は知っているとおもうが、
全編ミュージカル。
つまりセリフも全て歌なのである。)
いま、真剣にみたら少し滑稽かもしれないが、
そういうことをのぞいても
今でもミュージカル映画の3本の指に入る傑作である。
1度見てほしい。
しかし、一か所だけ、最初に見たときから
どうも許せない場面がある。
それは、前半の山場
恋人が2年の兵役に就く時に
駅のホームで、別れを惜しむ
とても悲しい場面である。
われわれ日本人としては、
彼が乗った列車がホームからはなれ、
列車が米粒の様にちいいさくなるまで
手をふり,
列車が
見えなくなってもしばらく
一人プラットフォームで
彼がのった列車が消えてしまった後の風景を
跡を眺めていてほしいものだが、
こともあろうに
列車がホームから離れるやいなや
180度方向転換し、
ホームからさってゆくのである。
“おい、おい、彼は、未だ列車の窓から
見ているのではないのか!”
悲しみをそういう風に表現したのかも
しれないが、
どうも私にはこのシーンだけが
うけいれられないのだ。