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September 2017 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
そのおっちゃんは、
94歳の今でもバリバリ現役の
農家である。
前から、この人は仕事を辞めたら
終わるなと思うほどの人である。

日頃は、結構いい加減なところ
があり、当院でもちゃっかり
ナースのお尻を触って帰るおっちゃんである。

今でも牛の世話をしており、
つい最近も子牛を買い付けていた。
(子牛を買って、数年かけて
大きくしてから売るのである。)
当然、大きくなるときは
おっちゃんも100歳近い。
自分でも牛が大きくなるまで
生きとるかどうかわからんと言いながらも

“ずっと生きとると思わんかったら
生きて行けんわ。。wahahahaha
!“
と言い放って帰った。

おっちゃんは、戦時中に
海軍で特攻兵器の訓練をしていて
同僚も何人かは戦死したらしい。
そんな若い時代を過ごして、
戦後ずっと農家をしてきた
苦労人のことばは、
いつものいい加減さと
対照的で、何とも言えない重さがあった。

その言葉に救われて
やや持ち直して、
今日も仕事をしているのです。
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投稿者: ryokusei
94歳のいつもはいい加減の
おっちゃんの言葉

去年の9月9日に
久米川病院で一緒に働いていた、
整形のDrが52歳で急死して
丁度一年になる。
また、今年は、久留米大学の
先輩(私と同い年)が
急死した。

そんなことをかんがえていると
私もいつなんどき死ぬか
分からないと考える様になって
今、何をするべきなのか
どう生きていけばいいのか
ということを
悩まずにはいられなくなって
しまった。

結構、現在の仕事は、キツイものがあり、
毎日24時間のほとんどを睡眠時間
を削って仕事しているし、

休みの日は、疲れて家のことを
したら、ほとんど疲れて動けない
状態で、毎日、結構大変で、
本当の意味での余暇もないし
はっきりいって、楽しいことなそ
何もないといっていいかもしれない。

いつ死ぬかわからないのに
これでいいのだろうか。
と悩む日々が続いていた。

そんななか、
94歳のいつもはいい加減な
おっちゃんの一言は
流石、94年苦労して
生きて来ただけのかなり重い
一言であった。
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投稿者: ryokusei
終戦記念日 スピンオフ1 おぼっちゃまというと

先に述べたように、今の世を動かしているのは
おぼっちゃまなのだが、

近頃
プレミアム フライデーという
わけのわからないことを普及させ様と
していた様で、
テレビで現職の大臣たちが、
月末の金曜日の15時からの
“カネの使い方の見本”といわんばかり
に何かしていた画像が流れた。

それを見てほとんどの人が
テレビに向かって
“これで大丈夫?”って言ったに違いない。

これが今の政治家の感覚なのか??
(あるいはこれを考えた官僚たち)
この人達は、本気でこれを推し進めようとしているのか
みんな、なんとも頼りなく、幼稚で、
ひ弱に感じたに違いない。

だれが、こんなバカなことが出来る
余裕があると思っているのだか。

この人達の周囲の人間は、これが当たり前なの
かもしれないが、
大多数の国民は、生き抜いていることに
精一杯であり、
大多数の国民との現状とのギャップは
永遠に埋まらないと感じた瞬間
なのではないだろうか。

また、大臣の一人は下記のような
趣旨のこともいっていた。

プレミアム フライデーには
ちょっとはり込んで
すこし高いフランス料理などを

馬鹿か!!!!!
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投稿者: ryokusei
今の日本は、だれが否定しようとも
この戦前、戦中派の
人たちが作り上げてきたことを
忘れてはいないだろうか

過労や残業などという言葉
自体がほとんど存在しない
労働が、今の日本を作り上げてきた
ことを忘れてはいないだろうか

戦後焼野原から驚異的な復興をとげ、
高度経済成長をさせ、
日本を一躍、世界に復帰させたのは
この人達であることを忘れては
いないだろうか

この人達が作った日本の
負の遺産が、バブルからの日本経済の
停滞を招いたことになっているが、
そうだろうか、

実は、バブルは、次の世代が
高度経済成長の時の
躍進にのって、努力しないでも
そのままの
調子で行けると錯覚して、、受け継いで
それがバブルではじけ、

そのまた次の世代が
(さらにひ弱になった世代)
その状態から抜け出せないのでは
ないだろうか。

りっぱなじいちゃんが作り上げた会社を
父ちゃんがその遺産を食いつぶし
おぼっちゃまの孫は
策がないまま引き継いで
会社が倒産寸前なのに
どうしようもできない。
それが今の日本の様な気がする。