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July 2017 の投稿一覧です。
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投稿者: ryokusei
今年も高校野球がまっさかりである。
県大会が中継され、高校球児はこの期間は、
一躍ヒーローである。

甲子園ともなれば、大応援団が学校をあげて
大挙して甲子園までくりだす。
いろいろなドラマがあり、
熱い夏が過ぎてゆく。。。。。。。

というのが夏の風物詩であるが、
偏屈な私は、そう素直にはなれないのである。

私は、高校時代には運動はしていなかったのだが、
中学3年間と大学6年間は、軟式庭球を
馬鹿みたいにやっていた。

他のスポーツをやっていた者にとって、
あの野球に対する全国民の“えこひいき”は
許せないのである。

もし、香川県に何か、たとえば軟式テニスの全国1の
選手がいたとしても(実際、尽誠高校の軟式テニス部
は、常にトップクラスである)
だれも知らないし、ヒーローにはなれない。

どこかの高校のレスリング部が全国大会にでても
遠いところまで大量のバスで
全校あげて応援に行くことはない。

また、もし、ハンドボールで強い高校があったとしても
全国中継どころか、地方でも中継なぞない。

こんなえこひいきがあっていいのだろうか。

と、思う私は、ひねくれ者?なのである。
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投稿者: ryokusei
言葉と言えば4

余談3

最後に方言の余談

高松に帰ってきて、
患者さんと話していて一番
理解できなかった言葉は、、、、

:このお薬は1日おきに飲んでください
患者さん:ひしてがいに飲んだらいいんやね
:??????
患者さん:ひしてがいやね
:?????
私(ナースに):何ていったん?
ナース:ひしてがい、一日おきのことですよ
私:納得
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投稿者: ryokusei
言葉といえば3

方言の話をしたのは、
実は、

40近くになって高松にもどってきたのだが、
その時、高松で感じた印象が、
いやにみんながなれなれしい。
店の店員でも、年下にもかかわれず
なれなれしい。という感触がした。
それがどうしてかその時はわからなかった。

ある日、九州から帰ってきてすぐ、
病院の医局にいたとき
“○○先生はいますか”という電話がかかってきて
なんと言って返事をするか戸惑ってしまった。

“いらっしゃいません”と言うには
なんとも、かた苦しい。

九州の言葉(方言)では、
おんしゃれん”
“おんなはらん”
“おりんしゃれん”

等等、いろいろ敬語の言い方があるのに
讃岐の方言は敬語がないので
なんといっていいか戸惑ったのだ。

その時、讃岐に帰ってきたらみんなの言葉
がなれなれしい理由がわかったのだ。

讃岐弁は基本、敬語がない。
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投稿者: ryokusei
言葉といえば2

余談ではあるが、

九州の人間は、どういうわけか関西弁を苦手としている
私は、高松生まれで、子供の時は、ほとんど
関西系のラジオで育っていたので特に違和感を
感じていなかったのだが、
福岡の言葉をマスターするにつれ関西系の言葉
が耳についてきた。
(今は、また、もとに戻っている)
それがまことに不思議であった。

余談の2

九州にいる時は、讃岐の言葉をほとんど話さなく
なっていたのだが
水がこぼれた時に“まけた”という言葉
を、つい口にすることがあって、
九州の人間に非常に不思議がられていたこと
を思い出す。
“おれはお前と勝負しとらん”と。
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投稿者: ryokusei
言葉といえば

私は、高校を出てからほぼ20年間福岡県で
過ごしていたのだが、その間に日常の会話は
ほとんど福岡の言葉で話していた。
福岡県といっても香川県とちがって広く、
結構その地方での言葉がかなりちがう。

また、予備校、大学、病院と、九州を中心と
していろいろな地方の人たちが、集まってきていた
ので、いろいろな言葉が飛び交っていた。

始めて、九州に行った時、博多の人間同士が
話ているのを聞いていて全く何をいっているの
かがわからなかった。(私に対しては、はじめは
みんな九州なまりの標準語をしゃべっていた)

しかし、私の特技?で、結構その地方で過ごすとすぐ
そこの言葉を吸収して話す様になっていた。
(ただし、1年間東京で住んでいたが
、全く話せなかった
また、英語に至っては、何年たっても話せない)

大体、福岡県の人間は、その話し方で
福岡のどの地方の出身かがわかるのだが、
私の言葉は、勤めた病院の関係もあり、
博多、筑後、筑豊、大牟田等々、いろいろな
地方の言葉が合わさっており、
福岡のどこの地方出身かをよく尋ねられた。