前回水戸黄門の話を書いたのだが、実は、まったく
別の話を書く予定であったのです。。。。
大きな病院には、地域連携室というのがあり、
平たくいえば、周囲の病院と病院との間をとり
なす部署で、患者さんの紹介をするときは、先ず
この部署に電話する。
先ごろこの部署に電話したところ
“はい、○○病院、地域連携室の
○○で~~す。”という答えが返ってきた。
地域連携室に電話をするときというのは。
結構、医者としても他の病院に電話するというのは
命のやり取りとまでは言わないものの、ある程度
切羽詰まっていることが多く、
“○○で~~す”と言われたときは
少々半ギレになって、
先ず、説教をしてしまった。
最近若い人達とはなすと
よく、話の途中で謝るときに
“ごめんなさい”といわれる。
“ごめんなさい”という日本語は実をいうと厳格な
意味でいうと謝りの言葉ではない。
特に私以上の年代では、目上のものが目下の者に
“ちょっとごめんよ”と言うような感触がある。
そういう言葉を若いものに平気で使われる。
日常生活でいわれるのには我慢もするが、
物を売りこみに来ていたり、真剣な会話の途中で
いわれると
つい “イラっと”来てしまう。
別の話を書く予定であったのです。。。。
大きな病院には、地域連携室というのがあり、
平たくいえば、周囲の病院と病院との間をとり
なす部署で、患者さんの紹介をするときは、先ず
この部署に電話する。
先ごろこの部署に電話したところ
“はい、○○病院、地域連携室の
○○で~~す。”という答えが返ってきた。
地域連携室に電話をするときというのは。
結構、医者としても他の病院に電話するというのは
命のやり取りとまでは言わないものの、ある程度
切羽詰まっていることが多く、
“○○で~~す”と言われたときは
少々半ギレになって、
先ず、説教をしてしまった。
最近若い人達とはなすと
よく、話の途中で謝るときに
“ごめんなさい”といわれる。
“ごめんなさい”という日本語は実をいうと厳格な
意味でいうと謝りの言葉ではない。
特に私以上の年代では、目上のものが目下の者に
“ちょっとごめんよ”と言うような感触がある。
そういう言葉を若いものに平気で使われる。
日常生活でいわれるのには我慢もするが、
物を売りこみに来ていたり、真剣な会話の途中で
いわれると
つい “イラっと”来てしまう。