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June 2017 の投稿一覧です。
カテゴリー: 総合
投稿者: ryokusei
こんなことを言うと叱られるが、

若い患者が診察室でタレントのローラの様な
受け答えをした患者がいた。
患者なので我慢はしたが、
ムカつく以前に可愛そうという感覚に襲われた

こんなことを言うと悪いが
ローラは、テレビという世界の中で可愛いから
許されているし、多少なりともあの
キャラを売りにして作っているのを
勘違いしているのだ。
あくまでもテレビという世界での存在で、
現実の世界ではない。

一時流行ったおバカキャラが、テレビの
中で作られているものであることを
勘違いして、そのまま地で行く奴もいる。

はっきりいって患者として対応するのは
キツイものがある。

今の時代、硬いことをいうと疎まれるのはわかって
いるが、、、

日本の敬語の発達は、島国の日本が生きて
皆がうまく生活して行ける社会を形成するのに
必要にかられて発達してきたに違いない。

今の日本人は、日本の社会は、モンスター○○
という人種がまかり通る社会になって生きてる。

日本の文化どころか日本の社会が崩壊している
象徴の様な気がする。

言い回しこそが日本の文化そのものである。
少し前に流行ったTPOに合わせた言葉を
持ち合わせて喋ることこそ日本語のよさを
保つことになり
良き日本の文化を、しいては日本の社会を
維持することにならないだろうか。


”ご無礼のほど平に平にお許しを“
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投稿者: ryokusei
言葉というのは時代で変わってしまう。

私たちが小学校のころは、
“全然”の言葉は否定的言葉が続くというのが
正解で、国語のテストで“全然いい”なんて
書いたら××であった。
しかし、今の時代は、肯定文で使うのが当たり前
になって、最近では慣れてしまった。
こういう風に言葉というのはどんどん変化して行く。

だから
明治時代の本を読もうとするとかなり苦労する。

よく、タイムスリップを起こすドラマがあって、
ペラペラ話しているが、
突然、今の人間が、戦国時代に行こうものなら
会話なんて通じるわけがない。

ここでやっと水戸黄門の話が出現するのだが、

時代劇というのは時代劇の言い回しがある。
決してその当時の言葉ではないのだが、
独特な言い回しがある。

最近口語調の時代劇もあるみたいだが、
なにか雰囲気が悪い。

“拙者(せっしゃ)は○○でござい。”
“遠からん者ははれここに来て見よ”
“われこそは〇〇でござい”
これが時代劇の雰囲気を醸し出す。

言葉というのは、時と共に変化してゆくのかも
しれないし、
自分も若いころは失礼な言い回しをしていたの
かもしれないが、

時代劇には時代劇の言い回しがある様に
日常でもその場面、シチュエーションに
あった言い回しがある様に思う。
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投稿者: ryokusei
前回水戸黄門の話を書いたのだが、実は、まったく
別の話を書く予定であったのです。。。。

大きな病院には、地域連携室というのがあり、
平たくいえば、周囲の病院と病院との間をとり
なす部署で、患者さんの紹介をするときは、先ず
この部署に電話する。

先ごろこの部署に電話したところ
はい、○○病院、地域連携室の
○○で~~す。
”という答えが返ってきた。

地域連携室に電話をするときというのは。
結構、医者としても他の病院に電話するというのは
命のやり取りとまでは言わないものの、ある程度
切羽詰まっていることが多く、
“○○で~~す”と言われたときは
少々半ギレになって、
先ず、説教をしてしまった。


最近若い人達とはなすと
よく、話の途中で謝るときに
ごめんなさい”といわれる。

ごめんなさい”という日本語は実をいうと厳格な
意味でいうと謝りの言葉ではない。

特に私以上の年代では、目上のものが目下の者に
ちょっとごめんよ”と言うような感触がある。

そういう言葉を若いものに平気で使われる。
日常生活でいわれるのには我慢もするが、
物を売りこみに来ていたり、真剣な会話の途中で
いわれると
つい “イラっと”来てしまう。
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投稿者: ryokusei
水戸黄門は素晴らしい。その3

長寿番組といえば、
サザエさんやちびまる子ちゃんがある。
製作者の方には申し訳ないが、
だいたい筋がよめて、
好感が持てるのは
毎年同じ季節に同じ様な話題が話になっていることである。

両方とも季節を確認するテレビといってもいいかもしれない。
(お年寄りでなくてもサザエさんやちびまる子ちゃんを
昨年と同じものを放映してもおそらくわからないに
違いない。)

サザエさんに至っては悪人が、ほとんど出てこない。
そういう安心感のもとに見れる。
それが、長寿の秘訣なのであろう。

そんな安心して見れる番組が、終了したり、
視聴率が低下しているのである。

この安心感、逆にいえば、
慢性のマンネリが今の時代には受け入れられない。
新しく流動しなければ
生きていけない

経済も社会も伸びてゆくことしかなかった
時代から
逆に、尻すぼみしか考えられない
これからの時代

今の不安定な時代を象徴している出来事なの
かもしれない
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投稿者: ryokusei
水戸黄門は素晴らしい。その2

一度だけ、石坂浩二が水戸黄門になっているシリーズが
あったが、長続きしなかった。
いままでの水戸黄門と、筋がちがって、新しい水戸黄門を
つくってしまったからと思われる。

歴史的にいえば、水戸黄門のドラマは変なところばかり
である
それは、みな分かっている。
ドラマと史実は違っていて当たり前なのである。
信長然り、武田信玄しかり、赤穂浪士しかり、
史実にもとずいて作っていたのでは
面白くないのは間違いない。

暴れん坊将軍しかり、ももたろう侍しかり、遠山の金さん
しかり、この同じ構成と、安心感が万人に受け、
長続きした秘訣なのである。

私が水戸黄門の中で、忘れられなくて、
感動したシーンがある。
それは、助さんが相撲をやっていてふんどし姿でいながら、、
悪人との立ち回りが始まるやいなや、
うっかりはちべいが服を投げわたし、
ほんの数秒後のシーンでは服を着て立ち回りをして
いたのである。

つまり、瞬時に
立ち回りをしながら服をきて、悪いやつらをやっつけて
いたのである。
よく見れば、開いた口がふさがらない
しかし、
水戸黄門はこれでいいのである。
逆にいえばこれこそ水戸黄門なのである。

つづく