お子さんが通院されている親御さんから、共感について聞かれました。育児書とか、メンタル不調の方への対応の本・ネットの情報などを見ると、共感が大事、と書かれているんですよね。でもその共感っていったい何なのか?そこの本質的なところが難しいんですよね。

そもそも、人間は、相手の思考は見えないですから、本当の意味で、相手がどう思っているのか理解することは不可能です。その人と全く同じ人生経験をして、全く同じ気質や体質を持ち、その上で全く同じ体験をすれば、同じ気持ちになって共感できるかもしれませんが、そんなことも不可能ですよね。

でも一方で、人類という同じ生き物の中で、共通する感覚や感情があるのも事実です。なので、相手のことを知ろうとすることは出来るし、自分の中での近い感覚や体験に照らし合わせて、想像することは出来ます。

共感とは、「相手のことを知ろうとする過程」と言えそうですね。すべてを知ることは出来なくても、知ろうと努力してくれる人がいることは、その人の助けになることが多いと思います。

相手が子どもさんだと、自分でも自分の気持ちが分からないこともあります。だから、「その気持ちになんて名前をつけたらいいのか、どういうラベルを貼ったらいいのか」を一緒に考える作業が、共感することにつながると思うんですね。

また、相手が子どもさんの場合は、親が答えを出してあげなきゃいけない、って感じる方も多いようです。答えを出すことが必要な場合も、もちろんあるのですが、共感する、という作業に関しては、答えを出す、アドバイスをする、という対応はNGになりますね。

不登校のお母さんが苦戦する対話に、以下のようなものがあると思います。
「お母さん、明日学校どうしたらいいと思う?」
こう尋ねられたら、なんて答えましょうか?
「明日は休んだらいいんじゃない?」とか「明日は頑張って行ってみる?」とか。子どもが尋ねてきたのだから、こちらの意見を言わなきゃって思いますよね。
でもこれがワナだと思うんですよ。

子どもがこのような質問を投げかけてきたときに、共感的に接すると言うことは、「この子は、この質問をどんな気持ちでしてるんだろう?」と考えることです。
「明日は何か苦手なイベントがあって、不安になってるのかしら?」とか、「学校に行くのもしんどいけど、行かないのも不安なのかしら?」とか、「ずっと学校に行けていないことを、母親である私がどう思っているのか心配になってるのかしら?」とか。

何が気になっているのか分からないときには、「学校に行こうかどうしようか、悩んでるのね?」と聞いてみることで、さらに何か自分の気持ちを話してくれるかどうか、促してみていいと思うんですよね。

あと、共感することと、受け入れて甘やかすことはまた違うんです。このあたりのさじ加減って難しく感じるところもありますが、原則が分かると大きく間違えないのかなと思います。ちょっとまた引き続きこの話は書きますね。