ちょっと前のニュースで、「タイパ重視の令和世代が、今編み物にハマっている」ということを取り上げてました。まず、令和世代ってタイパ重視なんだ…ということに驚き、そして今の時代に編み物ブーム?とまた驚き。私、編み物すごく好きなので、編み物ブームが去らないうちに、手芸屋さんをのぞきに行こうと思います。ブームの時って、きっといろんなグッズが増えてて、素敵なものが見つかりそう。

令和世代がタイパをやめつつあるかもしれない?この時に、私はタイパを考えて、最近夜にエアロバイクを漕ぎながら認知行動療法についての動画を見ています。どっちかだけだとだんだん飽きてくるんですよね…エアロバイクだけやってると、飽きてすぐやめたくなる。動画も見てるだけだとなんか時間がもったいない気がしてきて、他に何かしながら聞こうとする。そうすると結局動画に集中できなくなって、何の話だったかよく分からなくなってしまう。なので今はエアロバイク漕ぎながら動画を見るというのが、時間効率も良くてちょうどいい感じです。

前置きが長くなりました。その動画を見ていてハッと感じたこと。患者さんが何か辛いことがあった時に、それについてあまりたくさん表現しない時があります。「もう最悪でした」「がっかりです」「もうダメです」みたいな言葉で、詳細には表現しない。それは、詳しく話すと、患者さんがその辛かった気持ちを再び詳細に体験してしまうから、それで詳しく話さない。つまり、詳しく話さないことで感情を抑制している、と講師の先生が説明していました。再び自分が辛い思いをするのを、避けている。心を守っている行動なんですよね。

診察の時にこのような状況があると、前後の文脈から、「ああ、しんどかったんだな、あまり話したくないよな」みたいに察します。でも、今までは、「どう最悪な感じなのかもうちょっと聞いてもいいですか?」みたいに聞いて、もう少し詳しく話してもらったりすることもありました。「〇〇って考えて最悪って感じてるってことですか?」みたいに確認したり。察したつもりで察しきれてないことも結構あります。

認知行動療法的にはそれで良かったんですよ。詳しく聞いて、そこで患者さんがどう思い、どう感じているのかを把握して、そこから作戦会議みたいになるので。でも、言葉を短く話してる時って、思い出したくない、そのことでまた辛い思いをしたくないっていうメッセージだったりする。なんか、指摘されたら当たり前のことなんですが、そういう視点で考えたことがなかったので、大きな気づきでした。

それでも、必要なこととして患者さんに聞くのか、あるいはこれ以上嫌な思いをしないようにそっとしておくのか。その判断は、状況によって変わると思うんですね。でも、自分がしようとしていることにどんな意味があるのか、この質問をすることが、患者さんにどのくらいの負担があるのか、それをいろんな角度から把握しておくことは、すごく大事なことだと思います。そしてそれは、負担になるからしない、ということでもなくて。医療現場は、治療のためには少し負担になることをしないといけないこともあります。採血みたいなものですよね、痛いけど血をとって測定しないといけない。でも痛い思いさせてごめんねって、そういう配慮の気持ちを持つことが医療従事者として大切と思います。